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研究者の労働時間

2016年10月12日 12:46

研究者の業績と待遇

  先日100時間を超える残業のため、心身消失で自殺した女性に過労死が認められたという報道がなされた。
 研究者はどのくらい働いているのであろうか?振り返ってみるに、自分の経験ではポスドク、助手、助教授時代を通して平均すると10時−10時で働き、土曜も原則働くという時間帯であった。論文の仕上がりが見え、研究が佳境に入った時とか、競争相手が論文を出しそうだという噂を聞いた時では、帰るのはいつも終電という具合であった。
周りの研究者を見ていても大体がこのような感じで働いていたと思うし、もっと働いていたものも大勢いた。研究者は、一旦貧乏な大学、貧乏な研究室、劣悪な環境に入ってしまえば文句を持っていくとこがない。自分で好きでやっているとみなされる。結果が全てで、いいアイデアだったけど、お金がなかったからできなかったとかあの機械がなかったから、決定的なデータが取れなかったとか、では通らない。何をやっても自由だけど、それだから全責任を個人で負うことになり、競争に負けた場合、研究に向かないと分かった場合、転職したくても社会とのパイプがなく、会社も取ってくれない。
 一方で、アカデミアの研究者のポストは非常に少なく、面白い、人を惹きつける研究、流行の研究をしていなければ、就職は難しい。特に大学法人化以降、個々の学校に降りる運営交付金が毎年減らされ、大学が長期に研究者を雇えるお金が不足してきたため、大学でのポストが圧倒的に少なくなってきている。
大学のポストを得る場合、結局は実績、論文数とインパクトファクターの高い雑誌に何報論文を載せたかで、ほとんど決まる。最近では論文の引用数を書かせたり、どのくらい影響力のある論文を書いているかまで求められる。
Google Scholarで簡単に引用数やh指標(ある研究者のh指数は、「その研究者の論文のうち、被引用数がh以上であるものがh以上あることを満たすような最大の数値」。具体的には、h指数が30である研究者は、被引用数30以上の論文が少なくとも30編あるが、被引用数31以上の論文は31編未満であることを示す。この指標は、当該研究者の論文の量(論文数)と論文の質(被引用数)とを同時に1つの数値で表すことができるという利点を持つ。)が出るので、これを書かす大学が増えている。数字で業績のインパクトや重要性がわかるので、応募してきた人の序列がたちどころに分かり、重宝される。どこかに書いてあったが、教授候補のh指標は20くらいであるそう。一度自分のh指標を調べてみたら。
 競争という研究社会では、心労のため鬱になる人が出たとしても、自分はガツガツと働かなければ生き残れない。もう少し米国のようにまでとは言わないが、研究者をサポートするシステムを充実させて、せめて研究に割ける時間を増やして欲しい。日本でも昔は技官とか秘書とか校費で雇われているスタッフがいたが、今では皆無。研究環境はますます悪くなって来ている。これでは時代に逆行ではないか。政府が研究開発に力を入れていくというのだったら、短期の競争的資金を増やすばかりではなく、長期に人を雇用できるシステムを作り、生活の安定を保証して、研究に専念できる時間を多くするようにすべきではないか? そうすれば、自分の好きなことができるので長時間労働でも我慢できるかもしれない。
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えせ科学それとも世紀の大発見?  常温核融合

2016年09月30日 11:55

 常温核融合の実用化?

一時期、TVでもてはやされていたが今ではすっかり言われなくなった「マイナスイオン効果や納豆キナーゼの効果」、はたまた、「がんの特効薬」などと、なんの根拠もない科学や、華々しくNatureに出版されたがすぐに捏造がばれた小保方さんのSTAP細胞事件など多くのえせ科学が世間を騒がしてきた。同様に、一時期もてはやされ、有望視されてた常温核融合という夢のクリンーンエネルギーも結局えせ科学だと葬り去られた。
 しかし死にかけた常温核融合が不死鳥のように蘇ってきたというのだ。

 核融合というのは原子の中心にある原子核同士がくっつくことでおこり、その際に膨大なエネルギーを放出する。太陽の輝きの源泉である。通常の核融合実験では原子核をプラズマという状態にして核融合を起こす「プラズマ核融合」でおこなうのだが、非常な高温と、プラズマ状態の原子核を閉じ込めておくための強力な磁場が必要である。それを発電システムに活用する「核融合炉」の実用化を目指し、フランスや日本などは、国際協力の下で「ITER(国際熱核融合実験炉)」の建設を進めている。核融合炉を実現するには、1億℃以上のプラズマ状態の反応場が必要になる。そのためには大掛かりな装置が必要となり、莫大な金がかかるため、計画は難航している。
 
 しかし常温で核融合を起こすことができれば、非常に安価に簡単に核融合を起こすことができる。「常温核融合」のアイデアを思いついたのはフライシュマンとポンズである。、核融合のネックが原子核同士を近付けることができないという点にあるのなら、プラズマやミューオン媒介といった物理学的手法ではなくなにか化学的手法でそれが実現できないか、というのが彼らの発想だった。高校の実験でもやる水の電気分解に少し手を加えることで水素原子核を金属棒にぎゅうぎゅうに詰め込んでこの問題を回避できるのではないかと考えた。これらは「凝集系核反応」と呼ばれ、金属内のように原子や電子が多数、集積した、状態で元素が変換する現象を指す。彼らが着目したのはパラジウムという物質であった。パラジウムに水素を詰め込むには、水の電気分解で、一方の電極にパラジウムを使えばよいと考えた。その実験で、電気分解をするために1ワットの電力を投入したのにたいし4ワットの発熱が得られた、と記者会見で発表し、夢のエネルギー実現化と大々的に取り上げられた。しかし様々な矛盾点が噴出し、いつの間にかインチキであろうとされていった。
 そのアイデアを発展させ日本の大阪大学の荒田吉明名誉教授は常温核融合の公開実験を行った。その際の手法は、酸化ジルコニウム・パラジウム合金を格子状のナノ構造にし、その構造内に重水素ガスを吹き込むと、常温で過剰熱とヘリウムが発生する、というもので、大気中の10万倍のヘリウムと30kJの熱が検出されたものである。しかしこの実験結果も解釈が違うとか、再現できないとかという理由でいつの間にか消えていった。

 しかししかし、その常温核融合が蘇ってきたというのである。
2014年4月に、日本経済新聞は、三菱重工の岩村グループが、「重水素を使い、少ないエネルギーで元素の種類を変える元素変換の基盤技術を確立した。」と報じた。また「トヨタグループの研究開発会社、豊田中央研究所も元素変換の研究を続けており、成果が出ているようだ。」とも報じた。

 続いて米国特許庁は2015年11月、凝集系核反応に関する米研究者からの特許申請を初めて受理し、特許として成立させた。これまでは、現在の物理学では理論的に説明できない現象に関して、特許は認めていなかった。特許が成立した技術名は、「重水素とナノサイズの金属の加圧による過剰エンタルピー」で、ここでもナノ構造の金属加工が技術上のポイントになっている。

さらに今年の5月にはアメリカ議会委員会は 「仮に凝集系核反応が実用化に移行した場合、革命的なエネルギー生産と畜エネルギーの技術になる」 とし凝集系核反応研究の現状を国家安全保障の観点から評価するように国防相に要請している。

 画期的な発見、発明ほど、常識ではありえないもので、当初はだれも信用してくれない。インチキだとか捏造だとか言われる。実際、多くの画期的だと思われたようなこと、韓国の黄禹錫(ファン・ウソク)のヒトの胚性幹細胞(ES細胞)や小保方さんのSTAP細胞などは実際にはなかった。
  だけどまだ確定したわけではないが、今回の常温核融合のようなこともあり得る。もし本当だったらエネルギー大革命を起こす世紀の大発見となる、日本とイタリアがこの研究分野をリードしているということも日本人として嬉しい。
 科学の社会ではある時もてはやされ、画期的な成果だと持ち上げられたことが事実ではなかったということや、反対に誰もがありえないとボロクソに言われていたことが、結局事実であったということがよくある。
 研究者ならだれでもそんなことはありえないとか、再現性がないなどの中傷を受けたことがあるであろう。特に、その研究領域の大御所から学会などの公開の場で科学的でない批判されると、その影響は大きい。科学的な批判であれば、科学的に反論できるが、根拠なく情緒的に批判されるとどうしようもない。どこへ行ってもあれインチキらしいよと、研究費も手に入らなくなる。こちらが正しいと分かると、何も言わなくなる。しかしその時負った負のイメージは消し去れない。
 私もこのような経験はよくしたが、その際、科学的でない批判には反論せず、少なくともこういう条件で実験すれば、このような結果になる、と結果に自信を持って答えることにしていた。

研究費と論文の数と質

2016年03月18日 12:55

研究費の額と論文数は相関する。

 1. 大学間格差と運営費交付金
 昨年文科省は大学を3種に分類し、すべての国立大学にどこかに属するように指令した。そしてその分類ごとに実績を評価し運営費交付金学を査定するとした。その最初の査定による配分が行われた。
 分類は「世界で卓越した教育研究」と「全国的な教育研究」に「地域に貢献する教育研究」で、自分の大学がどこに属しているかは知っているであろう。
「世界で卓越した研究教育」には16大学が、「全国的な教育研究」には15大学がそして「地域貢献教育研究」には55の大学が属している。
今年の配分が決まり、その結果もすでに新聞紙上で公表されているので、自分の属する大学がどの程度頑張って、評価されているのかは分かる。
運営費交付金は全体で1兆1000億円にのぼり、国立大学の収入の3−4割を占めるのでこの額の多少は大学にとって生死を決定する大問題である。 今年度はその中の100億円を評価によって重点配分した
そのうち「世界」には59億円、「全国」には6億円で「地域」には29億円の配分となった。
世界で卓越のグループでの配分は 高評価で前年度の110.3%の配分が(京都、神戸、九州)の大学で、100.2%が(北海道、東北、筑波、東京、一橋、名古屋、大阪)、90.2%が(千葉、東京農工、東京工業、岡山、広島)で もっとも評価が低かったのが80.2%の(金沢)となっている。
どのような評価を行なったのか定かではないが、今後この傾斜配分の額がどんどんと増えていき、大学間での格差が益々つくことになるのは間違いない。

2. 研究費と論文数・質
ところで日本の大学の世界的な評価と研究レベルの現状はどうなっているのであろうか?
詳細に調べたレポートが発表されている。
国立大学協会 政策研究所のレポートで鈴鹿医療科学大学の学長の豊田長康氏によるものだ。

結論は「日本の研究力は低迷し、先進国では最低」。
主要国の中で唯一日本のみ論文数が停滞、減少している。人口あたりの論文数は35位で台湾は日本の1.9倍、韓国は1.7倍の論文を産生。その上、注目度の高い論文数も26位と低迷。
なぜこのように日本の研究が急速にダメになっていったかの理由が面白い。
理由に挙げられるのが 1. 人口あたりの正規の研究者数が先進国で最低。2. 人口あたりの公的研究資金の投入が先進国でもっとも低い。もっとも高いシンガポールは日本の4倍以上。主要6カ国の中でも最も少なく、約半分にしか達してない。
 調べてみると論文数は研究者数や研究費と綺麗に正の相関をするそうだ。

もっとも面白いデータは大学などの研究教育機関よりも国の研究機関に資金を投入しいている国ほど論文数が少ないのだそうだ。最低は中国で日本はそれに次ぐ。日本では研究資金の52%が公的政府機関に投入され,大学へは39%となっている。日本は国の研究機関への資金の投入が膨大に膨らみすぎ、大学への資金の投入が極端に減少、コントロールの効かない大学の研究を軽視したため、研究の量・質とも低下した。
 日本の論文の国際競争力は2002年をピークに低下。これは1998年頃から始まった公的研究資金の減少から4年経った2002年頃から顕在化した。G7の他の国に対しての競争力はピーク時の60%から45%へ10年間で15%低下した。日本の学術論文の80%が大学から産生されており、その停滞が日本の停滞の大きな原因となっている。
  結論として国立大学の論文数の減少をもたらした主な原因は(1)正規 の研究員の減少、(2)運営費交付金削減に基づく基盤的資金の減少に加え、(3)重点化と称して偏った研究への資金の投入(国の機関への)が上げられる。日本のレベルをピーク時までに回復するためには25%,韓国に追いつくには1.5倍、G7諸国や台湾に追いつくには2倍の研究資金が必要である。 これがレポートの要旨。

  なんのことはない、常勤ポストの不足、ポスドクの就職難、研究費不足、論文数減少、注目度の高い論文の減少、国際競争力の低下。これらはすべて政府(文科省?)がもう少し予算を大学教育、研究に回し、研究者のポストを増やせば解決することではないか。
 政府は日本は資源も乏しく経済成長を維持し国際的に生き残るには、研究開発を重点的に進めるより手がない。財政困難にもかかわらず、研究開発への予算は別枠だと言っておきながら、この体たらく。実態と言っていることのギャップのひどさ。
 これでは少子化問題だけではなく、国際競争でも日本は死ぬわ。

大学格付け

2015年08月31日 11:44

大学改革?
国立大学改革プランを受けて文部科学省は2016年度から、全国の82国立大学と4国立大学院大学を、「世界最高水準の教育研究」「特定の分野で世界的な教育研究」「地域活性化の中核」の3重点支援枠に分け、個々の大学が選択する支援枠での評価を予算に反映させる。同一グループ内で高い評価を得た大学は運営費交付金を手厚く配分する。

日本的、文科省的年功序列方式で行くと現体制の旧帝大7大学が「卓越教育研究」へ、筑波、広島の旧師範大学や高等工業の東工大、旧高等商業の神戸などが旧帝大に続き、これらの大学は「卓越」を選ぶか「特定分野」を選ぶかの難題に当たる。その他多くの地方大学は「地域貢献型」を選ぶことになろう。文科省は各大学にどこに入れと決めつけることはないというが、グループごとのカテゴリーで評価されるのでどこに入るかは非常に重要である。無理して「卓越」にはいればグループ内での評価が低いことになり、「特定分野」に入った方が実質評価が高くなる。しかし世間的には卓越に入らないと、世界に伍する研究、教育は諦めたように思われがち。

 国立大学の基盤的経費である運営費交付金は16年度の法人化以降、毎年減額されてきた(26年度のみ増額)。16年度(交付額:1兆2,416億円)と26年度(同、1兆1,123億円)では、10年間で1,293億200万円、10.4%削減された。
こうした状況の中で、国立大学法人等の全体としての事業規模は、附属病院収入や競争的経費等の外部資金の増加などによってかろうじて保ってきた。
 27 年度の国立大学法人と大学共同利用機関法人(4 研究機構)の計 90 法人の予算規模は 2 兆4,650 億円で26 年度より 118 億円(0.5%)の増額である。   国立大学法人の予算を見てみると全収入が2 兆 4,650 億円で、その内営交付金収益が1兆945 億円で全体の44.4%、付属病院収益が9780億円で39.7%、続いて授業料収入が14.9%、雑収入が1%となっている。
 付属病院収益が運営交付金と同程度を占め、以外と大きいことがわかる。大きな病院を持っている大学ならまだしも、小さな病院を持たない単科大学は交付金への依存度が高く、今後交付金が評価によって大幅に減額されたら、どうして大学を運営していけばいいのだろう。
現在の交付金の順位を参考までにあげると
東大(803億), 京大(539),東北大(456),阪大(443), 九大(412),筑波大(404),北大(370),名古屋(313), 広島(247),東工大(212),神戸(208),岡山(179),千葉(174),金沢(172)と文科省年功序列に基づいて続く。

ちょうど、自分の属する機関ではどのグループに入るかの議論が喧々諤々行われ、グループ先が決定される頃だと思う。各大学において、どこに属するかは将来の方向性が制限されることとあって大問題。この格付けによって1流、2流、3流のレッテルが貼られ、ミッションに沿った研究、教育を行うことを義務づけられる。
この制定のあおりを受けて、研究を主体にしてきた人にとって、地方大学や単科大学には住み辛くなり、他の大きな大学か私立大学へ移る動きが活発化することであろう。最大の欠点は、それでなくとも日本の大学はどこも金太郎飴のように、特色がないが、今後は更に金太郎飴化が進むことが危ぶまれる。

 人文系学部はいらない?
このように大学を各付けするばかりではなく、文科省から教員養成系・人文社会科学系学部の廃止、転換が通達された。人文社会系学問の社会貢献が低いとし、そのような学問は必要ないとのたまう。理系学問や経済、政治のような実用的な学問にのみ税金を投入すべきだというのが経団連の偉い人や政治家の考えみたいだ。社会に直接貢献しないからといって、人間の本質に関わる学問である哲学や社会学などを簡単に切り捨て、古典や歴史を捨て、シェイクスピアよりも英会話と一方的に決めつけて、それで健全な社会が築けるのであろうか?
何事にも無駄や遊びがなくして健全な社会は育たないし、研究でも直接役に立たない酵母や線虫の研究から時代を拓く画期的な概念が生まれている。日本の研究の将来が危ぶまれる。

大学間格差

2015年04月30日 14:30

地方大学は研究はやらなくてもいい?

最近の日経新聞によると文部科学省は国立大学を3つのカテゴリーに分け、ミッションを明確にさせて、大学経営の効率化を図るつもりだ。
これが実施されれば、今後大学間の格差がますます広がり、地方にいては研究しづらくなるであろう。

記事によれば
 「文部科学省は2016年度から、全国に86ある国立大学を「世界最高水準の教育研究」「特定の分野で世界的な教育研究」「地域活性化の中核」の3グループに分類する。グループ内で高い評価を得た大学に、運営費交付金を手厚く配分する。従来は規模に応じて機械的に割り当てられていた。大学の特色を明確にし、同じグループ内での競争を促す狙いがある。
 下村博文文科相が17日、政府の産業競争力会議の作業部会で明らかにした。各大学は15年中に3グループの中から1つを選ぶ必要がある。選択に当たって同省は審査などを行わず、自主性に任せる。所属グループの選択は、各大学の将来像に大きく影響しそうだ。
 3分類する主な理由は、国立大の収入の柱である運営費交付金(14年度予算で1兆1123億円)の配分方法の見直しだ。大学の規模に応じてほぼ一律に割り振られていることから、産業界が「競争原理を導入すべきだ」と求めていた。
 一方、同じ条件下での競争原理が導入された場合、地方の小規模大は、都市部の総合大学と比べて不利になる恐れがある。このため、同省は3グループごとに、それぞれ異なる評価手法を新たに導入することを決めた。
 各大学の取り組みを毎年度評価し、グループ内で成果が高いと判断された大学に重点的に交付金を配分する。評価手法は文科省の有識者会議が今後検討するが、「世界最高水準の教育研究」を選んだ場合は、論文引用数や外国人教員数などが指標とされそうだ。
 文科省国立大学法人支援課は分類について「各大学の強みをさらに伸ばしてもらうのが目的で、大学の役割を固定化するものではない」と説明。特定のグループに財源を集中することは現時点では検討していない。
 文科省は昨年11月に発表した「国立大学改革プラン」で、グループ分けの方向性を示し、具体策を検討していた。大学の国際化に向けて重点的に支援する「スーパーグローバル大学」の仕組みもあるが、私立や公立を含んでおり、評価手法も異なる。」ということだ。

しかし実際は今まで以上に東大や京大などの大きな大学にお金が集まるようになるということであろう。地域活性化の中核大学にそんなにお金を出すはずがない。文科省は各大学の学部に対し、国立大学改革プランで、各々の大学学部がミッションを明確にすることを求めている。そこでは、地方大学が世界をリードするような研究を目指すといっても受け入れられないであろう。開業医になるための臨床医を育てるとか、学生の教育をしっかりとしてグローバルな社会に貢献できる人物を育てるとか、より実務的にならざるを得ない。そのミッションに沿って評価するとのことなので、示したミッション以外のことをしても評価されない?

 今までは地方の大学にいても、研究をやりたい人は、自分の甲斐性で研究費を集め、それなりに研究できた。地方大学でもいい研究をしてこの大学にこの人ありというような人が結構出ている。それがその大学の顔にも、特色にもなっていた。

しかしこれからはミッション外のことをしても文科省から評価されないので、プランに書いたことのみを努力し、研究熱心な人は逆に煙たがれかねない。大学の役割を固定化するものではないと言っているが、一旦明文化したらそのルールに則って組織は動く。実務的な効率は上がるかもしれないが、自由な発想の中からの思いがけない大発見は無くなるであろう。

一番大きな問題は地方大学にいる優秀な人材を潰してしまうことであろう。なんでもかんでも序列化して効率化、応用性を求めると却って社会は衰退する方向に向かう。今までにも色々と制約はあったが、研究者として、どこにいても自分の責任で自由に研究できたことはありがたかった。「自由だと言っているけど、実際は締め付け」が行われようとする意図が見えることは残念である。


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