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桜、桜、桜

2008年04月01日 15:22

数日来の雨も上がり、朝から青空が広がっている。京急の駅に立つと桜の花びらが風に乗り、あるものは舞い上がり、あるものは舞い落ち、そのひとひらがホームに立つ自分の足下に落ちた。
東京の街には桜の木が多く、車内から学校、公園、神社、お寺の場所がピンクがかった白さで浮き上がって分かる。新幹線の車窓から川沿いの桜並木や民家の庭の桜、道路沿いの桜、山の中腹の桜、富士山を背にした桜が流れていき、如何に日本人が桜を愛で大切にしてきたかが分かる。
一方、大阪から神戸に入ると白く浮き上がる景色が極端に少なくなる。六甲の山並みは新緑前の瑞々しさは保っているものの桜の花の色も見当たらない。また神戸が地形的に山が海に落ち込んだ所に出来た街のせいか、空き地が少なくそのため桜の木も少ないのかも知れない。公園にも数本の若い桜が薄すらと花を咲かせているだけで物足りない。
 関西の人は東京の人間ほど桜に浮かれる事がないのか花見シーズンになってもそわそわすることもなく、お花見、お花見と浮かれないみたい。桜という花を妙に尊重するのは武家社会をひきずる江戸っ子気質からくるものなのか?平安朝に愛でた桜の文化、太閤の愛した醍醐の桜、吉野の全山を覆う薄墨の山桜の優雅さは薄れてしまったのか?太閤秀吉は権勢を極めた絶頂期に徳川家康らを引き連れて吉野を訪れ花見をし、絢爛豪華な花見を醍醐寺で行なったのは有名である。醍醐の花見での疲れのためか、それから5ヶ月後にはなくなっている。京都には神社、仏閣が多いせいかしだれ、染井吉野、八重とさまざまな桜が咲き乱れ、長い期間かけ桜が楽しめる。京都と大阪、神戸の人の桜に対する感受性は異なっているのか? 関西といっても、京都、大阪、神戸は独自の文化を持ち、価値観や考え方も少しずつ異なっている事はなんとなく分かってきたが。

 平忠度卿は
     行き暮れて木の下蔭を宿とせば花や今宵の主ならまし
 西行法師は
     願わくば花の下にて春死なんその如月の望月の頃

  と たおやかな心を望んで桜を詠んだ。がそれは所詮願望に過ぎなく、実際は厳しい現実であった。忠度卿は神戸で討ち死にし、西行法師は北面の武士を捨て出家して、全国を流浪した。
  後白河法王が大原の建礼門院を訪ねたときに詠んだ歌 「池水に みぎわの桜散り敷きて波の花こそ 盛なりけれ」は人の無常、はかなさを呼び起こされる一首として好きである。
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千鳥が淵の桜

2008年03月28日 16:18

東京の桜は満開。九段前で降りて、靖国神社へ向かって坂を上がっていくと、左手に北の丸公園の桜が満開。お堀を渡ってどっしりとした構えの皇居の門にかかる古木の桜の花は城壁の石組みと合って風情がある。
千鳥が淵の桜も最高。古い桜の枝がお堀に向かって垂れ下がり水面の青緑を背景に咲き誇るさまは、これぞ日本の優雅さだと思う。
本居宣長の詠んだ「しきしまのやまと心を人とはば朝日ににほふ山桜花」という一首が靖国神社だけに思い浮かぶ。
写真は千鳥が淵の桜、桜、桜
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