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司馬遼太郎と乃木希典

2009年11月28日 16:57

日本人の精神
司馬遼太郎は「坂の上の雲」であれ程無能だとののしった乃木が実は好きだった。彼はこう述べている。「乃木さんが好きだと言う事はどうしようもない事で、好き嫌いというのは是非善悪以外の場所の感情ですからーー。しかし父親や叔父に乃木さんを持ちたいとは思いません」と。

日露戦争終結後、乃木は宮中に参内し復命書を読み上げる。軍司令官達全員が幕僚達の書いた復命書を礼服を着て読み上げたのに対し、乃木は自草自筆の名文の復命書を、戦闘服のまま読み上げた。彼一人が戦闘服で一人で戦って来たかのような様相を呈し、感動的な名文を読み、自ら感動し、涕涙甚だしく、他の司令官達はしらけきったという。

明治天皇大喪の日に乃木は自殺する。新聞記者仲間ではこんな忙しい日に自殺しなくとも、乃木は大バカだとみんな言い合っていた。その裏には乃木の殉死に対する、またスタンドプレーしやがったという倫理的疑惑があった。

しかし紙面を飾った記事は乃木をほめ讃えるものばかり。あれ程乃木を馬鹿だと罵った社長のもと、罵倒した編集長のもとで書かれた文章が結局「ああ軍神乃木将軍」であった。世の中の表裏をみせつけられた一面であった。あれ程馬鹿だと言われていた乃木将軍が一夜明ければ,馬鹿だと言っていた人によって英雄にたて奉られている。メデイアが歴史を作るとはこの事をいうのでしょうと。

稀典は常に劇的であった。司馬遼太郎は乃木が一場の劇の主人公になったかのような幻想を持ったのではないかと疑った。合理主義を愛する作家である彼は乃木に冷たい視線を注ぐのは当然かもしれない。思想をよりどころに行動を起こすタイプには警戒していた。「坂の上の雲」が書かれた当時は学生運動が華やかな頃でしたが、思想を行動の原理とする所に嫌悪を感じていた。当時の青年達のもう一つの特徴は自己を劇的に演出したがることで、よど号ハイジャック事件や浅間山山荘事件が起こる。そして自分たちを明日のジョー宜しく英雄に祭り上げていくのです。そしてこう言ってます「青年達は反抗だ、抵抗だ,革命だと勇ましい。だが元をただせば、彼らが全然知らないのか、いくらか知っていて馬鹿にしているのか分からないが乃木さんと同じではないか。しかるに乃木さんよりスケールが小ちゃくて品格がない。なによりも「あわれ」に欠けると」。

乃木は旅順陥落におけるステッセルとの降伏会議でも、ロシア側の帯剣を許し、旅順でのロシア国旗の掲揚を許し、捕虜の待遇を日本兵よりもよくし、それを各国のメデイアに公開した。本人が自覚していたかどうか分からないが、その結果、日本の評判が良くなり、特にアメリカ大統領のルーズベルトが日本びいきになった。乃木は実に戦争終結へ向けての広報活動という意味では大きな役割を果たした。

私ペンペンは乃木将軍が育った家の数件隣で幼少期をおくった。乃木将軍を悪く言う人は誰もいない環境で育って来た。司馬遼太郎の「坂の上の雲」を読んで、乃木への罵倒激しきに驚いた。精神論、根性論という客観性のないご都合主義で判断してはいけない。合理的に考え判断しないといけないということを「坂の上の雲」では学んだ。しかし、乃木後、軍部に儒者的考えが蔓延し、それが後の日本軍の敗因につながっていく。儒学は食糧よりも信義を説き、理財よりも道徳を説き、法治よりも仁治を説く。戦闘集団としては驚く程戦略と兵站、信賞必罰の法を無視した非合理的な集団が出来上がってしまった。そして各地で無謀な戦闘を繰り返し滅んでいった。

戦後の日本人について船曳著「日本人論」ではこう触れている。親は子供らを徹底して守りながら、個性を伸ばせと言い続けた。その結果、音楽やスポーツなども得意で、「人が人の上に立つ事を嫌い、男女が平等である事、平和がいかによいこと、争いと摩擦は極力さけなければならない」と信じる日本人が多数出現しました。しかし彼らは自由が制約との緊張関係の間に成立することを理解せず、ただ好きな事だけをして生きていく事が「個性的生活」であると短絡し、人の上に立つ事を「平等」のもとに異常に恐れ、「平和」を個人的レベルで実現するために、他者との関係を,摩擦も融和もひっくるめて拒絶した「ひきこもり」を生み出します。

「平和」の理念が誠にあやふやであなたまかせで何もしなくても平和が保てると思い込んでいる感は否めません。今のように奇跡的に平和だった社会が次の世代に受け継がれるという保証はどこにもないのです。このようないい加減で無責任な世の中、自分の都合の悪い事、才能の無さを認めなければならない、合理的で客感的な考えは受け入れられるはずもありません。現実に目をつぶり、主観的な世界に酔いしれている方が、なんと心地よく気持ちいいものだからです。

乃木将軍のお母さんは稀典が小さい頃人参をどうしても食べないので、毎日弁当に人参を入れ、甘やかさなかった。それで人参を食べれるようになったということが美談として何度もいろんな所で聞かされた。それがなぜ美談なのか、語り継ぐべき問題なのか未だに理解できない。

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オリンピックに思う

2008年08月20日 16:24

オリンピックは愛国心をかき立てる。
オリンピックが始まった。日頃は意識していなくとも愛国心が妙にかき立てられる。特に団体競技で国別対抗ともなると一点一点にはらはらし、負けるな日本頑張れとなる。この妙な気持は随分昔アメリカに留学していた時(1975年頃)にも味わった。その当時、日本を出たのは羽田から。一ドル360円の時代であった。東海岸への直行便がなく、真夜中にアンカレッジで給油し、昼過ぎ、ロスアンジェルスに着いた。一泊した後、大陸横断の飛行機に乗りやっとW. DCについた。ロスまでは日本人も乗っていて淋しくはなかったが、東海岸行きの飛行機にはたった一人ぽっちの日本人であった。留学先に行ってからも何もかも一人で揃え、折衝しなけねばならず、へたな英語で苦労した。そんな時、どんな田舎に行っても世話好きの日本人がかならず居て、色々と教えてくれた。心細い不安な状況下、その日本人という傘の下にその地区の留学生達があつまり、お互いの交流が始まった。そして小さな日本人社会ができ、お互いに助け合う精神ができた。考え方の相違、強引さや自分のことしか考えず、日本人だと馬鹿にしてくる外国人などとも接していると、次第に日本人ということを意識するようにもなった。
丁度その頃から、アメリカの東海岸の高速道路をシビックのような小さな日本車が車体の大きい米国車に混じってちらほらと走り始めた。それを見ると無償に「日本頑張れ」との感情が湧き上がり、日本に居た頃はどちらかというと学生運動もかじり左翼的な考えを持った自分であったが、海外に出て、否応無しに日本人だと認識させられると、今度は愛国心が目覚めて、日本の文化や文明ということに関心を持つようになった。また日本経済の発展が著しくあっという間に東海岸にも日本車と日本の電化製品が溢れ出してきた。留学前は日本の車なんてぽんこつで高速道路を数時間飛ばすとエンジンが焼け付くと言われていたのが、帰国する頃になると日本車を含め日本の製品は品質がよく故障しないとの評判に変わって行った。これがまた同じ日本人として誇らしかった。自分の事のようにうれしかった。日本企業の戦士達が汗水流して頑張っているんだと思うと、自分も頑張らねばと勇気づけられた。
しかし、2年半たって、帰国すると日本というものを意識しなくても暮らして行けるため、それ程日本とは、とこだわる事もなくなっていった。しかし、オリンピックをTVで観賞していると、あの頃の感情がふつふつと湧きだして、また心の底に残っていた愛国心の炎がくすぶり始めた。
オリンピックのような国別対抗の国際競技が行なわれたり、国家間のいざこざが起こったりした場合や、家族の困難に遭遇すると日頃けんかばかりしていた国民や家族が団結し愛国心や家族愛に目覚める。領土問題も日頃は無関心であっても、他国からここは自分たちの領土だといわれると無性に反発したくなる。  (時々愛国心に目覚めるpenpen)

靖国問題 

2008年04月02日 11:09

映画「靖国」が問題になっている。実際に見た訳ではないので一般的な事しか言えないが、どのような思想によって作られた映画にしろ発表の機会を奪ってしまう事はまずい。靖国神社に詣でるごくわずかな極右的な言動をする人のみを捉えて一般化しようとすることも問題ではあるが、それは主義、主張をより誇張してみせるということで誰でも大なり小なりやっていることである。
日本の教育は昔も今も詰め込み記憶中心。真の教育とは個人が様々な事実を知って,または学習して(この場合は歴史的な事実)、自分自身で判断し、独自の意見が述べられる能力を養う事である。これらの素養を養うためには歴史、地理、文化、民族、宗教など個々の民族、国家が抱えている背景を知る必要がある。これらのことを全て学ぶのは大変であるけれども、少なくともある問題が生じた時、その背景を自分で調べ、自分自身で判断できる能力を養うのが肝要であると思う。今の受験勉強の弊害は、一般成人の受験に関係ない教科の知識が驚く程低いことである。理系の大学生(大学院生)には日本の歴史や地理どころか、日本語の文章がまともに書けないものが多く、研究以前の状態を呈していることも事実である。小学校低学年にゆとり教育はいらない。基礎の基礎は詰め込み、強制されて覚える社会生活に必要なルール。当用漢字や九九を知らなければ社会生活にも事欠く。よってルールたる読み書きそろばんとごくありふれた常識くらいは身につけて欲しい。その上に立って初めて自己の確立、専門性の確立ができる。さらにその上に思想や人間としての情愛、いたわり、哀感などまさに論理では割り切れない愛、義理、人情といった心の問題がでてくる。これは人間の一生のまたは永遠のテーマとなる。
 個人個人の生い立ちの背景が違う以上考え方も、思想も異なるのが当然で、様々な議論がされるのも当然である。しかし論争の場に主観的な主張や正義はということを持ち込まれるとそれ以上の議論がなくなる。日本人は主観的に考えがちで客観性が乏しい面もある。いつも神風が吹くと思うと大間違いである。
靖国に話しを戻すと。靖国神社に対しての考えも個々に違って当然。靖国に祭られている遺族とその他の家族では全く考えも異なるであろう。どうあれ、どのように思うかを議論する事は大切である。
 なにかと議論のある靖国神社の遊就館を見た。巷間言われているよりは控えめだと思った。戦没者をバックにしての神社の戦争記念館であるのだから当然かなりの主観的主張に満ちてはいたが、この程度の事は他国の戦争博物館に行っても誇張的に主張されている。自分たちの主張をこのような場所で押し進めるのは当たり前のことで、ハワイのパールハーバーの記念館や中国の戦争記念館ではこれ以上の事が平気で言われ、展示されている。これらの展示を見て個人個人が様々な印象を得、議論すればそれで良いと思う。日本人から見る目、中国人が見る目、アメリカ人が見る目、また個人個人の目、当然異なってしかるべき。
例えば100歩譲って日本が真珠湾をだまし討ちをしたとしよう。だからといって原爆を広島、長崎に落として大量の一般市民を虐殺して良いとは言えないだろう。昔アメリカにいた時、ワシントンのスミソニアン博物館にエノラゲイ(Enola Gay 原爆を落とした爆撃機)が展示され操縦士たちが英雄として祭り上げられれいるのを見て、日本人として複雑な心境になったことを覚えている。一方、原爆を落とした機長Paul Warfield Tibbets Jr大佐は国家からの命令とはいえ、何の謝罪もせず2007年に92歳で天寿を全うした。
とあれ正義は国や宗教によっても変わる。卑屈にならずに言うべき事は言って、日本人としての尊厳と誇りだけは見失わないような教育をして欲しい。
 
[倭は国のまほろば、たたなづく青垣山 こもれる倭し うるわし]

      
             (歳をとり愛国心に目覚めたぼけ)


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