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奢れるもの、奢侈にながれるもの

2008年04月09日 12:23

今までのブログを読んだ方は、私が平家大好き人間だと思われるかも知れない。実は平家は好きではないのです。平家物語や平家の公達たちの儚い美しさは好きだけれども、何故いとも簡単に滅んでしまったのかを考えると、あまりの情けなさに心が苛立つのです。成り上がると有頂天なり、うぬぼれ、華美に溺れ、楽な生活を求め、耳に心地よい言葉を聞きたがるようになるのは人の習性です。平家は武士の出であるにもかかわらず、京の公家文化にどっぷりとつかり、野生の荒々しさを野蛮なものと軽蔑し、一族だけの権勢を求め、栄華を求めるようになります。いつの世も衣食たりて礼節を知るの言葉の通り、粗野で礼を知らないような人間が命知らずで圧倒的にたくましく、強い。平家はそのような坂東武者たちにかなう訳もなく、たちまち滅ぼされてしまうのは自然の理。那須与一が屋島の戦いで平家の船の上に掲げた扇を弓で射落とすという逸話は有名ですが、見事撃ち落とした後に、水夫までも射殺してしまい、しらけてしまったということは余り知られていません。風流さは戦場では何の意味もないのです。元寇の時も鎌倉武士は名乗りをあげてから攻めたのに対し、そのような礼儀は元の兵士には通用する訳もなく、いきなり射かけられ、大勢で一人に向かって攻めかけ、当時の日本では卑怯だと忌み嫌ったことが全く通用しなかったと言われ。ます。残酷なことだけど戦争は人と人との殺し合いであり、勝つ事が目的なのです。源頼朝は平氏の轍を踏む事のないように、京文化に取り込まれる事のないよう、わざわざ鎌倉の地に幕府を開いたといわれます。何故平氏にこのような単純な道理が分からなかったのか?理解できない。清盛は現在の親ばかに通じる?、自分の子供に甘かったのか?清盛一代の栄華にしてなんと儚いことか。
 清盛は大輪田泊(神戸港)を開き、南宋との貿易で莫大な利益をあげたことが、平家隆盛の一因であると言われます。その当時高度な文化を発展させた南宋も金に攻められ弱体化し、ついにはモンゴルのフビライによって滅ぼされます。南宋が滅びる間際にひときわ異彩を放ち、元に徹底的に抵抗し、捕らえられ、刑死した、最後まで自己を貫いた人物、文天祥。彼の生き様を読むと己の血が騒ぎ、堕落し、汚れた身がきりっとするのです。

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