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蜘蛛の毒(Part2)

2008年08月30日 17:29

ある出会い

川合先生と出会ったのは今からもう25年くらい前になる。当時まだソビエト連邦で、共産党政権であった頃、ソ連アカデミー主宰の日ソ間のシグナル伝達のシンポジウムがモスクワで開かれて日本人が大挙して行ったときに、川合先生もその一員にいた。新潟からハバロフスクに飛び、一泊して、北極近くの小さな街を経由してモスクワにはいった。今ではその当時の記憶があまりないが、赤の広場、ロシア正教の教会やそこに飾られているイコン、とか確かボルガ川(モスクワ川?)のクルージングなどを覚えている。単独行動は許されず、常に団体行動で、ぞろぞろと行動を一緒にしたが、全てが予約制でレストランも簡単に入って食べられるというものでもなかった。また毎日肉団子のスープばっかりでうんざりしたのも覚えている。その時、ずーと行動が一緒だったため、川合先生と親しくなった。
川合先生はT大の神経科の医師であったが、学園紛争に巻き込まれ大学を離れて、東京都の研究所での研究に入った。どのような経緯で蜘蛛毒をやるようになったのかは聞いてないが、女郎蜘蛛の毒が神経毒である事や興奮性神経のグルタミン酸受容体をブロックすることを見つけ、その毒の構造を突き止めようと毎日、毎日蜘蛛採りに専念したという。伊豆の山の中を這いずり回り、あるときは泥棒と間違われ、あるときはスズメバチにさされ生死をさまよいながら女郎蜘蛛の毒腺を集めた。ある時、日本蜘蛛協会の方から、蜘蛛を集める協力をしようかとのさそいがあり、どのくらい欲しいのかと聞かれ、50,000匹といったところ、それきりになってしまったそうである。とにかく、2年間蜘蛛採りに専念し、やっと採れた毒腺からtoxinを取り出し、薬学の先生と共同でその構造を決めた。T大の医学部の先生が2年間蜘蛛採りに明け暮れたということだけをもってしても十分尊敬に値する。その経緯は「一寸の虫にも十分な毒」に分かり易く書かれている。驚く事に、日本の女郎蜘蛛からとられたtoxinが地理的に遠く離れたソ連の砂漠にすむ蜘蛛から採られたものと全く同じであった。全く異なった環境で日本とソ連で、独立して進化し、毒を持つようになったと思われる。
かなりの蜘蛛や蜂が毒成分としてポリアミンの一種であるスペルミンを持っているという。スペルミンは哺乳動物を含め広く動物界に存在しているポリアミンであるが、これにチロシンが付加してJSTX-3が作られたものであることが分かってきた。ポリアミンもチロシンもありふれた分子で、これらから作られた毒が蜘蛛のみならず蜂などの様々な種から見つかったとしても驚くにあたらない。判ってみれば、なるほどなと思えるのが科学である。

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蜘蛛 (Part 1)

2008年08月28日 09:22

蜘蛛 蜘蛛の糸

小さい頃、小学校の低学年の頃、女郎蜘蛛を山からとってきて、庭の木の枝先や軒先で飼っていた。女郎蜘蛛同士を一本の木の上で決闘させ、その勝ち負けを競う遊びが流行っていて、それようの強い蜘蛛を飼育するためである。女郎蜘蛛は日本に生息する蜘蛛の中では大型で堂々たる胴体には金色と黒のりっぱなストライプがあり、長い足で、大きなネットを張っている。そのネットの上よりに英語文字らしき模様があり、近所のガキ連中達とこの蜘蛛は英語が書けるんだなんて妙に感心したりしていた。一本の木の上の蜘蛛はにらみ合い、お互いに長い足でもって攻めかかる。勝敗はあっけなく、負けた蜘蛛は糸をたらして木の上から逃げて行くか、糸でぐるぐるに巻かれてしまう。家の軒下や木の枝で蜘蛛を飼っているのを、よく母親にしかられた。日も暮れて薄暗い闇の中を、なにげなく通りかかると蜘蛛の糸がべっとりと顔にはりつくし、突然目の前に大きな金色の蜘蛛が現れると、今から思えばさぞかし肝をつぶしただろうことが想像できる。可愛い仲間であり、時々昆虫やハエを餌にあげると、お尻から糸を繰り出し、あっという間に簀巻きにしてしまう。蜘蛛の張るネットは円形で大きく7-80cmにもなろうとする。その中央に手足をX字のように伸ばし獲物がかかるのをまっている。その堂々たる姿に見入ったものだった。
最近までこの蜘蛛を女郎蜘蛛だと思っていたが、じつは黄金蜘蛛であるらしい。「女郎蜘蛛は夏以降に成熟し、秋に産卵する。網は大きくて下に長い馬蹄形で、白い帯はつけない。腹部は長い楕円形で、黄色と灰青色の横帯模様にたいし、黄金蜘蛛は初夏から夏にかけて成熟し、卵を産んで死んでしまう。網は標準的な円網で、そこにX形に白い帯(かくれおび)をつける。腹部は丸みを帯びた五角形に近く、黄色と黒の横帯模様」であるそうだ。(Wikipedia)小さい頃みていたこの横文字みたいな模様(隠れ帯)が黄金蜘蛛の特徴であるようだ。黄金蜘蛛同士を戦わせる遊びは、いまでは廃れてしまったけれど、鹿児島県加治木町では今も「蜘蛛合戦」を年に一度の行事として6月に盛んに行なっている。
これらの蜘蛛はJSTX-3という神経毒をもっている。この毒は興奮性神経の伝達を司るグルタミン酸受容体を阻害する。この毒を昆虫に打ち込んで、昆虫の行動をうばい、ゆっくりとご馳走に預かろうという戦略だ。この女郎蜘蛛トキシン(JSTX-3)は川合述史先生によって発見された。川合先生はもともとT大学の神経科で電気生理の研究を行なっていた一風変わった先生だ。ひょんなきっかけから親しくつきあわせてもらった。

川合先生と知り合ったきっかけ、やトキシン発見に至った経緯、や蜘蛛の進化、様々な蜘蛛について、今後、蜘蛛シリーズで書いて行きたい。

写真 黄金蜘蛛(Wikipediaより)

[蜘蛛 (Part 1)]の続きを読む

high-profile ジャーナル?

2008年08月26日 19:00

最近の科学論文

Painful publishing
 最近のScience 紙上で著名で超一流の科学論文ほど、およそその主題に関係ない、また枝葉末節のことを求める傾向にあることを嘆くコメントが載った。しかしそれらのジャーナルは就職や研究費を獲得するのに圧倒的に有利になってきている。

 生命科学、基礎医学研究は昔のように興奮するようなことも生産的であることも少なくなってきた。また研究手段や道具が凄まじく強力になり、進歩にも加速がかかってきた。このような事態は研究者にとってストレスいっぱいの時代だと言える。というのは研究費をとったり、就職先を見つけたり、格式の高いジャーナルへの投稿も益々競争が激しくなっているからである。実験結果を発表するのに、最初に結果を得るのに要した時間と同じくらいの時間が論文の受理までの時間に費やされ、そのストレスが研究を行うという喜びを奪ってしまう。現在の論文出版における問題としてhigh-impactなジャーナルに与えられている圧倒的なステータスである。キャリーアーアップには何を発表したのかというよりもどこに発表したのかを問われる。そのため、それらのジャーナルに出したい研究者は本題とは余り関係ない、枝葉末節の、時間のむだな実験を強いられる。多くのレフリーが不必要な実験を要求し、多くの若い研究者が気分を削がれ、研究の進展が妨げられる。
Science 321, p.36 (2008)

High-profile journals not worth the trouble.
上記の投稿を受けて、YaleのLausenbaumはこう言っている。
私の研究室ではScience, NatureやCellに出版するというプレシャーはない。なぜならどのように重要でもhigh-impactだと考えてもそのようなジャーナルに投稿しないからである。我々には他にもよい第一線の細胞生物学のジャーナルがあり、これら3誌のように非常に競争の厳しいジャーナルに出す必要がないからである。またどこに出版され様とも、その論文のもつ重要性やimpactは変わらない。
Science 321, p1039 (2008)

ごもっともなことです。明らかに革命的に重要でimpactのある、ノーベル賞級の結果の場合、どこに出そうがその重要性は変わらない。しかしそのような研究は0.01%以下?であり、現実はほとんどの研究が流行を追いかけたり、Big nameに追随した論文が圧倒的に出やすく、ジャーナルによっての引用率も圧倒的に違ってくる。また世に一流と呼ばれているジャーナルは平均的にimpactも重要性も高い。しかし絶対ではない。前にも言ったけど研究者といえども欲の深い人間のやること、できるだけ評価も高くされたいし、地位も、お金も欲しい。そんな無名の研究者の一番の近道がhigh-profileのジャーナルにだすことである。Lausenbaumはすでにestablishした研究者で、その筋では名前を知られ、超一流誌にださなくても程々のジャーナルに出しておればその論文を見てくれるのであろう。どちらのの考えも分かる気がするが、諸君はどうする? 北島康介似のTsuka君はどうする?
               (penpenはtoo competitiveに耐えられない)

絵画のような小説

2008年08月23日 22:51

色鮮やかな小説

私は小説の中のシーンが絵画のように色鮮やかに浮かび上がってくる文章を書く作家が好きだ。宮本輝の他にも連城三紀彦や志水辰夫などもこの類いの作家であろう。今日は志水辰夫を取り上げる。彼には「背いて故郷」や「行きずりの街」などの代表的な長編の作品もあるがむしろかれの小品が好きだ。例えば「赤いバス」という作品では一人の還暦をひかえ病気治療中の男が10年前に建て,家族には人気のない山荘に一人でやってきて村での生活を始め、ミツオという知恵おくれの子供と知り合う。「夜、明かりを消したへやの窓から、対岸の村の灯をながめているのが好きだった。それは都市の明かりと違ってささやかなものだったが、それだけに光のひとつひとつに人の生活や温もりといったものを感じさせる。夜の更けた街道を、ときおり車が,心細そうに光を照射しながら帰って行く光景もおもしろい。」 「朝靄のたなびく未明の光景も捨て難かった。夜の際がようやく明るみはじめる静寂の極致から、壮大な音楽がはじまるみたいにわずかに青が色づき始め、やがて朝焼けの朱となって光と色が蘇生してくる時間的経過は、いつ見ても歴史的瞬間に立ち会っているみたいな感激と喜びをよびさまさずにおかなかった。全てのものが夜眠り、朝起きてくるという単純なストーリーが、これほど感動的なドラマに満ちていようとは考えてみたこともないのだった。」「山の上にかかっていた日光が消えると、夕靄が漂い始めた。山肌の色合いに青が増し、視界がじわっと滲んできた。空の透明度が沈む。すると赤い色が勝って、夕焼けがはじまった。肩の辺りが急に冷たくなってきた。境内のサルスベリが赤い花をつけている。地上には点々と黄色い花。ユウスゲが咲いていた。ユリ科のこの愛らしい花は,夕方咲いて翌朝にはしぼんでしまうのだった。」石段を下りて行くと----ミツオはだまってバスを見ていた。いつもの迫力が感じられなかった。その横画をは淋しそうで、わたしを見ても気弱そうな微笑みを見せただけだった。白い、新しいシャツを着ていた。ズボンは黒。丸坊主の頭は散髪したてだった。「お姉ちゃんが帰ってくるんだよ」ミツオは気負いのない淡々とした声で言った。-------少し気温が落ちてきた。空の夕焼けが増してきた。野焼きの煙だろう,白いものがたなびいて地上を覆い始めた。鳥が空を横切って帰って行く。「あ、トンボ」とミツオが叫んだ。アキアカネの赤い胴が夕空に閃いていた。秋を感じた。--空間全体が壮大な舞台となって、何かの開演を待ち受けているみたいなしんとした静寂をみなぎらせている。それはとりもなおさず平安の前兆であり、夕靄と自分との一体感であり、自分の中に巣くっている不安や恐怖や絶望からの解放にほかならなかった。わたしはミツオと同じように救いを求めている人間なのだ。見上げると空の色がいっそう赤黒さを増していた。視界がぼやけて涙が滲んでくる。漂い始めた夕闇。形あるものの輪郭が見る間に溶け去り、その意味を失おうとしていた。過去と現実の接点が見分けられなくなってしまうひととき。全てのものが一色に閉じ込められ、言葉と、思惟と、祈りのなかに還元されようとしていた。」--------
「キミちゃんという姉がいたんです。しっかりしたかわいい女の子でしたけど。ミツオをみるとキミちゃんの方を思い出すんんですよ。「東京に?」いえほかに兄弟はいませんよ。キミコという姉がいただけです。----- そこの川でね、溺れたんです。ミツオのほうが深みにはまって、姉がそれを助けに行って、自分は力つきて沈んだんですよ。逆だったらまだよかったのにって、みんなもらい泣きしましたもの。そうですねえ、姉の方は生きていたらもういい年頃ですよ」
 救いを求めている自分や世の中の不条理がミツオという純粋な男の子を通して浄化して行き、静謐な山里の情景と溶け合って、すさんだ心が次第に洗われて行く感じがする。小説の風景が目に取るように浮かび上がってくる作品。

オリンピックに思う

2008年08月20日 16:24

オリンピックは愛国心をかき立てる。
オリンピックが始まった。日頃は意識していなくとも愛国心が妙にかき立てられる。特に団体競技で国別対抗ともなると一点一点にはらはらし、負けるな日本頑張れとなる。この妙な気持は随分昔アメリカに留学していた時(1975年頃)にも味わった。その当時、日本を出たのは羽田から。一ドル360円の時代であった。東海岸への直行便がなく、真夜中にアンカレッジで給油し、昼過ぎ、ロスアンジェルスに着いた。一泊した後、大陸横断の飛行機に乗りやっとW. DCについた。ロスまでは日本人も乗っていて淋しくはなかったが、東海岸行きの飛行機にはたった一人ぽっちの日本人であった。留学先に行ってからも何もかも一人で揃え、折衝しなけねばならず、へたな英語で苦労した。そんな時、どんな田舎に行っても世話好きの日本人がかならず居て、色々と教えてくれた。心細い不安な状況下、その日本人という傘の下にその地区の留学生達があつまり、お互いの交流が始まった。そして小さな日本人社会ができ、お互いに助け合う精神ができた。考え方の相違、強引さや自分のことしか考えず、日本人だと馬鹿にしてくる外国人などとも接していると、次第に日本人ということを意識するようにもなった。
丁度その頃から、アメリカの東海岸の高速道路をシビックのような小さな日本車が車体の大きい米国車に混じってちらほらと走り始めた。それを見ると無償に「日本頑張れ」との感情が湧き上がり、日本に居た頃はどちらかというと学生運動もかじり左翼的な考えを持った自分であったが、海外に出て、否応無しに日本人だと認識させられると、今度は愛国心が目覚めて、日本の文化や文明ということに関心を持つようになった。また日本経済の発展が著しくあっという間に東海岸にも日本車と日本の電化製品が溢れ出してきた。留学前は日本の車なんてぽんこつで高速道路を数時間飛ばすとエンジンが焼け付くと言われていたのが、帰国する頃になると日本車を含め日本の製品は品質がよく故障しないとの評判に変わって行った。これがまた同じ日本人として誇らしかった。自分の事のようにうれしかった。日本企業の戦士達が汗水流して頑張っているんだと思うと、自分も頑張らねばと勇気づけられた。
しかし、2年半たって、帰国すると日本というものを意識しなくても暮らして行けるため、それ程日本とは、とこだわる事もなくなっていった。しかし、オリンピックをTVで観賞していると、あの頃の感情がふつふつと湧きだして、また心の底に残っていた愛国心の炎がくすぶり始めた。
オリンピックのような国別対抗の国際競技が行なわれたり、国家間のいざこざが起こったりした場合や、家族の困難に遭遇すると日頃けんかばかりしていた国民や家族が団結し愛国心や家族愛に目覚める。領土問題も日頃は無関心であっても、他国からここは自分たちの領土だといわれると無性に反発したくなる。  (時々愛国心に目覚めるpenpen)

革命的な詩人ランボー

2008年08月14日 12:43

Arthur Rimbaud (1854-1891)
昔ランボーにかぶれた時代もあった。その才能に嫉妬した時代もあった。
ランボーほど詩のイメージを変えた人物もいない。それまでの詩の多くがきれいごとに流れていたのに反し、ランボーは精神の錯乱、幻想と現実のはざまや人の影の部分を描き出している。それも16-17歳で。これらの詩作に中原中也や小林秀雄も強く影響された。

アルチュール ランボーは1854年北フランスのベルギーに近い片田舎で生まれた。時代はナポレオン3世による帝国主義的政策で, 少年期は普仏戦争のさなかに過ごした。父親は軍人であったが、退役後も家族の下に帰る事はなく、兄や妹とともに厳格な母親によって育てられた。1970年、普仏戦争が勃発し、シャルルビルが戦火に巻き込まれる様になり、家出を繰り返す。ナポレオン3世はすぐにプロシャに降伏してしまうが、パリではプロシャによる圧政に抵抗して、パリコミューンが樹立され、内乱状態になった。彼もコミューン派と一緒に活動をしたようであるが、直に政府による弾圧を受けコミューンは崩壊してしまう。その頃、ランボーは友人のイザンバール(中学校時代の教師)やデムニーに手紙を送り、かれの詩作に関しての考えを述べている。「見者の手紙」と言われているもので、見者とは主観にとらわれず客観的に世界を捉えることができる者であると述べている。その中で、見者に一番ふさわしいのはボードレーヌであろうと言っている。また「錯乱により未知に到達する」とも言っているがこれが彼の詩の原点だろうか?
 更に、ランボーはパリで詩作活動をしていたベルレーヌに手紙を送り、自分の詩を紹介している。ランボーの才能に感嘆したベルレーヌはパリまでの旅費を出してやり、ランボーをパリに呼び寄せる。ランボーはパリにやって来て、妻子持ちであったベルレーヌと奇妙な共同生活を始める。しかしたちまちかれの傍若無人ぶりがベルレーヌ婦人らとの軋轢を産む。以後逃れる様に二人してブリュッセル、やロンドンを放浪し、同棲生活を送る。このあたりの事はデカプリオ主演の映画 「太陽と月に背いて」に詳しい。1873年にランボーが別れ話を持ち出したことから、ベルレーヌは拳銃で脅し、2発発砲する。その一発がランボーの手首を負傷させ、彼は入院し、ベルレーヌは逮捕される。この事件の後、初めての詩集「地獄の季節」を出す。1874年にロンドンに舞い戻ったランボーは「イルミナシオン」を仕上げる。これが最後の作品になった。20歳そこそこのランボーは詩よりも実社会のほうがはるかに創造的で刺激的だとの言葉を残し詩作活動を止め、一時は外人部隊にも所属するなどしていたが、当時拓かれつつあったアフリカに目を付け、エチオピアを本拠に、武器商人まがいなことを始める。その間、詩は書かなかったけど、アフリカ奥地を探検した際の探検記をフランスアカデミーに寄稿している。しかし右膝に骨肉腫を煩い、マルセ-ユに戻り、右足切除の手術を受ける。アフリカに帰ることを願っていたが、結局は帰ることができず、妹のイザベルの献身的な看病にも関わらずマルセーユの病院でなくなった。37歳であった。遺体は故郷のシャルルビルに埋葬される。
早熟の天才。20才にしてすでに詩作活動はやめ、全てを捨てて違う世界へと旅立ってしまう。ベルレーヌはランボーと別れたものの、終生彼の作品の発表の機会を見つけ、ベルレーヌが有名になるとともに、ランボーもパリの文学界に知られるようになる。彼の難解な詩は幻想と現実の境を書いたもの。天才独特の独りよがりで自分のことしか考えない性格は周りの人には大迷惑だけど、世には大きなものを残す。よくも悪くも、大きなことをなす人物は人のことを気にしない。
「夏の感触」引地博信訳
まだ若々しさと幼稚さが同居している詩。最も早い時期、15歳のときの作品。後に世界を放浪する予感を感じさせる。 [Sensation]

夏の青い黄昏時に 俺は小道を歩いていこう 草を踏んで 麦の穂に刺されながら
足で味わう道の感触 夢見るようだそよ風を額に受け止め 歩いていこう一言も発せず 何物をも思わず
無限の愛が沸き起こるのを感じとろう 遠くへ 更に遠くへ ジプシーのように まるで女が一緒みたいに 心弾ませ歩いていこう

「ロマン」引地博信訳
 実は16歳の時の作品。ホモのイメージが強いランボーの女性に対する恋心を呼んだ詩。なんだか背伸びしているランボーが窺えて、天才も少年なんだと思わせる一品。
  I
お利巧さんではいられないさ 俺はもう17歳
  素敵な夕べ ビールもレモネードももうあきた
  カフェときたら騒々しく ギラギラとやかましい
  一列に並んだライムの木陰をそぞろ歩こう
 6月の素敵な夕べに ライムが良い匂いを放つ
  誰だってうっとりして目を閉じるさ
  風は街の音を運びながら
  ワインやビールの匂いも運んでくる
 ?
 
 誰かがスカートの皴を直しているぞ
  小枝模様の群青色のスカートには
  凶つ星がついていて 柔らかく震えながら
  ちっぽけな白い光芒を放っていった 
6月の夕べ 17歳 うっとりするね
  シャンパンの気付のおかげで いい気持ち
  そぞろ歩けば やおら接吻を感ずるんだ
  野生の生き物のように震える唇の先に
 ?
  
 俺の狂った頭はロビンソン・クルーソーの筋をたどる
  ランプの淡い光を目で追い求めていくと
  ひとりの少女が通りがかって一瞥をくれた
  一緒の親父がカラー越しに様子を伺う
  あいつは俺のナイーブさを見抜いたらしく
  ブーツに包んだ足をくるりと回し
  俺のほうに向きかえると肩をすぼめて見せた
  カバティーナの鼻歌をうなってる場合じゃないぞ

 IV
 俺は恋に陥った 8月まではさめないだろう 恋する俺は女のためにソネットを作る 友人たちは俺を見捨てる 俺のことを変だというんだ だがある夕べ 女が俺に手紙をくれた
その夕べ 俺はカフェに舞い戻り ビールとレモネードを注文した
お利巧さんではいられないさ 俺はもう17歳 ライムの木も一列に並んで青々としているのさ

「酔いどれ船」引地博信訳
ランボーの初期の代表的作品だとされる詩。読んでみてくれ。なんと彼が16歳の時の作品。16歳にしてこのような抽象的表現ができるなんて! 今までの生活を総括し、新たな旅立ちへの決意を歌ったものだとされる。自分を難破船にみたて漂流と港への寄港を歌った。

 一隻の船である俺は悠然たる川を下っていく
もはや水夫たちが俺を操ることはない
けばけばしいインディアンどもが奴らをひっ捕まえ
色鮮やかな磔台に裸のまま釘付けにしたからだ
水夫たちのことは気にかけまい
フランドルの小麦やイギリスの綿を運んだ奴ら
奴らともども大波に飲まれた俺は
いまはひとり気ままに川を下っていくのだ
昨年の冬のことだ 獰猛な海の裂け目に向かって
子どものように夢中になって 俺は走った
一艘の船だにもやわぬ半島は
勝ち誇った叫び声をあげていた
 海の上で甦った俺を嵐が祝福した
コルクよりも軽く俺は波頭を踊り狂った
捕らえられたら永遠に逃れられぬ恐ろしい波
十日の間俺は灯台の光を頼りに迷い続けた 
甘酸っぱいりんごの果肉よりも更に甘く
瑠璃色の水が俺の体内にしのびこんでくる
ワインのしみも飛び散ったげろも洗い流し
はしごも碇もさらっていく
俺は海水にどっぷりとつかり 海の歌を聞く
星空を映し出した海は群青色に輝き
俺の青ざめた喫水線のあたりを
溺れた男が夢見ながら流れていく 
すると突然 海を青く染めながらけだるくスローなリズムが日の光を浴びて
アルコールより強烈に 音楽より心広く
褐色の辛い愛を醸成する
俺は稲妻が空を引き裂き
海が迸り上がるのを見る
夕べに続いて夜明けがきて
さまざまなことどもが次々と起こった
低く垂れた太陽は紫の斑をまとい
神秘的な恐怖に彩られている波は古代劇の役者のように
はるか遠くで鎧戸のきしむ音を立てる
俺は夢見る 緑の夜は雪のように輝き
ゆっくりと海に向かって接吻するのを かつてない生気がみなぎりわたり
金色やブルーに 燐が揺らめき歌うのを
来る月もまた来る月も 波のうねりが帆を叩く
ヒステリーの牝牛の群れのように
かのマリア様の輝ける足が
海の轡など蹴飛ばしあそばさるのも知らずに
かくするうちに 俺はフロリダにたどり着いた
人間の皮にパンサーの目と花が混じりあった土地だ
虹は引き伸ばされた手綱のように広がり
水平線の下で羊の群れに溶け合った
広大な沼地が沸騰し
魚簗にかかったリバイアサンが腐りかけている
静寂の中を水が渦巻き
深淵に向かって流れ落ちていく
 氷河 銀色の太陽 真珠の波 灼熱した石炭色の空
  難破船の残骸が湾の底に横たわる
蛆虫の餌食になった大蛇が
捩れた枝から異臭を放ちながら落ちていく
イルカたちを 子どもらに見せてやりたい
青い海を泳ぐ 黄金の歌う魚たちよ
あいつらの立てる飛沫が俺を揺さぶり
言いようのない風が俺に翼を運んでくれる
時には 極地の旅に飽きた順礼
海のため息が俺の不安をなだめてくれる
海が俺に向かって盛り上がると俺はその上に横たわる 膝まづく女のように
まるで島にいるようだ 俺のいる浜辺に向かって
けたたましい鳥たちが糞をたらしていく
俺はあてもなく漂流する
溺れた男が索条を越えて船尾のほうへ流れていった
俺は入り江の草むらの中で迷子になった船
ハリケーンに吹き飛ばされ 鳥も飛ばない空中にさまよう
俺の残骸は 泥酔して水を被り
海難監視船もハンザの船も助けてはくれぬだろう
自由気ままに煙を吐き 紫色の霧から起き上がった俺は
赤く染まった空の壁を突き抜ける
そこには 詩人たちも美味だというものがある
海の色と溶け合った太陽の苔瘡
星々の電気を浴びて俺は走る
竜の落とし子をエスコート役にして
すると七月の大気は棍棒の一撃を以て
ウルトラマリンの空を赤いジョウロに流し込むのだ
俺はおののき 遠くにベヘモスのうなり声を聞く
またメールストレームの暗い深淵
  死をつむぎだす永遠の深淵を
今の俺には懐かしいのだ ヨーロッパとそれを囲む古い墻とが
だが俺は十分すぎるほど涙した 夜明けが痛い
月は残忍で 太陽は昇るたびに辛辣だ
  愛が俺を飲み込んで麻痺させる
船体よ裂けよ! 海の藻屑と消えん! 
俺は散りばめられた無数の星を見る
  島々を空が覆い すべての船乗りを迎え入れる
寝ているのかお前たちは この底なしの夜の中で
数知れぬ黄金の鳥たちよ 未来を生きるものたちよ
ヨーロッパに俺の浮かびたい水面があるとしたら
それは黒くて冷たい水たまり
悲しみに蹲った子どもが芳しい黄昏に向かって
5月の蝶のように壊れやすい船を浮かべる水たまり
波よ お前の倦怠に漬かってしまった俺は
もはや綿を運ぶ航海に出ることはできぬ
旗やペナントをはためかして走ることも
廃船を尻目に航海することもできぬ
  抽象的な表現の中に自分の思いを歌った16歳 
                    (凡々たるpenpenはいやになる)

生物の多様性(6)

2008年08月09日 20:17

陸を目指した生物

今度はTsuka-kunnからの宿題。「進化の過程で生物が水中から陸上に進出できた条件は」何か? まず植物が陸にあがり動物がその後を追ったようだ。
 シルル紀からデポン紀にさしかかる頃、植物がそろそろと陸上へと進出し始め、それに続いて節足動物も上陸を果しつつあった。陸上への進出は浮力が働く水中生活から重力がかかる空気中に移動するだけの問題ではない。組織は壊れ易く、乾燥はやっかいな問題であった。そこで陸上に進出した植物は、葉緑体の外側に鑞質の皮膜を発達させる必要があった。しかし鑞質の被覆を通して呼吸するとなるとべつの問題が生じてきた。なにしろ水分を保持しつつガスだけ交換しようというのだ。その問題に対して食物は葉の表面の細胞の配列を変えて気孔を作り出した。気孔はそこから空気を取り込み、水分が減少すると気孔周辺細胞が膨らんで孔が閉じる仕組みになっている。一旦このような空調設備を整えると根を伸ばして栄養分の吸収をしたり、緑色の葉状体表面で光合成を行ない、空気と光に満ちた世界に拡大して行った。
 一方、動物で真っ先に陸上に進出したのは節足動物であろうと考えられている。水中から陸上への移行期に瞬間ではあるが節足動物は食物連鎖の頂点にいた。しかし節足動物は外骨格の持ち主であり、内蔵や筋肉をおさめた管を連結したような構造をしている。そのせいでサイズが大きくなるにつれ、より強固な外骨格の必要があり、物理学的な限界、重力への対抗の限界が起こる。呼吸についても同様で、体内に取り込む酸素は表皮から吸収するしかない。たいていの場合、肺として機能を果たすのは体表と接続された細い管(気管)にすぎず吸い込まれた空気はその気管を通って体の各部に送られた。サイズが小さい間は単なる拡散による酸素の伝播でよかったが、サイズが大きくなるとそうもいかない。従って呼吸能力の限界が体の大きさの上限を設定することになる。それでも食物連鎖の頂点にいた海サソリは体長が2mにもおよび、そのため活発には動けなかった。想像するに海サソリはほとんどが水中で暮らしていたが、じっと泥沼のような場所に潜んでいて、獲物が近づいた瞬間に蓄えておいた瞬発力を爆発させて獲物に飛びかかった可能性が大だ。しかし水中での王者の位置はあごを持つ魚が登場することで、蹴落されてしまう。魚が水中での君主の位置を占め、更には陸上も制覇するようになる。
 植物が陸上に進出してまもなく節足動物に続いて、背骨をもつ動物達がその後を追った。デボン紀には背骨とあごの両方を持つ魚が登場した。あごを持つ魚にはトカゲ、コウモリ、鳥、恐竜等陸生動物の全ての祖先となった一種も含まれていた。
 魚が上陸すると初期の頃はハゼのように水陸が接するような水際をうろついていた。これら陸に上がった脊椎動物に生えた足はかなり貧弱なものだっただろう。足は現在の魚の中にもひれを足代わりに歩くのがいるように、ひれを足へと変化させていったと考えられる。しかし例の如く、生き残りをかけた競争によってたちまちりっぱな足へと進化した。
 陸上生活には肺も必要だった。魚のもつえらではたちまち乾燥してしまう。小型の小動物では気管という細長い管を体内に引き込むことでこの問題を解決したが、体が大きくなるとこの手は使えない。当時の脊椎動物のなかで肺魚が呼吸器官を早いうちから発達させていた。肺魚は体内に収納した肺と気管の湿った壁から酸素を吸収している。そして一旦出来た肺は壁をどんどん折り畳んで酸素の吸収効率を上げるような進化をとげた。体から水分が奪われるのを防ぐうろこ(皮膚)、よたよたと動かせる4本の足、そして肺を備えた時点で水を離れて陸上をのし歩く事が可能となった。つまり動物の陸上での生活条件は皮膚と足と肺の発明にあった。そして広々とした、緑豊かな、光一杯の陸地での生活が始まる。しかし幼生段階を水中で過ごすという習慣は後々まで残る事になる。一旦陸上への進出を果たすと、すぐさま凄まじい競争が始まり、頂点を目指して様々な進化が始まった。
一方、植物はできるだけ動物に喰われない様な、うまく動物を利用して受粉したり種子を遠くへ運ぶ進化をする。次回に植物と動物の敵対関係、共存関係について話す。

原爆の日に思う

2008年08月06日 12:11


 福永武彦 草の花
人はみな草のごとく、その光栄は草の花のごとし
         ペテロ前書 第一章
 学生時代福永武彦の小説はよく読んだ。少し内容が重厚で現代向きではないかも知れないが、原爆投下から63年の今日は真面目な話題、生きるとは,信じるとは、潔癖とはについて考えさせる「ふかーい」小説についてのお話。

 汐見茂思という知的な青年は戦時下にあまりに潔癖に生きたがために友達を失い、恋人を失い、孤独に生き、戦後ひっそりとサナトリウムで死んでいく。この孤独は理知からきている。理知が彼を潔癖にし、潔癖が彼に妥協を許さない。そのため彼は友を失い、恋人を失う。若者の特権は自由であること潔癖であること。自由と潔癖については「青が散る」にも出てきた。潔癖を求めすぎると自分の考えに忠実すぎると自分も他人も不幸になる。今日の話しは現代では考えられないくらい余りに愚直な生き方をした若者達である。

 話は旧制高校時代の伊豆の戸田(へた)での弓道の合宿から始まる。汐見は同じ弓道部の藤木に好意をいだく。しかし藤木は「僕はそっとしてほしいんです、と弱々しく繰り返した。ぼくは足を停めた。砂浜の上に引き上げられた漁船が、月光に照らされて,奇怪な格好で寝そべっている。僕は悪夢のなかにでもいるように遠ざかっていく藤木の後ろ姿を眺めていた。失われていく。失われていく。執着と絶望。寄せては返す波のように、執着と絶望」。と藤木と別れることになる。

「僕は夜露に濡れていつまでも動かなかった。この海に、肉眼に見えない原生動物が幾百万となく浮遊して蒼白い光を放つように、あきらめ切れぬ心と死の誘惑とはさまざまの模様を描いて僕の精神に発光した」。

その藤木が高等学校3年の冬休みに、敗血症で亡くなる。
塩見は大学を卒業して藤木の妹、千枝子とつきあうようになる。千枝子は熱心なクリスチャン、しかし汐見にはどうしても神を求めることができない。
戦局はますます悪く、汐見にもいつ招集礼状がくるか分からない。そのような状況下。「電車から降りてもこの気分は続いていた。暗い坂道にかかると、僕はポケットから手をだし、千枝子の肩を抱くようにした。ほっそりした肩は、素直に僕の方に凭れかかった。 汐見さん、と千枝子が言った。この前、汐見さんたら何処に幸福なんかあるものかつて怒ったでしょう?  でも、今は幸福じゃなくて? ああ幸福だよ。君は? あたしも。千枝子は低い声でそう呟いたが、俯いていたのでその表情は見えなかった。僕は足をとめ、肩を抱いた手に力を入れて、そっと僕の方に向きを変えさせた。乏しい街路灯の光が、彼女の顔の上に僅かばかりの明かりを投げていた。その顔は永遠の中に凍りついたように見え、薄氷に似た羞恥がほんのりと浮かんでいた。ピアノの和音が、さらさらと光りながら僕の意識の中を通りすぎた。僕が顔を近づけると、千枝子はそっと両手を僕の胸にあてた。駄目よ。」

  浅間山の麓で千枝子に再会する。山道を二人きりで歩きながら、千枝子は「どうしても神を信じないのね?」と訊いた。 「信じない。 じゃあ何を信じるの? 何も信じない。何も信じないの?私も信じてくれないの?君?君は信じるよ。君だけは。でも,でも人間の心何て脆いものよ。神の愛はかわらないけど。人間の愛には終わりがあるのよ。」「彼女の断髪の髪がさらさらと僕の頬に触れた。乳房が一層暖かく、僕の手の中に盛り上がった。僕はその身体を折り曲げるようにして唇を探した。花を潰しちゃあ駄目よ、とさけんだ。しかし次の瞬間に、僕らは固く抱き合って、崩れるようにその場に倒れていた。湿っぽい草の匂いと、少女の瑞々しい肌の匂いとが、僕の意識を充たし、熱い唇の感触がその中を火花の様に貫いた。」

  結局、お互いの潔癖な考えがぶっつかり合い、いつしか会わなくなってしまう。汐見には招集礼状がきて、兵役につくことになる。連絡がとれないまま汐見は列車に乗り出征していく。

「品川はすぐだった。汽車が品川を出ると、僕は蒸気で曇った窓ガラスをハンカチで拭いた。次から次へと灯影が暗闇の中を走りすぎるのを、ぴったりと窓ガラスに顔を寄せて、僕は一心に見守つた。ガラスに触れた鼻の頭が,痛いほど冷たかった。夜なので、地形も分からず、小さなアパートの燈火を認めようとするのはむつかしかった。それは殆ど不可能だった。僕は息を殺していた。しかし僕はそれを認めた。認めたと思った。千枝子の部屋の小さな明かりが,一瞬、僕の網膜に焼き付いて、流星のように走り去った。そして、いくつもの燈火が、後から後からと流れていった」。
 
千枝子は信者と結婚する。汐見は復員後、重い結核にかかり、サナトリウムに入院。虚無的な生活を送り、冒険的な手術に志願して、一人寂しく死んでいく。
 
この作品を貫くのはぞっとするような孤独だ。冷静な理知の目には人生の現実はそのような残酷なものらしい。潔癖に自己の理性に基づき、妥協しない純粋な生き方は、天の道であって、人の道ではないのかも知れない。ただこのような潔癖さ、純粋さも原爆開発を行ない、平気でそれを正当化する人類の汚さに対抗するためには必要なのかもしれない。人類は破滅すると分かっていても正義の名の下で愚かなことを繰り返す動物であるようだ。


生物の多様性(5) part 4

2008年08月04日 19:30

Flying 4 鳥類の出現
今から1億4500万年頃前のジュラ紀後期になると羽毛をもった鳥の祖先が誕生した。よく知られている始祖鳥(Archaeopteryx lithographica)である。始祖鳥の化石はドイツのゾルンホーフェン地域のジュラ紀後期の地層から初めて見つけられた。始祖鳥は現在の鳥たちと異なり、歯がはえ、胸骨も平で、長い骨の尾をもっていたが、現在の鳥が持っている羽枝、小羽枝(羽枝に生じる小毛)と小鉤(小羽枝に生じた小突起)の3構造よりなる風切羽をもつように進化していた。風切羽は羽軸に対し著しく非対称で、飛行機の翼と同じ構造をとり、揚力を生むことができた。羽を持つ以外の形態は小型肉食恐竜に良く似ている。始祖鳥は羽を持った恐竜と呼んで差し支えないくらいだ。更に羽毛は体温の保持にもすぐれ、小型の鳥でも体温の保持に有利であった。しかし温血動物であったかというとそうではなかった可能性が高い。温血性は進化の系統樹において鳥類がもっと進化した過程で獲得したと考えられている。始祖鳥は力強い飛行はできたけれど、どちらかというと走ったり、跳んだり、滑空したり、羽ばたいたりして生活していた。
鳥がどこから進化してきたのかの説には二つのモデル「tree-down model」と「ground up model」がある。「tree-down model」によれば鳥類の先祖は樹上で生活し、現在のリスやむささびに近く、木の間を滑空していたとするもの。一方「ground up model」によれば祖先は地上で生活し、跳ぶ羽を発達させてきたという。このどちらかであるかの結論は未だでていない。
翼竜と鳥類が進化の過程でどのように競い合ってきたか? 羽の創製は進化において革命的なで出来事であった。羽を産み出すことにより、一気に大空を独占できた。 鳥の羽の構造は揚力を得るのに有利で、航空力学的にもコントロールした飛行にも適していた。また飛行に重要な体温の保持にも羽毛は適し、鳥達は大空での生き残り競争に勝利し小型の翼竜たちをたちまち絶滅させた。温血性を獲得した鳥は地球上の温度が低下した大絶滅期にも生き残った。一方、体温の保持できない恐竜や大型翼竜は絶滅の憂き目をたどった。羽という飛翔の道具の開発が大空を制した。
図1始祖鳥、図2 始祖鳥の羽、図3 羽の非対称性と揚力発生の仕組み、

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生物の多様性(5) part 3

2008年08月04日 12:17

Flying (3)    翼竜と鳥の出現
翼竜(Pterosaur)は2億2500万年前頃三畳紀中期に恐竜から別れ、空を初めて飛んだ脊椎動物である。最も古い翼竜はユーデイモルフォドンで、長い歯の生えた顎と長い尾を持ち、中生代ジュラ紀中期になると歯のない、尾のない新しい型の翼竜、プテロダクテイルス類が現れた。恐竜が動き回るジュラ紀や白亜紀の大地の空は鳥類よりもはるかに多くの翼竜が舞っていた。分類的には脊椎動物門、爬虫網、翼竜目である。翼竜の翼は長く伸びた第4指(第5指は退化)と脚の間に膜がはったもので、第1指から第3指は翼の先端に残ったままで、自由に使えた。翼は腕の骨と長大な第4指(翼指)に支えられた皮膜でできた飛行膜である。コウモリの翼は親指以外の指が全て翼を支えて、より自由な飛行に適した様にさらに進化している。羽は生えていなかったが、膜は毛で覆われていた。毛をはやすことにより、飛行に要する巨大なエネルギーを発生させるため筋肉を動かすのに必要な体温を保持する役割を果たした。更に、骨は中空で両端が開いた型で、軽量化に成功し、より飛行に有利なものと進化した。他の爬虫類と異なり、それまがった胸骨を完成させ、飛翔筋や脳が結合できる型となった。翼竜は形態とサイズの面でとんでもない多様な種類を進化させた。ツグミ大の小型種から飛翔動物としては最大の翼開帳をもっていた空飛ぶ怪獣のような大型種までいた。特に白亜紀になると大型化の傾向が著しく、翼を広げた状態で、15mに及ぶアステカの恐ろしい神の名をとってケツアルコアトルスとなずけられたものもいた。翼は肩の関節や胸骨の構造からみて羽ばたけるのは間違いないが、高速では羽ばたけなかったようだ。大地を大型恐竜たちが闊歩している上空を翼竜は羽ばたいて高速で飛んだというより、優雅に上空を滑空していたという方があたっていたかも知れない。しかし小型の翼竜は初期の頃の鳥類との競争に破れ、それが絶滅につながっていったと信じられている。大型の翼竜はその後も生き残ったが、最後は恐竜とともに、白亜紀の大量絶滅期に滅んだ。鳥類は生き残った。
図 なぜか北朝鮮が発行している翼竜の切手

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生物の多様性(5)part 2

2008年08月02日 11:13

Flying (2)   翔の進化
昆虫が翔を生み出し、最初はただ短距離を飛ぶだけだったのが、次第に現在のトンボのように自由自在にコントロールした飛翔が出来るように進化をとげた。長い距離、自在に飛ぶには翔の航空力学的な変化や翔を素早く自在に動かすための筋肉の進化が必要となる。昆虫にとって翔ができ、飛翔できるようになると、それが摂食においても異性との出会いにおいても圧倒的に優位になる。そこでこの大切な羽を保護するため、多くの昆虫では羽を折り畳むという進化も生じてきた。カブトムシやてんとう虫は4枚の羽の2枚をもろい翔を保護する固い殻の翔へと進化させた。しかしトンボはそのような進化をせず、4枚の翔は伸びたままで、もろい構造を持ったままであるが、むしろ高速飛行を獲得するように進化してきた。飛ぶための動力を発生する飛翔筋も進化した。
飛翔を行なう筋肉には2種類ある。一つは直接翔に筋肉がついている、原始的でコントロールされた飛行や高速飛行に向かないDirect muscleで、もう一つがより進化した形で間接的に翔についているIndirect muscleである。
Direct muscle系では翔が胸部の先端のヒンジ部分に直接結合し、接合部分が回転することで翔を上下に動かす。筋肉には上方に羽を動かす筋肉と下方に動かす筋肉があり、羽を上下に動かす仕組みになっている。この構造の欠点は筋肉の弛緩,収縮が脳によってコントロールされているため、羽ばたきの頻度を上げる事ができず、バッタのように不器用な飛行しかできないことである。
そこで高速の飛行を実現するため昆虫はindirect muscle系を作り出した。この系では2つのヒンジが胸部にあり、ひとつは胸部の側壁に繋がり、ひとつは背板(tergum)に繋がる。2種類の筋肉のうち、背腹筋はtergumにつながり、収縮すると羽を上に上げる。長軸筋は収縮すると羽を下げる。この系では羽ばたきの回数を劇的にあげる事ができ、gnat(ブヨ)は一秒間に1000回も羽ばたける、またハエも200回羽ばたく。この系だと羽の動きをシンクロナイズすることができ、筋肉も脳から頻繁な指令を必要としない。筋肉はリズミカルに動き、非常に速い羽ばたきが可能となった。一方、脳はスタート、ストップ、進路変更時だけ指令すればよい。この飛行装置の出現により、昆虫は高速で長時間の飛行が可能となった。
図1: Indirect muscle for flight, 図2: Direct muscle for flight. From Insect Flight by Dr. Christian Damus

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