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北条氏の興亡

2008年10月31日 13:23

戦国時代の始まりと終わり

北条早雲をもって戦国時代の始まりとし、自分より上位で権勢を誇る者を権謀術数をもって次々と滅ぼす下克上の典型のように称せられる。また大器晩成の典型でもある。
しかし実際は室町幕府の政所執事を勤めた備中の伊勢氏の一族で将軍の申次衆である伊勢新久郎盛時なる人物で、名門の出とされる。
司馬遼太郎の「箱根の坂」による早雲の一生では。早雲の妹は駿河の守護大名今川義忠に嫁いで、北川殿と呼ばれていたが、当主の義忠が一揆によって戦死してしまう。この時義忠の息子には竜王丸(後の氏親)がいたが、まだ6歳。跡目争いが起こり、家臣の中には義忠の従兄弟である小鹿範満(おしかのりみつ)を当主に推す一派が現れ、今川家中は二つに割れた。早雲は堀越公方の命を受けた上杉政憲や扇谷上杉家の家宰太田道灌に談判し「竜王丸が元服するまでは小鹿範満に家督を代行させる」という折衷案を持って争いを収めた。その後、早雲は一旦、京に上って幕府に仕えていたが、竜王丸が17歳になっても、小鹿範満は約束を違え今川家当主に居座っていた。北川殿は約束が反故になるのを恐れて、早雲を京から呼び戻した。早雲は密かに駿府に戻り、兵を集め、小鹿範満を駿府今川館に急襲し、殺戮。竜王丸は当主に座わり、元服して今川氏親を名乗る。早雲は駿河国駿東郡の興国寺城を与えられて、氏親の後見人として駿河に残った。この時早雲は56歳であるとされる。これ以後、さまざま権謀術数、敵を欺き、奇襲し、這い上がり、関東の地に覇を唱えるまでになる。
 
まずは伊豆への進出である。堀越公方足利政知が死んだ。子には先妻との間に生まれた長男茶々丸と、後妻円満院との間に生まれた次男潤童子と三男清晃がいた。円満院は潤童子に跡目を継がそうと茶々丸を土牢に押し込めてしまうが、茶々丸は土牢を抜け出し、継母円満院と潤童子を殺し、堀越公方二代目の座についた。清晃は堀越御所から京都へと逃げた。だが、継母殺し、弟殺しの茶々丸の人望はなく、家臣とも対立していた。
 早雲はその混乱を利用し、氏親から兵を借り、警護が手薄な時期をみて堀越御所を急襲した。その時、堀越御所を守る山内上杉家の兵は扇谷上杉家との戦いで出払っていた。茶々丸は逃亡し、早雲は御所近くに韮山城を構え、伊豆支配の拠点とした。
 次に早雲の目は相模国に向かった。西相模の要衝である小田原城には大森氏頼がいたが、早雲も氏頼在命中には小田原攻略はできなかった。その氏頼が亡くなり、息子藤頼が後を継いだところで早雲は行動を起こした。手紙や珍品のやりとりなどで藤頼が気を許したところで、「伊豆で鹿狩りをしていたら鹿が小田原城の裏山に逃げてしまった。鹿を追い返すために勢子を入れさせて欲しい」、という手紙を藤頼の元に届けた。藤頼はこれを許し、早雲は勢子を入れたが、これは勢子に扮した早雲の兵で、裏山から一気に小田原城を攻め落とした。早雲64歳のことである。その後、新井城に寄る三浦義同・義意父子を討ち、相模全土を平定した。既に早雲は85歳になっていた。
早雲が氏綱に家督を譲ったのは早雲87歳、氏綱32歳。この翌年早雲は韮山城で没した。早雲の後を継いだ氏綱は北条氏を称して武蔵国へ領国を拡大。以後、氏康、氏政、氏直と勢力を伸ばし、五代に渡って関東に覇を唱えることになる。

しかし織田信長が武田勝頼を滅亡させ、甲斐は河尻秀隆に、信濃の1部と上野の西部は滝川一益に与えられ、一益は関東管領をも自称した。しかし信長が本能寺の変で横死し、甲斐の河尻秀隆が土豪一揆で殺害されて無主の国となると、氏直は5万を称する大軍をもって滝川勢を駆逐し、さらに信濃・甲斐侵攻を開始した。北条軍は金窪城で滝川軍と激突し、初戦でこそ敗退したが、一益軍に勝利した。佐久・小県郡を支配下におさめ、更に諏訪へ進軍する。しかし徳川家康も武田家亡き後の甲斐に触手を動かし、侵攻してきた。「甲斐は祖父(武田信玄)の旧領国」ということで領有を強く望む氏直と、徳川軍との対陣は80日間に及んだ。結局、上野は北条、甲斐信濃は徳川が領有し、家康の娘、督姫が氏直に嫁ぐことで両軍の和睦が成立する。家康と同盟を結んだ後、氏直は下野・常陸方面に侵攻して勢力拡大を目指し、佐竹義重や結城晴朝、太田資正らを圧迫した。しかし中央で信長の死後、その重臣だった豊臣秀吉が台頭し、関東惣無事令が発令されて私戦が禁止される。しかし、父の氏政には北条は関東に覇をとなえる名門大名との自負が強く、秀吉などは成り上がりのとるに足らぬ存在だと、時代の流れをクールに見る目に欠けていた。
氏直は続いて、沼田、上田方面への進出を画策し、上田昌幸と衝突を繰り返す。上田昌幸は戦略上、徳川、北条に対抗するため、越後の上杉景勝に同盟して、その背後にいる秀吉に近づき、上杉、秀吉連合に加わり、徳川、北条連合と対立する。北条は秀吉の調停により沼田城を奪取した。しかし、それにも満足せず、強硬派の父、氏政にそそのかされ、秀吉の許可なく真田昌幸の支城・名胡桃城を奇襲した。これが秀吉の逆鱗にふれる。それでも秀吉は氏直に大阪に挨拶にくる様にと下手に出るが、関東を仕切るのは北条だとの自負といざとなったら徳川が味方につくだろうとの読みから、首を縦に振らなかった。1590年、秀吉はついに討伐令を全国の諸大名に通知し、大規模な小田原攻めが始まった。氏直はこれに対して小田原城で籠城したが、秀吉の大軍による小田原城の完全包囲、水軍による封鎖、支城の陥落などに加え、重臣の松田憲秀が秀吉に内応しようとしたことなどから、遂に秀吉方の武将・滝川雄利の陣所へ赴いて降伏する。
氏直は徳川家康の娘婿であったこともあり、助命されて紀伊高野山へ追放され、高室院にて謹慎生活を送った。これをもって戦国時代の終わりとなる。
北条氏は戦国時代の幕開けとなり、戦国時代の終焉とともに滅んでしまった。

いつの世でも自己のプライドや偏見によってまともに情勢判断や時代の流れを見定めようとせず、国や会社を滅ぼした人物は多い。最後まで秀吉にたてついていた、伊達政宗は小田原攻めに際し、時代の大きな流れを読み、若干20歳の若者ながら、自己のプライドを押さえ、それまでの非礼の許しを請うため、白装束で成り上がり者の秀吉の前にひれ伏したという。その際、秀吉はもう少し遅かったならここがとんでいただろうと首を鞘で叩いたとされる。
プライドを棄てて生き残るか、こだわり滅ぶかの分かれ目で、島津や伊達家は残り、北条は滅んだ。家康は信長、秀吉時代、全てをすてて耐え忍び、徳川家を保ち最後には天下をとる。

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パラサイトの戦略

2008年10月20日 15:08

まるでホラー映画みたい

Leucochloridium(ロイコクロリデイウム)の戦略

カタツムリに巣くう吸虫(ロイコクロリデイウム、Leucochloridium or レウコクロリデイム)は一風変わったパラサイトだ。カタツムリは通常葉っぱの裏など鳥に目立たない、湿気の多い所を好む。しかしカタツムリにこのパラサイトが寄生すると脳に移行して、カタツムリの行動を操り、木の上の葉の表面の、鳥に目立つ所に移動させる。鳥に狙われ易い場所に移動させると今度は、パラサイトはカタツムリの触覚に移動し、散髪屋の前に立つ、赤と白のかん版のように、ぐるぐると回転運動をして簡単に鳥に見つけられるようにする。上空で回っていた鳥がそのカタツムリを見つけて食べると、パラサイトは鳥に感染して成虫になるまで鳥の体内で生活する。
成虫になった寄生虫は卵を産み、それが鳥の糞とともに排泄される。その糞をカタツムリが食べてパラサイトは再度カタツムリに感染し、を繰り返す。寄生虫にしてみれば鳥が宿主で,鳥の体内に入らなければ生きて行けない。鳥とカタツムリに寄生することで、一生のサイクルを終える。この寄生虫はなんといっても、カタツムリを操って鳥に食べられ易くするという高度なテクニックを獲得したことに進化を生き抜いてこれた秘訣がある。
その過程を描いた映像:http://jp.youtube.com/watch?v=EWB_COSUXMw


Dicrocoelium(ジクロコリウム)の戦略

この寄生虫は羊や牛などの草食動物の胆管に寄生している。成虫になり卵を産むと、卵は動物の糞とともに排出される。それをカタツムリが摂取すると、カタツムリの消化管に第一中間宿主として寄生し、成長する。最終的にセカリア(cercareae)となる。カタツムリはセカリアを草に排出する。さらにそれを第2中間宿主のアリが食べ、寄生虫はアリの腹部でメタセカリアとなりる。この寄生虫の巧妙なところは、アリを草の上へ上へと誘導し、牛や羊が食べ易いようにすることだ。多分、アリを出来るだけ明るい天空を目指すようにそそのかすのであろう。寄生虫はまんまとそのアリを草とともに食べた牛や羊に忍び込み、胆管に潜んで成虫にまで育ち、卵を産む。このサイクルの繰り返しでこの寄生虫は増殖していく。

Galactosomum(ガラクトソマム)の戦略
この寄生虫の幼虫はブリや、イシダイ、トラフグ、マアジなどの魚の間脳に寄生する。 寄生された魚は鳥に捕食されやすいように海面を旋回など異常遊泳をする。 その結果、この魚はウミネコなどの鳥に捕食され、寄生虫はまんまと鳥の体内に入り込む。ウミネコが最終宿主であり、 成虫にまで成長する。その後鳥の糞とともに体外に出ると思われるが、糞から魚までを媒介する第一中間宿主は分かっていない。感染した魚は海面をぐるぐると旋回し続け、鳥にいかにも食べてくれと言わんばかりの行動を示す。魚である第2中間宿主と鳥の間を感染しながら増殖を続ける。人には感染しない。この寄生虫の戦略は魚の脳をコントロールして鳥に食べられ易くすることだ。

このように寄生虫の中には様々な手段を使って、宿主をコントロールして、他の動物へ感染し易くするものがあり、まさにエイリアンそのものだ。映画の世界よりも現実の方が怖い。

恋文

2008年10月18日 14:39

恋文

連城三紀彦が直木賞をもらった小説。映像的な風景描写もミステリアスさもない。連城三紀彦の短編にはこのような、日常ありふれた生活の中で、頼りない、落ちこぼれ気味の男がただただ優しくて、日常でないことを扱った小説がある。頼られたことへの義理と優しさを追求し、現実にはありえない? 小説としては、ほんのりほのかな明るい気持ちになる非現実を扱った作品。

郷子は婦人雑誌者に勤め、編集者として活躍しているキャリアーウーマン。夫の将一は子供をひきずったまま大人になったような、中学校の美術の先生。一人っ子の優は妙にしっかりした小学4年生。結婚10年のありふれた日常のある日。
「ぼくのお父さんにそのラブレターが届いたのは春休みに入ったつぎのつぎの日でした。お母さんが仕事でるすのときで、お父さんはめずらしくマジメな顔で読んでいましたが、ぼくがのぞきこむと大あわてでかくしてしまいました。ぼくもその手紙を読んだのでだいたいわかるのですが、その女の人はお父さんが結婚する前につきあっていた恋人で、最近難しい名前の病気になり、いのちがあと半年しかないとわかって、かなしくなって10年ぶりに学校へお父さんを訪ねていったのです。そのときお父さんは女の人にまだ結婚していないとウソいったようです。そうして死ぬまで自分がいっしょにくらしてせわをしてやるといったようです。手紙に、女のひとは、あなたがそういってくれたので本当にうれしかった。いろいろかんがえたけどあなたの言う通りにしたいとかいていました。お父さんはお母さんとぼくをすててその女の人のアパートへ行ったのです。そのラブレターが届く前に、お父さんはもう家出する決心だったみたいです」という優の相談の手紙が偶然郷子の勤める出版社に届く。

「あんた本当にあの女に惚れてるんでしょうね。同情とかそんなことで、たとえ半年でも私たちを棄てたのなら、私、いやだから」将一は「ほれてるよ」ぼさっと答えた。「だったらいいわ」
「学校に未練ないの?ないね、俺、今の方が多少ましなものをうっているもの十年前から魚売ってりゃよかったよ」「ほんとよ。そうしてくれてたら私も結婚せずに済んだ」おれが教師だったから結婚したわけ?」郷子は正直に肯いた。そして郷子がふりむくのを待って呟いた。「別れてくれないかな」
あいつ10日後にまた手術受けることになった。君も気づいていたかもしれないけどこの頃、夜中なんか闇の中で見るとぼおっと雪みたいにしろいんだ。俺きちんとしたいんだよ。形だけ式あげるなんて。あいつ可哀想だよ」「死んでいく人にはきちんとして、生きてく私や子供にはきちんとしなくてもいいっていうの」結婚式は手術の3日前におこなわれた。式といっても病院の地階にある食堂を借り、医師と看護婦、それに患者仲間が集まるだけの簡素なもの。
「俺ラブレター貰った」「馬鹿ね。離婚届けじゃないの。あんたの分の印鑑もおしといたから」
2週間後。病室に飛び込んだ時目にした窓の向こうの入道雲は短い間に形を崩し、花火の余韻に似た筋を青空にひいていた。一人の死の傍らに、いつもと変わりなく、風は流れ、風鈴は鳴り、カーテンは揺れていた。
「戻ってきてくれるわね」将一は黙って首をふった。分かってた。鎌倉に行った時から、あんたが、江律子さんが死んでも家へは戻ってこないつもりだったこと」 でも私、あんなラブレター書いたじゃない。あんな凄いラブレターもらって心動かさなかったら、最低の男だわ」その言葉とともに、それまで忘れていた涙が目に溢れた。

現実ははドロドロの愛憎が入り交じり、なんともいやな結末になるのだが、小説の世界ではさらっとながしてストーリーを展開できるところが、難しいテーマを扱っているのに、ほのぼのとした気分になる所以か?登場人物の心の襞の微妙な動きが織りなすあやの描き方は連城三紀彦特有のなんともいえずうまい文章。優しさと,自己中心的な考えと、見栄っ張りと、義理と人情とがごっちゃになったようなストーリー。
「恋文は離婚届」という結末にこの小説のうまい落としどころがある。

星々の悲しみ

2008年10月15日 09:23

またまた宮本輝

宮本輝に関してはすでに「青が散る」や「錦繍」を通して運命に翻弄される人の姿と運命にあがらいながら強く生きる姿を描き、その背景にでてくる美しい風景描写とともに、人の優しさ、悲しさ、逞しさを教えてくれることを述べた。

星々の悲しみ

最初に読んだ宮本輝の小説は「星々の悲しみ」であったが、なんとこのタイトルの哀しくて切ないこと。主人公「志水という青年、宮本輝本人」の青春を描いた小説。高校を卒業し予備校に入るが、勉強に熱が入らず、予備校にも通わず、図書館へ通いつめ、小説を読むことに青春を費やし、162冊の小説を読破した。

私の青春時代も、大学に入ったものの、将来の夢も希望も持てず、現実の重さが分かり始めてきた、大人への成長過程で、図書館で、河原で、公園で、お寺の石段で学校にも行かず300冊近くの小説を読んだ。小説の神に憑かれたかのように、なにもせずに、乱読した。幼い頃、トンボ採りや化石採りに熱中した憑きが小説に現れた。

そんな時、志水は二人の予備校生、有吉と草間に知り合い、一緒に「じゃこう」という喫茶店で時間をつぶすのを日課とする。そこには一枚の絵画が架けられている。「葉の茂った大木の下で少年がひとり眠っている。少年は麦わら帽子を顔にのせ両手を腹のところにおいて眠りこんでいるのである。大木の傍らに自転車が停めてあり、初夏の昼下がりらしい陽光がまわりを照らしている。さやかに風が吹いているのか、葉という葉がかすかに右から左へとなびいている。それだけの絵だった」絵の下に絵の題と作者名が書かれ「星々の悲しみ」島崎久男1960年没、享年20とある。この絵に魅せられた志水は隙を見て盗み出し、自分の部屋に飾り、木陰で眠る少年がなぜ星々の悲しみなのだろうと考える。有吉と草間は二人とも医学部志望であるが有吉は2枚目で秀才、一方の草間は3枚目で成績はクラスでも中位。2人はよく志水の家に遊びにくるうちに、草間は妹の加奈子を好きになり、加奈子は有吉に好意をいだく。後に新聞で画家の島崎久男は幼い頃から腎臓を病み、長い闘病生活の末に逝った青年だと知る。
夏が過ぎ、読書にある種の歓びと充実を感じる様になった9月。有吉が腰の病気で入院する。11月のある日。初冬の夕日が落ちてきていた。有吉はあおむけに寝て、首を窓にむけたまま、ぼくに話しかけようともせず、じっと暮れなずむ空に向けていた。「俺、なにをやっても、あいつには勝たれへんような気がしてたけど、やっぱりそうやったなあ」。と有吉がつぶやく。でも「草間のやつ、俺の妹に気があるんやけど、妹はお前のことが好きなんや」というと。いきなり、有吉は「―――俺は、犬猫以下の人間や」と叫ぶ。その叫びに「ぼくは烈しい恐怖と憂愁に、夕暮れの彼方から手招きされているような気持ちにつつまれたのだった。逃れようのない決定的な絶望に勝つためには、人間は祈るしかない筈だった」。それから20日して有吉は亡くなる。

絵を返そうと思い、絵をじっと見つめていると、絵の作者は、自分の死んでいる姿を描いたのだと思えてきた。ぼくは、葉の繁った大木の下に有吉を横たわらせ,そのとてもきれいな死に顔を麦わら帽で隠した。

冬の寒い朝。妹と絵を返しに自転車で「じゃこう」に走った。ぼくは有吉が言った言葉を思い出した。それは、俺は、犬猫以下だという言葉であった。有吉はもうきっとあのとき、死を予感していたのに違いなかった。人間は一瞬のうち変わっていくのだと、僕は思った。
この作品は、鋭敏で優しい少年がもつ絶対的な抒情、ものごとの本質を見抜く目を的確に表現し、みずみずしい感性と言葉によってそれをうたいあげた小説。
この本がきっかけとなり、宮本輝フアンとなった。それにしても彼の作品はいつも命の儚さ、運命の不条理をなげかけてきてつらい。


植物の逆襲

2008年10月14日 12:16

食虫植物
植物と言えば、動物に食べられてばかりいるとの先入観があるがいつも食べられているばかりではない。反対に小動物を捕食する植物(食虫植物)も現れた。昆虫などの小動物をとらえ、消化液などで分解し、栄養分 (おもにアミノ酸やアンモニウムイオン)を吸収して利用する植物を食虫植物 (insectivorous plants) または肉食植物 (carnivorous plants) という。モウセンゴケやハエトリソウ (モウセンゴケ科)、ウツボカズラ (ウツボカズラ科)、タヌキモ (タヌキモ科) などが有名であり、約600種ほどが知られている。多くは水中や酸性湿原など栄養塩に乏しい環境に生育しており、不足する無機栄養分を分解した小動物から補っている。
完全な食虫植物は、1) 獲物となる小動物を誘引、2) 捕獲、3) 消化、4) 吸収、という4ステップを示すが、このうち一つ以上のステップを省略する種もおり、食虫植物と非食虫植物の境界は必ずしも明瞭ではない。
食虫植物は、ふつう捕虫葉 (insectivorous leaf) とよばれる特殊化した葉で小動物をとらえる。捕虫葉の形態は様々であり、ウツボカズラやタヌキモのように嚢状になった捕虫葉は特に捕虫嚢 (insectivorous sac) とよばれる。捕虫葉の形態は餌の捕獲様式に密接に関係しており、食虫植物の捕獲様式以下のように大別される。

1)落とし穴型 (pitfall traps)
葉柄や葉身が落とし穴型の罠になり、そこに落ち込んだ小動物を分解して吸収する。ウツボカズラ (ウツボカズラ科) やサラセニア (サラセニア科)、フクロユキノシタ (フクロユキノシタ科)、Brocchinia spp. (パイナップル科) などが知られる。Brocchinia reducta などでは特殊な捕虫葉は形成されず、重なり合った葉の葉腋部分に水が溜まって虫が落ち込む。そのほか多くの種では葉が袋状の捕虫嚢になるが、このような捕虫嚢は特に壺状葉 (嚢状葉 pitcher) とよばれ(図1)、壺状葉をもつ食虫植物は壺型食虫植物 (pitcher plant) とよばれる。捕虫嚢がアントシアニンなどで着色されて目立ちやすくなっていたり、蜜を分泌することで虫を誘引する。また Sarracenia flava (サラセニア科) はコニイン (coniine) とよばれる麻痺性のアルカロイドを生成することが知られている。捕虫嚢に入り込んだ虫が逃げられないように、ふつう捕虫嚢の内壁にはロウ質の鱗片や逆向きの刺がある。餌の選択性は無いので、大形の捕虫嚢をもつ種 (Nepenthes merrilliana など) では、捕虫嚢の中に小形無脊椎動物 (カエル、鳥、ネズミなど) が見つかることもある。落とし穴型食虫植物の多くは消化酵素を分泌せず、落ちた小動物の分解は細菌などにまかせている。ウツボカズラでも自身で消化するのは初期だけである。またこのような捕虫嚢の中は特異な環境であり、そこに好んで生活する昆虫や甲殻類、クモも存在する。クモなどはちゃっかりと食虫植物がトラップした昆虫を横取りしようとの魂胆だ。

2)粘着型 (とりもち式) (flypaper traps)
葉の表面に密生する腺毛が粘液 (mucilage) を出して虫を捕らえ、さらに多くのものでは消化液を分泌して分解する(図2)。モウセンゴケ属 (モウセンゴケ科) やムシトリスミレ属 (タヌキモ科)、Drosophyllum (ドロソフィルム科) などが知られる。粘液を出す腺毛と消化液を出す腺毛が同一の場合と分業している場合がある。モウセンゴケのように腺毛が動いて (傾性運動)餌を押さえつけ、さらに葉が巻いて餌を包み込んだりする種もある。

3)閉じこめ型 (わな式、挟み込み式) (snap traps)
ハエトリソウ属とムジナモ属 (モウセンゴケ科) が知られ、両者は共通祖先に由来する姉妹群である。葉身が中肋に沿って二つ折りになっており、小動物が葉面の感覚毛 (ハエトリソウでは6本、ムジナモでは約40本) に触れると活動電位が発生し (Caイオンの流出、50~130mV、10cm/s)、膨圧の急変 (向軸側の膨圧低下)が起こり、葉が迅速に閉合して餌を閉じこめる(図3)。中肋付近には特に膨圧変化が著しい細胞があり、モーター細胞 (motor cell)とよばれる。 この運動は陸上植物の能動的な運動としては最速であり、ハエトリソウで0.2~1秒、ムジナモでは約0.02秒ほどで縁辺の90%程度が閉じる。その後ゆっくりと狭窄運動が起きて餌が押しつぶされ、葉面の消化腺から消化液を分泌し分解、吸収する。餌が完全に分解されると (数週間かかることもある)、数日をかけて成長運動によって葉は再び開くが、次第に反応が遅くなり、葉は数回しか開閉運動ができない。

4)吸い込み型 (bladder traps)
タヌキモ属 (タヌキモ科) が知られる。このタイプの捕虫嚢は bladders または vesicula とよばれる。葉の羽片中軸に沿って小さな捕虫嚢が多数ついている(図4)。捕虫嚢は楕円形で2層の細胞層からなり、先端に蓋と長い突起がある。蓋は微妙なバランスで捕虫嚢を密封しており、捕虫嚢内部は陰圧に保たれている。捕虫嚢は水中にあるか、蓋の前に水滴がある。小動物 (線虫やミジンコなど) が突起を押し下げると、蓋に隙間が空いて獲物とともに水が急激に流入し、内外の圧が等しくなると再び蓋が閉じる。この開閉にはわずか 0.03秒しかかからない。この運動では活動電位は発生せず、全く機械的なものである。捕虫嚢は獲物と水を含んで膨らむが、呼吸によって得られたエネルギーを用いて、捕虫嚢内壁にある吸収毛からイオンが排出される。その結果、数十分~数時間で捕虫嚢内はもとの陰圧に戻る。内部の餌は捕虫嚢内壁の四叉毛から分泌される微量の消化酵素によって分解され、アミノ酸などが四叉毛から吸収される。

5)誘い込み型 (lobster-pot traps, eeltrap, forked trap)
Genlisea属 (タヌキモ科) が知られる。通常の葉に加えて、向地性を示すY字型の細い管状の葉がつく。2分岐している腕部はらせん状にねじれており、らせんに沿って狭い隙間がある。両腕が合流する分岐点にも開口部がある。管の中には逆向きの刺があるため、誘い込まれた獲物は奥へにしか進めない。葉の基部付近には膨潤した捕虫嚢 (utricle, stomach) があり、ここで獲物は消化・吸収される。

植物も動物に食べられるだけ、手をこまねいている訳ではない。食虫植物はありとあらゆる手段を嵩じて、昆虫を騙し、いかに補食するかを考えている。考えているかのようである。落とし穴方式、採りモチ方式、トラップ方式、吸い込み方式。実際に人間が動物を捕らえる時に使う罠そのものである。このような植物がどうのように進化してきたかを考えるだけでも不思議で、自然の神秘はつきない。自然は偉大なり。

図1、ウツボカズラ属;図2、モウセンゴケ属;図3、ハエトリソウ;図4、タヌキモ (食虫植物のお部屋より引用)

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花と昆虫の愛憎劇

2008年10月03日 20:56

美しいわな

白亜紀は、花を咲かせる植物(顕花植物)が植物相で重きを占めるようになった時期でもあった。昆虫と花の関係は、人間社会の男女の複雑な関係によりいっそう似かよっている。協力と敵対、アメとムチの使い分け。植物は敵対する昆虫とは戦い続け、受粉媒介者には甘い蜜を提供している。蝶の場合は、一つの種がこの二つの役割を合わせ持っている。植物を食べる幼虫が植物の繁殖を助ける美しい成虫になるからだ。ある時期、植物は食害者の侵略に対抗するために毒を持つようになった、しかし敵もさるもの、その毒への耐性を獲得してその植物専門の食害者になった昆虫も登場した。なかには、その植物の毒を溜め込んで、天敵に食べられないように進化した昆虫もいた。植物には葉の表面に昆虫が止まれないような、密生した毛をはやすものも現れた。芳香性のオイルもそのような競争の産物である。ラベンダーやバジルなどのハーブはまさに昆虫がいやがる匂いを植物が創製し食べられないようにした。アゲハチョウのように他の昆虫がいやがる植物を主食にすることで、熾烈な食物獲得競争をせずに、腹一杯食べられる境遇を得た昆虫もでてきた。

華麗な花は、まさにその反対であり、昆虫に甘い罠をしかける。まずは花は蜜という甘い報酬である。様々な花が異なる昆虫に誘いをかけ、受粉にあたらせてきた。ミツバチを引き寄せる花、夜行性の蛾を勧誘する花、あるいは蝶、アブやハエを誘う花もある。昆虫と花が白亜紀以来繰り広げてきた関係は共進化と呼ばれる。この場合は敵対関係ではなく相互依存関係だ。この関係の行き着く先は、花はただ一種の昆虫に依存し、昆虫も自分が特殊化した花なしでは生きて行けなくなる相思相愛関係である。ランの花の中には巧妙なしかけでもって昆虫をだますものまで現れた。その極端なのは花ビラを特定の種の蜂そっくりに変えてしまったものだろう。つまり蜂の雄は同じ種の雌蜂そっくりな花ビラと後尾しようとして,実際にはランの受粉を助けてしまうというしかけである。 花の管が長く伸びて、特定の蛾の口の長さとぴったりと合っている種類もある。その蛾の吸蜜装置とランの花は、互いに歩調を合わせて進化しているのだ。そうかとおもうと、蜜に通じる秘密のルートがあってその鍵を開けられるのは特定の受粉媒介者だけという関係もある。しかしどの例でも行き着く先は同じで、生物の世界をより一層複雑なものにしている。食べる側と食べられる側の軍拡競争と言える。昆虫もうまくその関係を利用するものまで現れた。ランにそっくりの形をしたカマキリ (ランカマキ、Hymenopus coronatus)の出現だ。蝶や蜂が蜜を求めてやってくるとパクリとだまし討ちにする。

ただこれらの植物も人間の登場は予測していなかったようだ。人は植物の甘い関係だけを利用し、自分達に都合のいい面だけ改良し、大量に植物をそだて、みな食い尽くす。植物にとってみれば、一方的に利用され、種の保存とは関係のない繁殖を強要される。まさに野菜や果物は人間の奴隷となってしまった。しかし時々、食べれる茸によく似た毒キノコを紛れ込ませて人に復讐をすることもで鬱憤をはらしている。

図1、2:花カマキリ;図3、ラン


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