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夜の楠の小径

2009年10月29日 17:28

静寂と喧噪

朝の小径。あたかも水面を照らす光が、風の起こした波紋に反射して、目を眩ますように、朝の陽光が天に伸びる楠の巨木の枝の隙間から、木漏れ日となって降り注ぎ、きらきらと目に痛い。

今は夜。海に伸びる楠の坂道を帰る。楠の大木は夜空に高く背を伸ばし、鬱蒼と黒々と、あたりを睥睨している。時折吹く風にさわさわと葉づれの音だけが暗闇から舞い降りる。 天空高くやせた弧月が架かり、月影に楠の影が歩道に浮かび上がる。
ひんやりとした秋風が頬をなで、懐に包み込まれるような慈愛の影に身を寄せると、かすかに薫るかほりに心穏やか、一時世相の雑念を忘れる。
夢想する。「ひときわ大きく枝を張った楠の下。秋の澄んだ月を愛で、豊穣を願い、楠のかほりの妖精が風にのって乱舞する」

突如、薄暗い楠の小径から光溢れる通りに出る。幻想の世界から現実の世界に引き戻される。 安らぎの心が現実に打ち破られる。喧騒うるさい駅へと急ぐ。そこにはいつものありふれた夜の街が広がっている。

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乃木希典と旅順攻略

2009年10月22日 18:09

旅順

旅順をめぐっての攻防戦は日露戦争の天王山といってもよく、「坂の上の雲」にも詳しく書かれている。当時日本は日清戦争に勝利して、浮かれたのもつかの間、三国干渉により講和権益が大幅に縮小され、遼東半島も手放さざるを得なくなった。三国の中で特に強行であったロシアは遼東半島に進出し、さらには朝鮮を窺っていた。とりわけロシアの極東総督エフゲニイ アレクセイエフは強硬で日本案にことごとく反対した。日本は堪忍袋の緒を切らしロシアに宣戦布告し日露戦争が始まった。ロシア軍は日本の戦力からして,戦闘範囲を朝鮮半島に限定してくるのではと楽観していたし、アレクセイエフも日本は旅順を攻める事はない、限定した勢力を南満州に集中して,戦略を展開して来ると読んでいた。

第一軍を率いる司令官黒木大将は鴨緑江を越えて満州方面へ進出していった。その時に持っていた秘密兵器の120ミリ榴弾砲が猛烈な破壊力を発揮し、次々に侵攻していった。第2軍は奥大将を司令官に遼東半島に上陸する。更に大本営は旅順を放置しているわけにはいかないとの判断で第3軍が編成された。そしてその司令官には日清戦争後に予備役に入っていた乃木希典中将が任命され軍関係者を驚かせた。乃木は指揮官としての資質や戦争下手にも定評があり、なぜ乃木がと疑問がられた。この人事は山形有朋の意向だとされ、バランス上参謀総長には薩摩出身の伊地知幸介少将が選ばれた。

作戦は6月26日に開始された。7月25日からは旅順攻略のための本格的な戦闘が始まった。日本軍は最初7月30日までに旅順を包囲し陥落させる事ができるだろうとの甘い見通しをしていた。しかし前進する日本軍に対し、標高差を利用した機関銃による掃射が絶大な威力を発揮する。一方で日本軍は攻撃目標が分散し、一点に集中して攻撃するという事をしなかった。戦術展開に完全に失敗していたのに、ごり押しし益々被害を大きくした。更に軍司令部を戦闘地よりも遥か後方に設置し、攻撃の様子などまるで分からない場所から命令を発していた。同じような突撃を繰り返し、多くの犠牲者がでる。全く学習効果などない。確かに乃木は兵卒と同じ食事をとり、質素な家屋に寝起きするその姿は人を感銘させた。しかし軍司令官として多くの兵士の命を預かる人物ではなかった。9月17日に再度の総攻撃を命令した.同じような攻撃で、同じようなパターンで展開され、白兵戦はまたしても失敗に終わる。「兵隊を要害正面にならばせ正面からひた押しに攻撃していくという事に固執し、国民を無意味に死地に追いやっている。無能者が権力の座についている事の災害がこれ程大きかった事はないであろう」と司馬遼太郎は言っている。

その頃ようやく203高地の戦略上の重要性を両陣営とも認識し始め、203高地を巡っての攻防戦が行われるようになった.それまでは152ミリ砲が用いられてきたが、海軍からの要請で内地に据えてあった28cm榴弾砲6門が9月の半ばには旅順に届けられていた。しかし伊地知参謀長は海軍が使っていた砲でもって旅順を陥落させたとなると第3軍の面子は丸つぶれになるといい,他の参謀達も正攻法で落としてこそ陸軍の誇りが保てると、未だ面子にこだわっていた。

しかし広島の大本営では強硬にこの28 cm榴弾砲を使うように命令し、さらに6門を送り届けて来た。しかも、その威力は驚異的で152 mm榴弾砲では歯が立たなかった厚いベトンも簡単に打ち抜いてしまい、ロシア兵の恐怖のマトになった。もう季節は秋の終わりを告げようとしていた。10月の26日以降この28 cm榴弾砲が使われる事にはなったが、集中して203高地攻略に使われた訳ではなかった。この期に及んでも、特に幕僚達には海軍のいう203高地なんか論外という雰囲気であった。閥にこだわり,面子にこだわり、それによってどれだけ多くの兵士達が犠牲になったか。

それでも尚正面攻撃にこだわり,3000名の白襷隊を編制して最後の突撃を敢行する。もう季節は11月26日になっていた。そして惨敗。
このような八方塞がりの時に、総参謀長の児玉源太郎が旅順に現れる。203高地攻撃に全精力を使うように指示し、28cm砲を全て投入するように指令した。それでは面子が立ちませんと一人が強く主張した。「面子で戦争するのかね。武人としての名誉です。それを保つための時間を8月後半から3ヶ月以上君たちにやってきた。それでも落ちんではないか」
かくして203高地の総攻撃が決まった。12月5日には203高地が陥落した。そして年明けに水師営での降伏調印式へとこぎ着ける。どうにか旅順を落としたもののその代償はあまりに大きく死傷者6万人に及んだ。無能な司令官や参謀はあまりにも単調な攻撃に終始し、学習効果が全くなく、完全にロシア軍に戦術を読まれていた。また海軍に対しての異常なまでの対抗意識で、本来の目的である旅順を落とす、ことが目的なのを忘れていた。

坂の上の雲では徹底的に乃木と伊地知の無能ぶりが批判されているが、大本営も満州の軍令部も第一回の総攻撃で旅順は簡単に落ちるであろうと甘い予想を立てていたし、内地の新聞も既に旅順陥落の号外を刷っていた程であった。
後に乃木は明治天皇崩御とともに殉死し軍神に祭り上げられ、伊地知もなんら責任を取らされていない。これでは6万人及ぶ死傷者は浮かばれない。
このような無責任な陸軍の体質が第2次大戦でも同じような過ちを引き起こす.

Spider Hunter

2009年10月15日 17:04

ベッコウバチ
狩人バチとも呼ばれ、主に蜘蛛を獲物とする。蜘蛛は虫を狩るハンターであるが、さらにそのハンターがベッコウバチである。名前のように羽が鼈甲色している。英語名は蜘蛛を狩るという意味でSpider Waspと呼ばれる。Waspはスズメバチののようなミツバチ(Bee)より大型の蜂を示す。

北海道をのぞいて日本国中に分布し、神社やお宮の境内でよく見られる。大型の女郎蜘蛛やナガコガネグモを攻撃し、巣から落として、針で蜘蛛の口の周りの神経が集中しているあたりをめがけ麻酔剤を打ち込み,生きたまましびれさせ土の中の巣に運び込む。狩られた蜘蛛は仮死状態のまま幼虫の生き餌として使われる。巣に運び込んだ蜘蛛は生きたまま卵を産みつけられ、卵から孵化した蜂は蜘蛛を餌に育つ。

南米に生息するオオベッコウバチは世界最大の蜂で体長6cm以上にもなり、タランチュラホーク(Tarantula hawk)とよばれる。巨大な毒蜘蛛タランチュラ類の天敵である。大型の毒蜘蛛を見つけると急降下して襲いかかり、巨大な蜘蛛の毒牙をかいくぐり、針をさして麻痺させる。蜂は空を飛んで蜘蛛の攻撃をかわし,蜘蛛をスピードで翻弄し,疲れさせ、一撃を加え、ほぼ100 %蜂の勝利に終わる。

ベッコウバチが蜘蛛を獲物とすれば、さらにその上を行く策士がいる。上前をはねる同種の仲間や寄生バエ、寄生バチなどである。巣穴作りに夢中になっている間にちゃっかりクモを盗みだし、自分のものにする。もっとずる賢い盗っ人は、クモを捕まえたベッコウバチが産卵する前にクモに産卵する。すごいのは盗っ人の幼虫は卵からふ化し、持ち主のベッコウバチの卵を食い殺し、クモを自分の食べ物にして成長する。極め付きは「労働寄生」と呼ばれるもので、一度埋められた穴を掘り返して、クモに産卵し、埋め戻し、ベッコウバチにかわって自分の子孫を残す。

このようなことはだれが教えた訳ではないけれど、進化の過程でどんどん手を抜いて、楽に生きられるよう、ずる賢い遺伝子の進化合戦が起こり、あの手この手を考えて出し抜く奴が現れて来たのであろう。どの社会にもそのような輩はいるもので、正業に精を出さず、俺俺詐欺や、やらなくてもいいリフォームを高い金をふっかけてさせるなど、上前をかすめ取る人間社会とそっくりである。ひょっとしたらこのようなずるくたちまわる遺伝子は進化の過程の初期の頃にもう確立していたのかもしれない。

最後に科学的なことを一言。この蜂の毒はPompilidotoxin(PMTX)で、ナトリウムチャンネルの不活性化を阻害する。α-PMTXは13個のアミノ酸よりできていて、配列はArg-Ile-Lys-Ile-Gly-Leu-Phe-Gln-Asp-Leu-Ser-Lys-Leu-NH2であり、β-PMTXは12番目のLysがArgに変わったものである。両者とも作用は同じ。

写真:ベッコウバチが自分より大きな蜘蛛を狩る。

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ウスバカゲロウ

2009年10月06日 19:15

あり地獄

小さい頃、お寺のお堂の床下にあるすり鉢状のあり地獄を暇があると眺め、ありを手でつまんですり鉢の底になげこんで遊んだりした。すると大半のありはさっさと砂の丘を登って逃げ出した。中にまごまごしているありがいると、砂つぶてをありにぶっつけ、ありが落ちてくると、強力な牙で一差し。体液を吸った抜け殻は、再び大あごを使ってすり鉢の外に放り投げる。これがウスバカゲロウの幼虫だ。ちょっとしたいたずらもやった。何か獲物が来たかのように、小さいゴミを投げ入れてやるとだまされて、獲物が来たかと勘違い。せっせと砂つぶてを投げる。また砂のすり鉢を壊してやると、またせっせとすり鉢を作り始める。

ウスバカゲロウの幼虫はアリジゴクと呼ばれ、軒下等の風雨を避けられるさらさらした砂地にすり鉢のようなくぼみを作り、その底に住んで迷い落ちてきたアリやダンゴムシ等の地上を歩く小動物に大あごを使って砂を浴びせかけ、すり鉢の中心部に滑り落として捕らえ、消化液を獲物の体内に注入して筋肉と内臓を溶かした体液を吸うことで有名である。幼虫は2-3年で成熟し、土中で糸を吐き、土に包まれた直径1センチメートルほどの球形の繭をつくって蛹になり、まもなく成虫となって樹林へと飛び立つ。羽化するときに、長い幼虫時代にため込んだ2-3年の宿便を一気に排泄する。こうして、やっと六月から九月にかけて天女の羽衣をまとって飛び立つのだが、その美しい姿は陽炎のたとえのように1-2週間のはかない命なのである。成虫は一見トンボに似ているが類縁は遠い。トンボより頭部が小さく、触角も太い。はねもトンボより幅広くて柔らかく、飛び方もひらひらと弱々しく、トンボのように敏捷でない。また、カゲロウの名をもつが、カゲロウ類とも分類学上遠縁で、形態も異なっている。

写真1 ウスバカゲロウの幼虫。 写真2 ウスバカゲロウの成虫

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あおもり昆虫記より10





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