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SONYとApple

2012年01月26日 19:04

昨日の覇者は今日の敗者

戦国時代、駿河の大国(今川義元)は、弱小だと侮っていた尾張の小国(織田信長)に油断をつかれて桶狭間で討ち死に。昨日まで弱小であった国が, 下克上、群雄割拠の時代、あっという間に、並みいる列強を押しのけ、勝者に躍り出る。反対に、権勢,栄華に酔いしれている、暗愚な君主をいだく、国はたちまち滅びさる。
今日の企業間の戦いもまさに戦国時代。今までの安定した平和な日本では、大きな会社の社長は部下からの意見を吸い上げ、人間関係の調和を保ち、調整型の何もしない、どちらかというと無能な官僚型人間が良かった。最も典型的なのは東京電力を筆頭とする電力会社。特別な事をしなくとも、組織は動き、企業の規模の大きさと官僚や政治家への影響力が重要であった。しかし今日の乱世では、大企業が安定と言える訳でなく、大小入り乱れての群雄割拠。有能で将来が見通せ、早い決断の出来る経営者が嘱望される時代となった。画期的な発明が次々になされ、その技術革新について行かないとどんな大きな会社でもあっという間の転落の憂き目が待っている。
一つの革新的な発明が会社の運命を変えてしまう。革命的な技術を開発した又はその開発の波に乗れた企業は、大企業へと成長し、反対に開発の波に乗り遅れた企業は、沈没していく。一つの発明が大きく会社の運命を変える恐い時代になった。その典型としてアップルとSONYをあげよう。

 次々と革新的な発明をしてパソコン、音楽、通信機器の覇者と成ったアップル。一方、チャンスを物にしながらも開発の波に乗れなかったゼロックスやSONY。最大のフイルムメカーであったコダックが破産した事は耳に新しい。デイジタルカメラの重要性を過小評価し、あっという間の転落。それも世界で最初にデイジタルカメラを開発したのがコダックだというのだから驚き。何故コダックはデイジタルカメラの開発に積極的にならなかったのか?大きな理由は、デイジタルカメラを開発すると自社の主力製品であるフイルムが売れなくなるということらしい。その点、富士フイルムはフイルムの需要減を見越して、デイジタルカメラの開発を急ぎ、フイルム製造工程での技術を生かして、化粧品や医薬品へと多角化し、見事にフイルムメーカーから脱却した。

SONYは何故iPodのような携帯音楽プレイヤーを開発できなかったのか? Steve Jobsの伝記にはこんな記述がある。
2001年、ジョブズはアップルを変革し、同時にテクノロジー業界全体さえも変革しようとする壮大な構想を打ち出す。パーソナルコンピューターは脇役などにはならない。音楽プレーヤーからビデオレコーダー、カメラにいたる、様々な機器を連携させる「デジタルハブ」になるーーとした。あらゆる機器をコンピューターにつないで同期する。そうすれば音楽も、写真も動画も情報も一元的に管理できる。そしてiPod, iPhone, iPadという革命的製品が開発される。 そしてiTuneによる音楽配信とiPodという携帯音楽プレイヤーはあっという間に、音楽事業での巨人に上り詰める。

なぜSONYにはできなかったのか?その頃、ユニバーサルミュージックのトップ であるダグ、モリスは海賊版の横行にうんざりしていた。新たな音楽配信や携帯プレーヤーの開発をSONYと続けていたが、成果は全く上がっていなかった。
「どうしてSONYがだめだったのか、私には全く理解できません。史上有数の失策でしょう」とユニバーサル傘下のレーベル、インタースコープ ゲフィンA&Mのイオヴァインは今でも首をかしげる。「アップルの場合、社内で協力しない部門は首がとびます。でもSONYは社内で部門同士が争っていました」実際、SONYはいろいろな意味でアップルの逆だった。かっこういい製品を作る消費者家電部門もあれば、人気アーチストを抱える音楽部門もあった。しかし、各部門が自分たちの利益を守ろうとするため、会社全体でエンドツウエンド サービスを作れずにいた。

SONY ミュージックの社長に成ったアンデー ラックが初めて出席したSONYの新年度年頭訓辞は2003年4月、アップルがiTune ストアーを発表した週に行なわれた。訓辞に集まった200人のマネジャーを前にiPodをポケットから取り出す。 「これだ」CEOの出井伸之や北米SONYのトップハワード ストリンガーも見ている前で宣言する。「これがウオークマンキラーだ」怪しげなところなどどこにもない。こういうものが作れるように、SONYは音楽業界を買ったんだ。君たちならもっといいものが作れる」
しかしSONYにはできなかた。ウオークマンでポータブル音楽プレイヤーの世界を拓いた実績もあれば、すばらしいレコード会社を傘下に持っている。美しい消費者家電を作って来た長い歴史もある。ハードウエア、ソフトウエア、機器、コンテンツ販売を統合するというジョブズの戦略に対抗するために必要なものは全てそろっているのに、なぜ、SONYは失敗したのだろう。
SONYは部門ごとの独立採算制を採用していた。これでは部門間の連携で相乗効果を産むのは難しい。それと、SONYは共食いを心配していた。デジタル化した楽曲を簡単に共有できる音楽プレイヤーと音楽サービスを作ると、レコード部門の売り上げにマイナスの影響がでるのではないかと心配したのだ。これに対してジョブズは「共食いを恐れるな」を事業の基本原則にしていた。「自分で自分を喰わなければ誰かに喰われるだけだからね」
ウオークマンを発明し、ポータブルオーデオ市場最大のプレイヤーであったSONYはこうしてアップルに完敗する。

SONYという大帝国の凋落は、会社(国家)の繁栄よりも自分たち(利益者団体)の利益を守ろうとする保守、官僚的な経営の下に始まった。「大帝国の欠点は国も会社も同じだ。現状を変えたがらない。今自分の持っている利益を離したくない」だ。誰もが国(会社)を改革してよくしようと言う総論には賛成、しかし自分たちが不利益を少しでもかぶるのには反対、自分達以外が我慢しろだ。これでは国も会社も凋落の一途をたどる。民主党も自民党も労働組合も農協も医師会も皆自分たちの利益ばかりをいい続ける。どのようにしたら、大企業体質から抜け出せ、いつも新鮮に、挑戦的にJobsのいうStay hungry Stay foolishでいられるのであろうか?

長年同じ組織で研究をしていると歳を取るに従い、組織の硬直化とマンネリにおちいる。研究も自転車操業に惰性化する。7年から10年で組織を変え、環境を変えた方がよりStay hungry Stay foolishが実戦できるような気がする。
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伝記「スティーブ・ジョブズ」

2012年01月11日 18:01

スティーブ・ジョブズ
[Steve Jobs :The Exclusive Biography] by Walter Issacson 訳 井口耕二を読んで

  アップルコンピュターで有名なスティーブ ジョブズが昨年の10月5日に亡くなった。レオナルドダビンチに匹敵され、今世紀最大の科学技術革命を起こし芸術的センスもあったの巨星落つ。享年56歳という若さであった。

 話ではスティーブ ジョブズは傲慢で、鼻持ちならないくらいの自信家で暴君であったそうだが、apple computer という全く独創的なパソコンの仕組みを考え、更には世紀の大発明とも言える、iPod, iPhoneやiPadを開発した天才でもある。彼くらい個性が強く、独裁者でないとこのような画期的な発明は出来なかっただろうとは誰しも認める。ジョブズ自身、自分を特別な人間だと考えていた。選ばれた人間、悟りを開いた人間だと。近くにいれば、鼻持ちならぬ嫌な奴でも、世のため、人類のためには役立つ独創的な大発明をした。天才とはそんなものだろう。
 だれしも彼のやった事には最大の賞賛をするが、人間性には最悪の評価を下す。同僚だった2人の評価「他人の脳みそを盗むのはジョブズにとって普通のやり方さ。まず人のアイデアを鼻であしらっておいて、その1週間後には、素晴らしいアイデアを思いついたなんていいながら戻ってくる。そのアイデアというのは、もちろん1週間前に誰かがジョブズに話したアイデアなんだ。我々はジョブズのことを現実歪曲空間と呼んでいた。(ジェフ・ラスキン)」
 スティーブはまさに刺激的な存在だ。放漫で、暴虐で、激しく、無い物ねだりの完全主義者だ。彼はまた、未成熟で、かよわく、感じやすく、傷つきやすくもある。そして精力的で、構想力があり、カリスマ的で、さらにおおむねは強情で、譲らず、まったく我慢のならない男だ。(ジョン・スカリー)
 
  我々はまさにマッキントシュやマイクロソフトという、パーソナルコンピュターの開発の時代を生きて来た。
我々が研究を始めた頃はパソコンどころかワープロもなく、論文はタイプライターで打ち、修正がある場合は、打ち直すか修正インクで消して打ち直すということをやっていた。当然、データが保存できる訳でもなく、カーボン紙を挟んでコピーを取っておく程度であった。その当時のタイプライターの最上級はIBM社のもので、印字の型が丸い球形の表面にあり、自由に取り外せ、イタリックやギリシャ文字などにも対応していたが、価格が高く裕福な研究室にしかなかなかった。そのうちに、ワープロなるものが登場して来た。一番人気があったのはNECのもので、内容を保存でき、修正も可能であったが、欠点は今の様に画面上では操作できず、functionキーを使って改行や特殊な文字を打つ操作が必要だったことと、価格がその当時でも1000万くらいした事であろうか。しかし1980年半ば頃になると、日本でもapple IIが発売され、研究者達が好んで使った。何しろ、マウスを使って画面上で操作でき、フォントも様々なものが登場して、一気に論文作成が楽になった。しかし爆弾マークがでて、フリーズしてしまう事もしばしばあった。
ジョブズはApple社を立ちあげ、それまで専門家にしか扱えなかった、大きな会社などでのみ使用されていたコンピュターを素人に、個人で扱えるものとした。その結果、IBMなどの巨大な企業が独占的に製造していたコンピューターが小型化し日常誰でも使えるものとなった。その恩恵にまずあずかったのが我々研究者である。我々は文章を書くのと、図形の作成をする必要があった。文章のみでなく作図でもマッキントシュの優位性はジョブズの好敵手であるビルゲイツがウインドウを発売するまでは歴然とあった。

Steve Jobsが世紀の天才で大発明家である事には間違いない。彼はシリア人の男性とアメリカ人の女子学生の間の子として1955年に産まれるも、女子学生の父親が結婚を認めなかったため、ジョブズ夫妻に養子として育てられた。高校生になったジョブズは、ヒューレット・パッカードの夏季インターンシップで働いていた時に、スティーブ・ウォズニアック(ウォズ)と出会う。容姿も性格も正反対の2人であったが、すぐに意気投合した。この2人の出会いが後のアップル設立のきっかけとなった。大学時代は彼はヒッピー思想や禅に心酔し、インドへ数ヶ月の放浪の旅にも出た。極端な菜食主義でもあった。リード大学へ進学したものの長続きせず、やめてパロアルトに帰り、ウオズとアップルコンピューターを設立する。ウォズは、アップルに注力するために、ヒューレット・パッカードを退社し、Apple Iの再設計を開始した。処理能力向上とディスプレー表示のカラー化、拡張スロット、内蔵キーボード、データ記録用カセットレコーダをもつApple IIをほとんど独力で開発した。
その経緯に関して本では「感動的な回路基板とそれを動かすソフトウエアは、個人の手によるものとして20世紀有数の発明だが、この歴史的偉業はウォズニアックの業績である。しかし、ウォズニアックのボードを電源やクールなケースと組み合わせ、フレンドリーなパッケージにまとめたのはジョブズである。ウォズニアックのマシンを中心に会社を興したのもジョブズである」と言っている。

ジョブズの最大の転機はゼロックスのパロアルト研究所(通称PARC)の見学を機に訪れる。PARCはマイクロソフトを興したビルゲーツにも決定的な影響を与えた。
1979年、ゼロックスからの出資を受け入れる交換条件として、ジョブズの要請により当時ゼロックス管轄の研究所であったPARC見学が行われた。その際、ビットマップディスプレイ(文字や図形情報をコード化せずにドット(画素)に分解して画面のドット単位に表示・非表示が制御できるディスプレイ。)の存在を知った。かつては文字のみを表示するキャラクターディスプレイや、プロッタのようにベクタデータを直接表示するベクタディスプレイが存在したが、現在ではグラフィックと文字の両方を表示できるビットマップディスプレイが主流となっている。ゼロックスはこのビットマップディスプレイとマウスを前提とする「Altoというゼロックスのコンピュータ試作機」を作成し、現在行なわれているGUI(graphical user interface)をすでに実現していた。graphical user interfaceでは、コンピュータの画面上に、ウィンドウ、アイコン、ボタンといったグラフィックが表示され、ユーザはそれらの中から目的の動作を表すグラフィックスをマウスなどのポインティングデバイスで選択する。

ジョブズがゼロックスのPARCで将来の開発方向を決定する事になったこの革新的技術に出会ったさいの感想を後に次のように言っている。
「デモには3つのポイントがあった。ひとつはコンピューターのネットワーク化、もう一つはオブジェクト指向プログラミングだった。しかし、ジョブズはこの2点には殆ど注意を払わなかった。3番目のポイント、GUIとピットマップスクリーンに心を奪われていたからだ。「あの時は目からうろこがぼろぼろ落ちたよ。そして、未来のコンピュターのあるべき姿が見えたんだ」。このアップルのゼロックスPARC見学は、往々にして業界史上最大の強盗事件だとされる。ジョブズは言う。ピカソも「優れた芸術家はまねる、偉大な芸術家は盗む」と言っています。我々は偉大なアイデアをどん欲に盗んできました。ゼロックスはコピー機にしか頭になく、コンピューターとはどういうものなのか、なにができるのかが分かっていなかった。だから、コンピューター業界の最大の勝利を目前に大敗を喫したんだ。いま、彼らがコンピューター業界の頂点に立っていてもおかしくなかったんだけどね」と。

一方、ビルゲイツ率いるマイクロソフトはDOSと呼ばれるオペレーテングシステムを開発し、IBMやIBM互換機にライセンスしていた。これは「C¥>----」のような画面にユーザーが対応しなければならない従来型コマンドラインインターフェースで使い勝手が悪かったため、マイクロソフトがマッキントシュのグラフィカルなアップローチを真似するのではないかとジョブズは心配していた。その予感通り、ゲイツも今後はGUIの時代になると信じていたし、ゼロックスPARCで開発された技術をアップルがコピーするなら自分たちもしても良いはずだと考えていた。そしてゲイツはウインドウやアイコンを持ちマウスが使えるGUIオペレーションシステム「ウインドウズ」を開発した。

その際、ジョブズはゲイツをなじって「おまえがしているのは盗みだ。信頼したというのにそれをいいことにちょろまかすのか」。ゲイツはちょっと甲高い声で伝説となる一言を投げ返す。「なんというか、ステーブ、この件にはいろいろな見方があると思います。我々の近所にゼロックスというお金持ちが住んでいて、そこのテレビを盗もうと私が忍び込んだら、あなたが盗んだ後だった。――むしろそういう話なのではないでしょうか」と。これにはジョブズも何も言えなかった。

発表された「Macintosh」は、当時存在したあらゆるパソコンを凌駕する洗練されたものであり、再び時の人となった。しかし、本人の立ち居振舞いで敵ばかりになりアップルの役員達から社内でのすべての職を剥奪された。 しかし1996年、業績不振に陥っていたアップル社にNeXTを売却することで復帰、1997年には、暫定CEOとなった。

2001年から2003年にかけてMacintoshのOSをNeXTの技術を基盤としたMac OS Xへと切り替える。その後立て続けに革命的な技術革新と斬新な概念を持った新製品iPod・iPhone・iPadを販売する。iPodは携帯型デジタル音楽プレイヤーでその革新性はCDを用いないで直接本体の記憶装置に音楽を保存できるようにした事と音楽を直接ネットからダウンロードする方式を開発したことである。それによりSONYのウオークマンの牙城は一挙に崩れさってしまった。続いてタッチパネル方式のiPhoneやiPadを作りアップル社の業務範囲を従来のパソコンからデジタル家電とメディア配信事業へと拡大させ、世界の頂点に立つ企業に押し上げた。その矢先、ジョブズの訃報を聞く事になる。

基本は禅から学んだと言われる、出来るだけ無駄なものを削ぎ落としシンプルな美を追求することと誰にでも簡単に使える製品を出すためには妥協を許さず、徹底的に最高なものを追及するに集約される。その思想はコンピュターやiPodなどの使い勝手の良さのみならず外形の美しさからも見てとれる。

ゼロックスはコンピュターの基本概念においては最も革新的なことを開発していたが、複写機市場を席巻していた大企業であったがため、とてつもない有望な芽が出ている事に気づかなかった。またSONYはiPod開発を一緒にやろうと持ちかけられていたが、ウオークマンでの成功に酔いしれていたためか、旧来の方式にとらわれてしまった。

大成功は人を保守化させ、企業が大きくなればなるほど組織は官僚化、硬直化する。これは人の世の性なのであろうか?日本人として残念なのは本来ならばSONYが開発していなければならなかった、iPod, iPadなどのユニークな製品開発で完全に遅れをとってしまったことだ。
SONYと言うやんちゃで自由な発想を持っていた子供が成長するに伴い、礼儀正しい、常識的な大人になってしまったということだろう。衣食足りて礼節を知るの通り、裕福になってStay hungry Stay foolishを実戦するのはいかに難しいか。







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