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歴史はゆがめられて伝えられるー大悪人田沼意次?—

2013年05月28日 17:46

アベノミクスと田沼意次
歴史は時の権力者によってゆがめられ、権力者に都合に良い歴史書となって後世に伝えられるので事実と異なる事が多い。江戸時代に財政改革を行なった田沼意次もその一人で、悪徳役人の典型として伝えられている。

その田沼意次が今話題となって再評価されている。現在のプチバブルの世相が田沼意次の時代と似ているともいう。しかし田沼意次が財政改革のために行なった政策は江戸時代改革だとみなされていなく、大失敗だとされているし,人物も賄賂政治を行なった悪徳役人として評判も悪い。

江戸時代の3大改革と言えば8代将軍徳川吉宗が中心となって進めた「享保の改革」。2つ目は老中の松平定信の「寛政の改革」。3つ目が老中水野忠邦の行なった「天保の改革」だ。これに対比されるのが享保の改革と寛政の改革の間に位置する田沼意次時代。実は3大改革が目指したのも田沼意次が目指したのも幕府財政の安定。江戸時代は武士の給与も農民の税金もお米で。お米がお金と同じ役割をはたしていた。3大改革で新田開発をし、働き手を都市から農村に移した結果,米の生産量は飛躍的に増えた。お米の生産量が増えたと聞くと国は豊かになる様な気がする「が、実はそうではない。生産量が増えれば増える程、財政は逼迫していったのです。幕府は武士の給料をお米で払っていましたが、市場での物の売り買いに使われるのはお金。だから生活をするにはお金がいります。武士はお米でもらった給料をお金に変えて生活していました。お米の生産量が飛躍的に増え、市場に出回るお米が増えると,お米の価格の下落を生じてしまったのです。その結果は武士の給料が減る事とおなじなのです。この事は石高制を取っている幕府の財政でも同じ結果を招きました。つまり3大改革は皮肉にもお米の価値を暴落し幕府の財政を逼迫させて行ったのです。

反対に田沼意次は商工業を重視しそこから税金でお金を取るという事をしました。つまり今と同じお金を中心とした経済活動です。幕府の財政を救うため大商人たちの経済力を利用して積極的な政策をとり、幕府直営の座を設けて銅や鉄などを専売にしたり、一般商工業者の株仲間を積極的に公認して運上冥加金を徴収したり、海産物の増産に務め中国に輸出するなど幕府の収入の増大をはかったのです。現在ではこのような改革、商工業を重視して米ではなくお金としての税収を増やすことで財政の立て直しを測る事は健全な財政改革だと認められます。しかし田沼意次の改革は全く認められませんでした。田沼が失脚すると松平定信は田沼の行なった政策を全てやめ、もとのお米中心の政策に戻ったのです。そして田沼意次を賄賂政治をおこなう悪徳老中だと決めつけたのです。

3大改革や田沼の改革も共に幕府の財政立て直しのために行なわれたものなのですが幕府は農業重視政策(重農主義)だけを改革として商工業重視政策(重商主義)は完全に邪道だと決めつけたのです。さらに幕府は幕末に至まで重農主義にこだわり、財政は常に困窮したままでした。
幕府の石高700万石に対し薩長合わせて114万石でした。こんな小藩が何故幕府を倒す事が出来たのかの大きな理由の一つは幕府が重農主義にこだわって財政難に喘いでいたのに対し、薩長は重商主義に舵を切り、商工業を盛にして、貿易も行ない財政が豊だった。そのため大量の銃器などを買い入れる事が出来たわけです。

今行なわれているアベノミックスによる商工業を発展させ財政再建をなしとげようとする、どちらかというと歳出を押さえるというより、景気を浮揚させて歳入を増やそうという政策はまさに江戸時代に田沼意次がやろうとしていた改革と同じなのです。
現在では田沼意次によって行なわれた改革が見直され、3大改革だとしてきた江戸時代の改革が反対に失敗なのではとする意見が優勢になりつつあり、教科書なんかで習った田沼意次批判はお門違いだと考えられ、歴史が書き換えられようとしている。

何が正しくて何が間違いなのか時の為政者が都合良く書いた歴史に惑わされないようにしよう。またある局面では正しい事が別の局面では正しくないということが往々にしてある。ものごとをあまり決めつけないようにして、柔軟に多角的に考える能力を養いたいものである。
参考 「学校では教えてくれない日本史の授業」井沢元彦著
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競争嫌いの皆な仲良くやろうやの日本人

2013年05月16日 18:38

和を持って尊しと成す

今やグローバル化によって、欧米の様に個々の人間がお互いに競争し、勝者と敗者が選別される、格差社会になってきた。しかし日本人は本質的には争いを好まない、和を尊ぶ民族である。人と争わず話し合い(談合)で決めたがる日本人の精神構造は歴史的にどこから出て来たのか?

これは聖徳太子の憲法17条の「和を持って尊しと成す」より出て来たと言われている。その条文の最後に話し合えば「ことがらは自ずから道理にかない、何事も成し遂げられないことはない」といっている。しかし皆と話し合って決めたからといってその結論が常に正しいなんてあり得ない事は小学生にでも分かるし、ネゴシエーションに時間のかかる効率の悪さを抱えている。

日本では独断専行型のリーダーは嫌われ、かならず前もって根回しをするという習慣がある。そのため前もってこうするという話をされてしまうと、公の席での反対は難しい。初めから結論は決まっているのだからやるだけ無駄という会議が重要な会議程多い。それでも会議をして公に公平に決めたという形を取りたがる。そしてもう一つの日本の特長は責任者をはっきりとさせないこと。特に官僚機構は集団体制で物事にあたり、みんなが承認するので失敗してもだれも責任をとらない。これもみんなが話し合って決めた事だから間違っていたらそれで仕方ないとなる。更にみんなが話し合って決める事は全ての関係者が良かろうと思う事だから、規制する側もきつい事を言わず、業者となあなあの関係になり、原発の立地条件や、規制に関しても緩い条件になる。

地震、津波によって原発が破壊されてやっと、東京電力のいい加減さや規制官庁の緩さが分かってきたし、他の電力会社も適当に表面を取り繕って来ていた事が露呈した。

ではこのような話し合い(談合)で決める事を完全にやめ、自由競争制度にし一切の前もってのネゴシエーションなしにして、日本社会はうまく回って行くのであろうか?
なにしろついちょっと前まではゆとり教育とか言ってまさに競争しない仲良く和を持って尊しと成すという聖徳太子の精神そのものの教育をおこなってきたのが、世界がグロバル化して経済的競争が激しくなり、その精神では競争社会を勝ち残れないとなると、今度は一変してグローバルな競争に勝てる人物を育てようとなる。そのような競争社会は日本人になじまないと分かっていても、中国、韓国、アメリカと渡り合って行くにはそれを受け入れるしか無い。
「和をもって尊しと成す」精神の崩壊はストレス社会を作り、落ちこぼれを生み出し、鬱病にかかる人の多い社会になる。しかしこれは日本が世界に一流国として生き残るためには避けてて通れない宿命。
今までの誰にでもカンファタブルな落ちこぼれを作らない「和をもって尊しと成す」古き良き時代の終焉であろうか。

若い諸君は強い気を持ってこの弱肉強食の社会に、勝ち残れないまでも、生き残って優しい和の精神を忘れずに弱者をいたわる心を忘れないで欲しい。


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