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播磨の法隆寺と言われる鶴林寺

2016年02月26日 16:01

鶴林寺
播磨平野を横切り、播磨灘へと注ぎ込む加古川、その河口付近に聖徳太子が開いたとされ、西の法隆寺と称される天台宗の古刹、刀田山鶴林寺がある。
広い境内の中には本堂、太子堂、三重の塔、常行堂、鐘楼、行者堂、新薬師堂や護摩堂などの多数の伽藍が点在している。
崇峻天皇2(589)年、聖徳太子が16才の時、播磨の地にいた高麗の僧恵便のために秦河勝(はたのかわかつ)に命じ、仏教をひろめる為の道場として建てられた。
 白鳳時代に造像された聖観音像があり青銅に金箔を押した金銅仏で、すらりと立っている。その昔、盗人がこの仏像を盗み出し、溶かして一儲けをたくらんだが、「アイタタ」という観音の声に驚いて、像を返し改心したという伝説が残っている。本堂本尊の薬師三尊像は平安時代初期の木造古仏で、本尊の薬師如来は平安中期の作品である。その他に、日光菩薩、月光菩薩、持国天、多聞天(いずれも重要文化財)をこの本堂で祀っている。これら5体の仏像はいずれも秘仏で、宮殿と呼ばれる大きな厨子に納められていて、60年に1回しか開帳されない。

戦国時代には近隣の書写山が戦火に巻き込まれたが、姫路領主だった黒田孝高(官兵衞)の説得で信長派となり、戦火を免れた。官兵衛ゆかりのものとしては、天文9(1540)年ごろの官兵衛の父・職隆の書状や天正16(1588)年の官兵衛直筆の書状、信長や秀吉が鶴林寺への乱暴狼藉を禁じる禁制の文書のほか、織田勢に降伏した高砂城主・梶原景行が寄進した県指定文化財の机などが残っており、官兵衛と鶴林寺とは深いつながりがある。
 国宝としては本堂と太子堂がある。本堂は室町時代の入母屋造の本瓦葺きで、内部には秘仏の薬師三尊像と二天像が安置されている。
太子堂は平安時代に建てられ、堂内に壁画の聖徳太子像があることから太子堂と呼ばれているが、元来は法華堂と呼ばれていた。
2002年、韓国人窃盗団により宝物館から高麗仏画と聖徳太子絵伝が盗まれた。聖徳太子絵伝の方は翌年に取り戻されたが、高麗仏画、阿弥陀三尊像については韓国内で見つかったものの、返還されていない。

写真:
 1. 寺院山門 2. 案内 3. 4. 本堂 5. 太子堂案内 6. 太子堂 7. 薬師三尊 8. 三重塔

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高杉晋作の子孫

2016年02月16日 13:22

 
 晋作は辞世の歌に「おもしろき事も無き世をおもしろく」と詠んだところで事切れ、その後を看病していた野村望東尼が下の句として「すみなすものは心なりけり」と詠んだことは、一晋作フアンとして当然知っている。
 高杉晋作(本名春風)は幕府の長州征伐による四境戦争(1966)において,周防大島おきでの幕府艦隊の殲滅や小倉城攻略で活躍したが、肺結核が重くなり野村望東尼に見守られて死去。享年29歳。という話も有名だが、高杉晋作に子供がいたことは余り知られていない。
実は高杉晋作には妻・雅子との間には東一(とういち)という実子が一人いた。
 幼名は谷梅之助。明治20年(1887)に高杉東一と改名。
 東一は父・晋作と死別後、祖父・小忠太、祖母・道と母・雅子の手で育てられる。外交官としてホノルルやウィーンなどに駐在勤務。大正2年(1913)7月11日、48歳で死去。

 更に東一と妻・茂との間には二男二女があり、長男・春太郎が跡を嗣ぎ、戦時中は陸軍主計少尉として、満州やシンガポールを転職、戦後は商社マンとして要職に就き、昭和32年(1957)、54歳で死去。その跡を嗣いだ晋作の曾孫である高杉勝氏(大成建設に勤務、2010年に77歳で死去)と続いている。高杉勝氏は一男(力)と一女(明子)をもうけ、現在につながっている。

晋作の父高杉春樹(通称小忠太)からたどると高杉春風(晋作)、高杉東一(幼名梅之介)、高杉春太郎、高杉勝、高杉力と連綿とつながっている。この名前で思うのは高杉家がなんと洒落た風流味のある一家だろうということ。春樹(父)、春風(晋作)、梅之介、春太郎と男なのに春に関係した名がずらりと続く。また晋作の本名が春風だとは知らなかったが、都々逸を好み型破りな彼の生き様にぴったりの名前。

最近、現高杉家の当主の高杉力氏の話題が新聞に載った。
それによると晋作の日記や愛用していた三味線などの遺品を、晋作所縁の地である山口県萩市と下関市に寄贈すると発表した。 遺品をめぐっては、晋作の墓がある寺「東行庵」(下関市)と高杉家などとの間で所有権の争いが続いていたが高杉家が勝訴したのを機に遺品を寄贈した。この日、萩市の萩博物館で記者会見した力さんは「遠回りをしたが、父の生前の願いがかなって、ほっとしている」と話した。
 萩市に寄贈されたのは、高杉家の家紋入りの産着など。江戸遊学に旅立つ晋作を吉田松陰が激励した手紙や、萩から江戸に約2カ月かけて軍艦で航海した際の日記「東帆録」が含まれている。
 一方、下関市には、愛用の三味線などが寄贈された。奇兵隊の軍旗や療養生活中の和歌などもあり、下関戦争から死に至るまでの激動の人生をたどれる。

 高杉家の血が脈ミャクと遠い過去から現在までつながれている。その長い歴史の一瞬、晋作は維新という時と長州という場所とを得て、疾風雷神の大活躍をした。
 

青魚の脂肪が肥満を予防する

2016年02月01日 12:26

青魚の脂肪(オメガ3脂肪酸)の効能

従来より青魚に含まれるオメガ3(ω-3)の脂肪酸が動脈硬化を抑制するとか血液をサラサラにするといった報告が数々なされてきた。

それは主に青魚に含まれるオメガ3脂肪酸のエイコサペンタエン酸(EPA)やドコサヘキサエン酸(DHA)による。脂肪酸は2重結合の位置で大きく分けてω-6系列とω−3系列に分けられる。ω-6脂肪酸は肉などの通常の食物に多く含まれ、リノール酸やアラキドン酸などがあり、炎症性物質であるプロスタグランジンの前駆体ともなる。一方、ω−3脂肪酸にはα-リノレン酸やDHA, EPAがあり、これらの脂肪酸には抗炎症作用があり、体脂肪の減少や脂肪細胞での脂肪の蓄積を抑制する。

 摂取した食物を消化して作られたエネルギーの消費は、筋肉で多くなされるので、痩せるためには運動が推奨されるが、割と多くのエネルギーを消費するのが、生命の維持に必要な体温の維持である。体温調節には脳下垂体と褐色脂肪組織(BAT)が重要な役割をする。つまり脳下垂体の指令を受けて褐色脂肪細胞のミトコンドリアのUCP1というタンパク質が活性化して、エネルギーの消費(温度上昇)を高める。冬場は特に体温を奪いやすいので、BATでの熱量発生を多くして、体温の保持に努める。冬場には恒温動物は常に同じ体温を維持するために体脂肪を燃やして体温を高めている。

 オメガ3の脂肪酸の摂取はこの系を活性化して、体脂肪を燃やし、熱として放出し、消費することで抗肥満効果を持つことがわかってきた。
ではいかにして効くのであろうか?これらの脂肪酸は交感神経を刺激し、BATにあるbeta3 adrenergic receptor(3β-アドレナリン受容体) を活性化し、ミトコンドリアのUCP1を活性化してエネルギー消費を高める、ことで効くと考えられる。この作用は唐辛子の辛味成分、カプサイシンの受容体(TRPV1, transient receptor potential vanilloid1)を消失させたマウスでは効果がない。
TRPV1受容体はカプサイシンの受容体として働くのみならず、43 度より高温の熱湯、pH5.3以下の酸、マスタード、わさびや様々な炎症性物質によっても活性化され, 痛みや燃えるような発熱感覚を生じる。辛味は増していけば痛みとなり、辛味、痛み、熱は同じ刺激になる。
 この受容体は様々な刺激で痛みを発生するので、現在多くの製薬会社が新規鎮痛剤をつくるため受容体の拮抗薬の開発でしのぎを削っている。

ではなぜ同じ受容体を利用している炎症性物質とオメガ3脂肪酸が一方は炎症、痛みを発生させ、一方は抗炎症効果があるのはどうしてであろうか?
その詳細は不明であるがカプサイシンなどの受容体が皮膚や口などの抹消の感覚神経にあって暑さや痛みを感じるのに対し、オメガ脂肪酸は中枢に効いて、神経を介して褐色黄脂肪組織を活性化して発熱を生じるのではないか?
そのためオメガ脂肪酸の摂取は抹消の組織では抗炎症作用を発揮し、褐色脂肪組織では発熱を促すという、いい効果のみを与える?
何れにしても青魚の摂取は抗炎症効果を持ち、血液をサラサラにして動脈硬化の抑制をおこなうのみならず、肥満の抑制効果も持つといいことだらけ?
鰯や鯖や秋刀魚などの青魚は安いしこれを食べて健康になるということは庶民の健康法にうってつけ。


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