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暗号「マリコ」と日米開戦

2009年01月14日 19:44

柳田邦男著「マリコ」

海軍や外務省の米英協調派による努力も虚しく、日本は米国に対し、真珠湾攻撃に踏切り米国に宣戦布告をしてしまう。この事実が消える事は無いのだけれど、その陰で命をかけて日米開戦を阻止し、両国の平和の架け橋にならんとした外交官がいた。その娘の名前が「マリコ」という。マリコは外交官の寺崎英成とアメリカ人女性のグエンの間に生まれた。

35、6歳の頃、何もかもが生き詰まっていた時に読んだ柳田邦男著「マリコ」ほど、心が打ち震え、涙が溢れたことはなかった。また自分の生き方にもこれほど影響を与えた本も無く、宮本輝の作品とこれくらい、と言うほどのショックを受け、彼の生き方と運命の残酷さを考えさせられた。

寺崎英成はワシントンに勤務する外交官であり、日米緊張が高まる中、情報収集を行っていた。ある日、日本大使館で開かれていたパーテイーの式場で米国人女性グエンと知り合い、恋に落ちる。英成は機密文書を扱う高級外交官であり、上司や周囲からは日米が戦争状態になったら敵国の女性となる。そんな女性と結婚すべきではないと反対されるも、「日米は仲良くなしなければならない。二人で日米の架け橋となって戦争回避に尽くすつもりだ」と結婚する。
昭和6年に上海勤務となりそこで日米の架け橋となる「マリコ」が誕生する。昭和12年。情勢は風雲急を告げ、日本は中国と戦闘状態に入る。
昭和15年には再びワシントン勤務を命じられる。英成の兄太郎は外務省でアメリカ局長という重職についていた。日米間の電話は必ず盗聴されている。兄は英成から日米間のやり取りやアメリカの出方、感触をすばやく知らせてもらうための秘策を思いつく。暗号名「マリコ」が誕生する。アメリカ側の反応がよければマリコは元気。悪ければマリコは病気。もっと悪くなるとマリコは危篤という具合に連絡をとった。
英成にはアメリカの国力、情勢などの情報収集の任務もあったが、FBIは徹底的にマークし、尾行、盗聴、手紙の開封など克明に記入していた。これが「寺崎ファイル」となり、戦後英成がGHQから高く評価されるもととなる。しかし事態は刻々と悪い方に向かい、マリコの症状は益々重くなる。そのような日米の押し詰まった事態をどうにか打開すべく来栖三郎全権大使がワシントンにやって来る。英成は最後にとっておきの奥の手を来栖大使に授けた。それは「ルーズベルト大統領から天皇陛下宛の親書を送ってもらい、直接天皇陛下に訴えかければだれも反対できない」というものであった。

昭和17年12月7日午前10時。開戦前日。ルーズベルト大統領より、親書が打電されるが、日本軍部の画策により、電報がアメリカ大使のもとに届いたのが午後10時。翻訳されて天皇のもとに届いたのが8日の午前3時。すでに遅そし。真珠湾攻撃の30分前であった。天皇にはあらかじめルーズベルトから親書が届く事は知らされていた。天皇は戦後「昭和天皇独白録」で、「親書が来るのを待っていたが、いっこうに来ない。きたらそれに返事するつもりでいたが、間に合わなかった」と述べている。
真珠湾の攻撃が始まった。英成はグエンに言った。「日本は負ける。君たちはアメリカに残れ」しかしグエンは「国がどうなろうと家族は一緒です。私たちは日本に行きます」と答えた。日本に帰国後は、グエンとマリコは敵国人としてひどい仕打ちと辱めを受けなければならなかった。マリコは石を投げられ棒で叩かれ、グエンはスパイだと特高警察につけまとわれた。栄養失調に陥り、体を壊し、マリコは明るさを失った。

昭和20年の8月。玉音放送。戦争は終わった。
マッカーサーの政治顧問であったアチソンはFBIの寺崎ファイルによって、英成が日米の平和に向けて懸命の努力をしていた事を知り、英成を探し出して「君の平和への努力を発揮すべき時がきた」と日米の架け橋に採用する。英成は日本政府とGHQの連絡官として復職する。翌年には天皇とマッカサーの通訳担当官になる。英成は寝食を忘れて、仕事に没頭するが、長年の、過度のストレス、体の酷使、栄養状態の悪さ、などが重なり脳溢血で倒れてしまう。グエンの献身的な看病で一命は取り留めるが、ハードな仕事に耐えられない体となり、外務省を退職。

マリコが成長し、英成は日本と米国とどちらで教育したらいいのか迷うが、日本やアジアの政情不安などを考え、マリコとグエンに米国に帰る事を強く勧める。再び家族が一緒に暮らせる日々を夢見るも、朝鮮戦争が勃発し、日本も戦争に巻き込まれるのではないかとの危惧から日本へ帰る機会を失なってしまう。そして一年後、グエンのもとに一通の電報が届く。それは英成の突然の他界を知らせるものであった。

英成の死後、グエンは「太陽に架ける橋」を出版し、「平和のためにはいつも橋を強固にする努力を惜しまないようにしなければなりません。私たちは日本とアメリカとの間に橋を架ける努力をしてきましたが、それは不完全なものになってしまい、日米の戦争と言う誰も望まないのに突入してしまいました。これからは日米により強固な橋を架け二度とこのような不幸なことが起こらないよう努力しましょう」とのメッセージを本に込めた。

一方、マリコはアメリカで大学に入り、弁護士のメイン ミラーと結婚し、民主党員として夫のためワイオミング州で選挙活動をする傍ら日本国名誉領事官を勤め、日米の架け橋として活躍する。
マリコは英成の死後40年経って、遺品の中から「昭和天皇独白録」を発見し出版する。この本では日米戦争当時の昭和天皇の思いが独白というかたちで語られ、当時の天皇の心情がよく現れている。

現在マリコは70歳を越えているが、健在で活躍されている。2006年の春、日米友好と世界平和に尽くした功績で、叙勲され今の天皇陛下と会い歓談されたという。何を話されたのか興味が湧く。
日米の架け橋のために一生を捧げた一家と、その運命を翻弄した大きな歴史のうねり。考えさせられることの多い本であった。

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