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山本五十六の懐刀

2009年01月21日 18:43

黒島亀人参謀

もし第2次世界対戦に勝っていたなら、黒島亀人は日本海海戦の東郷元帥の頭脳、秋山真之にも勝るとも劣らぬ名声を得たであろう。黒島亀人は山本五十六の先任参謀として常に山本五十六と行動をともにし、その作戦を立て、遂行してきた。真珠湾攻撃しかりミッドウエイ海戦しかり。司令長官東郷―参謀秋山に対比して司令長官山本―参謀黒島といわれる。


よほどの変人だったらしく、いい話は残っていない。誰もが反対する黒島をあえて、連合艦隊司令部先任参謀に抜擢した。その理由は簡単で、彼が並外れた変人、奇人であり、海軍大学校を優秀な成績で卒業した秀才たちでは、並の考えから外れ得ず、その戦略を読まれてしまう可能性がある。それに対し、奇人、変人の考えは予想する事も難しくアメリカのような大国を相手に戦わなくてはならない場合、正攻法でいっても通用しない。よほど奇抜な作戦を立ててもらうためには彼でなくてはならないと説得した。

山本五十六はアメリカのような大国と戦うようになった場合、正攻法や持久先
方は役に立たず、奇襲をかけ、どんどん積極的に攻め続け、早いうちに有利な状態で講和にもちこむしか手が無いと思っていた。しかし、軍令部は南方の資源を確保しつつ、アメリカ海軍が出てきた時に、待ち伏せて叩けばいいという持久論であった。
山本は持論を通すため、航空兵力を結集して真珠湾奇襲を決行することを決意し、黒島参謀に真珠湾奇襲作戦計画を練らせる事にした。その変人たる頭脳に期待した。天才肌で凝り性の黒島は長門後部甲板の先任将校の個室に籠り、ふんどし一丁で、ろうそくの光の中、瞑想し一人で作戦全般を練ったという。その結果、あのような奇抜で、誰が考えても、無謀だと思われるような、しかし緻密に練られた案が完成する。長駆ハワイまでどのように隠密行動をとるのか、何隻の空母を投入するか?難問はつきない。
この一戦に全てを賭けるとの大ばくちで使える空母6隻を全部投入する。
「トラトラトラ」の」電報が発せられ、奇襲の成功が長門に伝えられる。しかしあれ程山本が念を押していた宣戦布告の通知が間に合わず、この成功もだまし打ちにされてしまった。

賭けとして敢行した真珠湾攻撃が大成功をおさめ、これで早い講和の実現がかなうはずであったが、だまし討ちとの批判が轟々とアメリカ国内で巻き上がり、アメリカ国民の意気を消沈するどころか、高揚させてしまった。また日本国内では楽観的な空気が漂い始める。しかも真珠湾で打ち漏らした空母が残っている。山本に焦りが生まれた。短期決戦によって政治的終戦に持ち込もうとする戦略構想が、ちょっと勝っただけで浮かれ、戦時下というのにのんびりと出勤退庁時間を守っているような海軍中央の秀才どもに分かるはずが無い。第二段の攻撃も積極作戦でいこうと決め、軍令部には相談無く、黒島参謀を中心に作戦を練り始めた。山本が幕僚に研究を命じた作戦計画は4つある。1. セイロン島を攻略し、英国海軍を南方地域から追い払い、ドイツ軍と手を握る。2. ハワイを攻略する。3. オーストラリア北部に侵攻する。4. ミッドウェイの攻略。である。
論議の果てに連合艦隊は皮切りにセイロン島攻略を行う事を決定した。しかしこの案は軍令部により却下されてしまう。その結果、連合艦隊司令部はセイロンにかわって本気でハワイ攻略を考え始める。当然のごとく日本本土とハワイの中間にあるミッドウエイ攻撃が浮かび上がる。その頃にはアメリカ機動部隊がウエーキ島や東京に近い南鳥島を蹂躙し始めていた。ミッドウエイ攻撃でもってアメリカ空母艦隊を殲滅する以外、早期決戦と本土防衛を果たせる方法はない。黒島大佐は真っ暗な参謀室に閉じこもって秘策を練る。誰にも理解されないような独創的な秘策を、香をたいた部屋で瞑想し、絞り出す。そして半月もたたないうちにポートモスビー攻略からフィジー、サモア攻略作戦という3ヶ月半にわたる大作戦を生み出すのである。黒島参謀が一番頭を悩ましたのはアメリカ空母の動静であった。そこで黒島参謀は敵空母を誘い出し、一気に叩くという作戦を考えだした。大部隊をいくつかのグループにわけ異なる日時、異なる場所から出撃させ、精密なスケジュールのもと、ミッドウエイに敵を誘い込み殲滅する。これが彼の考え抜いた作戦であった。

第一撃はアリューシャン列島を叩く。すると米艦隊は真珠湾を出てアリューシャン列島へ向かうであろう。第二段は南雲機動部隊がミッドウエイに襲いかかり、その後ミッドウエイとハワイの中間で待機する。あわてた米艦隊はミッドウエイに向けて急遽舵をきるであろう。そこを捕捉して一網打尽にしようとする案で黒島は自信満々であった。いずれにせよ、艦艇200隻以上の大兵力が、10個のグループに分かれ。太平洋の北から中央にかけて展開し、スケジュール通りに進撃するのである。ほんのちょっとした齟齬で緻密な計画は反対に完全に瓦解してしまう恐れがある。米国は暗号電報の解読で、ミッドウエイに日本海軍が続々と集まりつつあるという情報を得ていた。そして米空母は南雲機動部隊司令部の予想よりも早くミッドウエイ海域に到達していた。
日本側にも前もって警鐘の電報が送られていたのであるが、無視されてしまう。マーシャル諸島のクエゼリン環礁を基地としていた第六(潜水艦)艦隊の司令部特務班は米空母から発せられたとみられる米軍の暗号電報の発信場所を特定した。それはミッドウエイの北北東170カイリ付近で、2隻の空母がミッドウエイに向けて移動しているというものだった。作戦特別緊急電報で大本営、赤城機動部隊に打電された。大和の山本長官のもとにも知らされた。「赤城に念のため知らせてはどうか」と山本は言った。しかし黒島参謀は自信満々に「赤城でもこの電報を受け取っていますから、知らせる必要なないでしょう」とさり気ない返答であった。しかし赤城の南雲司令部は敵空母は、はるか彼方にいるに違いないとの先入観から、電報を受け取る状態にすらしなかった。
待ち伏せのつもりが、情報不足、索敵の遅れから、反対に奇襲されて、惨敗に終わり、米軍をしてミッドウエイの七面鳥狩りとまで言わしめた。空母赤城、加賀、蒼龍が炎上。頼みの山口多門少将率いる飛龍も被弾し戦闘力を失った。

しかしその被害はひた隠しに隠され、海軍大本営発表と称して日本海軍の勝利を大々的に戦果を発表した。海軍中央の秘密主義は完璧で、国民に対しても、陸軍にも、東条英機首相にもなんの知らせも無く、大本営発表を頭から信じ、連戦連勝で戦争は間もなく終わるかのごとき、幻想に陥り、天皇に対しても事実を知らせる事は無かった。

戦後に黒島は「しかしその情報(電報のこと)を見逃したにしろ、南雲があらゆる機会を捉えて、命令を忠実に実行したなら日本海軍が勝利を得たでしょう」と語っている。
南雲司令部が真の目的はミッドウエイを叩く事ではなく、敵空母を殲滅することだと理解していれば確かに、黒島の案は成功していただろう。しかし、意思の疎通に欠け、先入観に凝り固まっていた機動部隊にはその柔軟さがなかった。山本の嘆きは益々深まる。

1943年春。連合艦隊司令長官山本五十六大将は南方前線視察のため、ラバウルを飛び立ち、バラレからショートランドへわたる途中、暗号を解読した米軍の待ち伏せにあい、撃墜される。
山本五十六戦死の後、黒島は生彩を欠くようになる。軍備を担当する軍令部第2部部長となり、特攻兵器の開発に携わった。黒島が軍備担当の責任者に就任した事は海軍が特別攻撃を採用する決定的意味を持ったとされる。戦闘機による特高の他、人間魚雷「回天」、ロケット特攻機「桜花」にも携わり、9500人もの若者が特攻で散る事となった。黒島自身は軍令部のデスクワークだったため、戦犯に問われる事もなく、戦後も生き続け、1965年73歳でこの世を去る。
黒島は善しにつけ悪しきにつけ、天才として自分の才能を思う存分引き出してくれる山本五十六のもとで、並外れた知略で活躍したが、その支えを失ってしまうと一気にたががはずれてしまった。

バルチック艦隊を撃破することで、大部分の目的が達せられた日露海戦と違い、黒島、山本の不幸は真珠湾攻撃だけで戦争は終わらず、連続して戦い続けなければならない長期戦になったことにある。日露戦争の場合も第2次大戦の場合も全面戦争では勝ち目の無い戦であった。日露戦争においては、短期に日本が有利に戦いを進めている間に、将来を見通せる政府首脳がいて講和に成功した。一方、第二次大戦では、真珠湾攻撃の成功で勝てるのではないかという期待が膨らみ過ぎ、また政府首脳陣に先を読める者がいなかったため、ずるずると長引いた戦争になってしまった。
山本はあくまで積極的な短期決戦でのみ勝機があると考えていたため、黒島に秘策を考えさせ、自信をもって真珠湾攻撃、ミッドウエイと攻め続けたが、ほんの小さなボタンの掛け違いで、大きな齟齬が生まれ、ミッドウエイの大敗につながった。

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