スポンサーサイト

--年--月--日 --:--

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

原子爆弾開発競争

2009年02月04日 17:26

エンリコ フェルミの役割

第二次世界大戦においてはアメリカのみが原爆を開発し、広島、長崎に投下した。
原子物理学の研究においてドイツは世界の最先端を走っていた。1938年にはすでに、原子核が分裂し、その際大量のエネルギーを放出することに気づき、カイザーウイルヘルム研究所(今のマックスプランク)にドイツウラニュウム研究会が発足された。この時点ではドイツはアメリカを初めとする諸外国に完全にリードしていた。しかしナチス高官がカイザーウイルヘルム研究所のスタッフの身元調査をした。物理学者の中にはユダヤ人が多く、ユダヤ人は排除されなければならないとの理由でユダヤ系研究者は排斥の憂き目にあった。その筆頭にあげられたのがイタリア系ユダヤ人のエンリコフェルミであった。彼は同じユダヤ系のリーゼマイナトナーとともに国外追放された。

Enrico Fermi(1901-1954)はローマに生まれた。原子・分子の分光学的研究で「フェルミ共鳴」を発見、また粒子散乱理論、原子核構造論、量子電気力学など多方面にわたる優れた業績を残した。とくに、34年に発表した「原子核のβ崩壊の理論」は、湯川秀樹の中間子論とともに、素粒子物理学への道を開くものとなった。さらに、発見されたばかりの中性子を原子核実験に利用、「フェルミの中性子減速理論」をつくり、遅い中性子の特異性を発見(1934)、中性子物理学を開いた。同年さらに、中性子によるウラン衝撃実験によって「超ウラン元素」を発見、後のハーンによる核分裂現象の発見の契機をなした。この中性子による原子核反応に関する諸成果によってノーベル物理学賞を受賞した(1938)。その後、アメリカに亡命し核物理学研究の成果をあげる。ドイツでは1940年になると原爆開発は国防軍の管理下におかれ自由な研究は全くできなくなってしまった。そして完全に原子爆弾の開発が停止してしまう。一方、アメリカでは秘密さえ守れば自由に、時間にも束縛される者も無く研究できた。フェルミはマンハッタン計画に参加し原爆製造に深く関わるようになる。これが大戦の後半には実を結んだことはご存知の通りである。

日本での開発状況はどうかというと、1941年に陸軍は理化学研究所に原子爆弾開発を委託する。アメリカの原爆開発プロジェクト「マンハッタン計画」から1年遅れ、1943年から本格的に仁科芳雄博士らは天然ウラン中のウラン235を熱拡散法で濃縮しようと試みた。独立に、海軍は京都大学の荒勝文策に原子核反応による爆弾の開発を依頼した。こちらは遠心分離法による濃縮を計画していた。日本にはウラン鉱脈が少なく、二酸化ウランは上海の闇市場で130 kg購入した他、ドイツに頼んでウランをUボートで輸送してもらっていたが、途中でドイツの敗戦となり、Uボートも連合国に降伏したため手に入る事はなかった。

理化学研究所で行っていた熱拡散法はアメリカの気体拡散法(隔膜法)より効率が極めて悪く濃縮にまで至らなかった。京都大学での遠心分離法も設計図ができあがった時点で終戦となった。
ナチスがフェルミを国外追放しなかったなら、ドイツが最初に原爆を製造していたかもしれない。

スポンサーサイト


コメント

    コメントの投稿

    (コメント編集・削除に必要)
    (管理者にだけ表示を許可する)

    トラックバック

    この記事のトラックバックURL
    http://explore525.blog45.fc2.com/tb.php/115-1f012c42
    この記事へのトラックバック


    最近の記事


    上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。