スポンサーサイト

--年--月--日 --:--

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

靖国問題 

2008年04月02日 11:09

映画「靖国」が問題になっている。実際に見た訳ではないので一般的な事しか言えないが、どのような思想によって作られた映画にしろ発表の機会を奪ってしまう事はまずい。靖国神社に詣でるごくわずかな極右的な言動をする人のみを捉えて一般化しようとすることも問題ではあるが、それは主義、主張をより誇張してみせるということで誰でも大なり小なりやっていることである。
日本の教育は昔も今も詰め込み記憶中心。真の教育とは個人が様々な事実を知って,または学習して(この場合は歴史的な事実)、自分自身で判断し、独自の意見が述べられる能力を養う事である。これらの素養を養うためには歴史、地理、文化、民族、宗教など個々の民族、国家が抱えている背景を知る必要がある。これらのことを全て学ぶのは大変であるけれども、少なくともある問題が生じた時、その背景を自分で調べ、自分自身で判断できる能力を養うのが肝要であると思う。今の受験勉強の弊害は、一般成人の受験に関係ない教科の知識が驚く程低いことである。理系の大学生(大学院生)には日本の歴史や地理どころか、日本語の文章がまともに書けないものが多く、研究以前の状態を呈していることも事実である。小学校低学年にゆとり教育はいらない。基礎の基礎は詰め込み、強制されて覚える社会生活に必要なルール。当用漢字や九九を知らなければ社会生活にも事欠く。よってルールたる読み書きそろばんとごくありふれた常識くらいは身につけて欲しい。その上に立って初めて自己の確立、専門性の確立ができる。さらにその上に思想や人間としての情愛、いたわり、哀感などまさに論理では割り切れない愛、義理、人情といった心の問題がでてくる。これは人間の一生のまたは永遠のテーマとなる。
 個人個人の生い立ちの背景が違う以上考え方も、思想も異なるのが当然で、様々な議論がされるのも当然である。しかし論争の場に主観的な主張や正義はということを持ち込まれるとそれ以上の議論がなくなる。日本人は主観的に考えがちで客観性が乏しい面もある。いつも神風が吹くと思うと大間違いである。
靖国に話しを戻すと。靖国神社に対しての考えも個々に違って当然。靖国に祭られている遺族とその他の家族では全く考えも異なるであろう。どうあれ、どのように思うかを議論する事は大切である。
 なにかと議論のある靖国神社の遊就館を見た。巷間言われているよりは控えめだと思った。戦没者をバックにしての神社の戦争記念館であるのだから当然かなりの主観的主張に満ちてはいたが、この程度の事は他国の戦争博物館に行っても誇張的に主張されている。自分たちの主張をこのような場所で押し進めるのは当たり前のことで、ハワイのパールハーバーの記念館や中国の戦争記念館ではこれ以上の事が平気で言われ、展示されている。これらの展示を見て個人個人が様々な印象を得、議論すればそれで良いと思う。日本人から見る目、中国人が見る目、アメリカ人が見る目、また個人個人の目、当然異なってしかるべき。
例えば100歩譲って日本が真珠湾をだまし討ちをしたとしよう。だからといって原爆を広島、長崎に落として大量の一般市民を虐殺して良いとは言えないだろう。昔アメリカにいた時、ワシントンのスミソニアン博物館にエノラゲイ(Enola Gay 原爆を落とした爆撃機)が展示され操縦士たちが英雄として祭り上げられれいるのを見て、日本人として複雑な心境になったことを覚えている。一方、原爆を落とした機長Paul Warfield Tibbets Jr大佐は国家からの命令とはいえ、何の謝罪もせず2007年に92歳で天寿を全うした。
とあれ正義は国や宗教によっても変わる。卑屈にならずに言うべき事は言って、日本人としての尊厳と誇りだけは見失わないような教育をして欲しい。
 
[倭は国のまほろば、たたなづく青垣山 こもれる倭し うるわし]

      
             (歳をとり愛国心に目覚めたぼけ)
スポンサーサイト


コメント

  1. 二等兵以下 | URL | -

    No title

    個人名は出さないという原則にいきなり反してしまいました。
    以後気をつけます・・・。

  2. くりくり | URL | -

    戦争教育についてひと言。

    靖国というと、何やら色んな思いが重く深くのしかかってくる。
    ここほど、幾千、幾万の問いかけをしてくる場所を私は知らない。語りたいことは山のようにあるけれど、、、。それでも、戦争というものについて、特に真摯に考えさせられる数少ない場所の一つであることには間違いない。遊就館しかり、、。

    自分たちがあの戦争で犯した過ちを早く忘れようとしているのか、それとも忘れることが償いだと思っているのか、はたまた、忘れれば二度と同じ過ちは犯さないと思っているのか、とにかく、そういう臭いものには蓋的な教育が功を奏し、戦争を直接物語る、ましてや戦前の天皇陛下万歳的な場所からは、何か、禁忌の香りというか、、タブー的なものを感じ、何やらこういう場所を訪れるのに、ことさら勇気?が必要だったりする?戦争賛美者と思われはしないか、、だとか。


    (何かおかしいのではないかと思う。)

    戦争は悪いこと、その戦争を始めてアジア各国を侵略した当時の日本は悪そのもの、、だから、その日本が行ったことは何もかも全て悪い、、なのでとりあえず謝っておこうというような余りに自虐的な戦争史観が横行しすぎて、当時の日本にもきっと何か言い分があったはず、、、などと、言おうものなら袋だたきにされそうな(言論の自由な国のはずなのに、、。)雰囲気??
    この国は本当に自由の国?????

    一体、あの戦争がなぜ始まったのか、lその理由、原因について知っている人がどれほどいるのだろう。それらについて色々な事実をえぐり出して、犯した過ちが何であったのか、避ける術はなかったのかなど、考えていくことが大切な歴史教育であると思うのに、、、、。

    あの戦争についてほとんど何も知らない者たちから、あーだこーだと言われたくない、、と、靖国で眠る英霊達が泣いているような気がする。

コメントの投稿

(コメント編集・削除に必要)
(管理者にだけ表示を許可する)

トラックバック

この記事のトラックバックURL
http://explore525.blog45.fc2.com/tb.php/12-9b86364a
この記事へのトラックバック


最近の記事


上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。