スポンサーサイト

--年--月--日 --:--

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

淡路島かよう千鳥

2009年07月23日 13:12

源氏の配所、須磨

「淡路島かよう千鳥の鳴く声に幾夜寝覚めぬ須磨の関守」は淡路島から渡ってくる千鳥の物悲しい鳴き声で幾度目覚めたことかと須磨の関守の心情を歌った源兼昌(平安末期の歌人)の和歌で百人一首にも選ばれている。

須磨は源氏が流され、蟄居し、明石の君に会った場所。その当時の須磨は侘しい、うらぶれたといった感じの寒村で源氏物語にも
「おはすべき所は、行平の中納言の、「藻塩垂れつつ」侘びける家居近きわたりなりけり。海づらはやや入りて、あはれにすごげなる山中なり」とある。
更に「須磨には、いとど心尽くしの秋風に、海はすこし遠けれど、行平中納言の、「関吹き越ゆる」と言ひけむ浦波、夜々はげにいと近く聞こえて、またなくあはれなるものは、かかる所の秋なりけり」や「御前にいと人少なにて、うち休みわたれるに、一人目を覚まして、枕をそばだてて四方の嵐を聞きたまふに、波ただここもとに立ちくる心地して、涙落つともおぼえぬに、枕浮くばかりになりにけり。琴をすこしかき鳴らしたまへるが、我ながらいとすごう聞こゆれば、弾きさしたまひて、「恋ひわびて泣く音にまがふ浦波は思ふ方より風や吹くらむ」と須磨の生活の侘しさがうかがえる。

さらに続いて「月いと明うさし入りて、はかなき旅の御座所、奥まで隈なし。床の上に夜深き空も見ゆ。入り方の月影、すごく見ゆるに、
 「ただ是れ西に行くなり」
 と、ひとりごちたまて、
 「いづ方の雲路に我も迷ひなむ
  月の見るらむことも恥づかし」
 とひとりごちたまひて、例のまどろまれぬ暁の空に、千鳥いとあはれに鳴く。
 「友千鳥諸声に鳴く暁は
 ひとり寝覚の床も頼もし」となる。
この源氏物語の一節があって冒頭の「淡路島かよう千鳥」の和歌が詠まれた。
かくに当時の須磨は物寂しい場所でそこに西国への出入りを監視する関所があった。

淡路島
須磨にまでくると淡路島は手に取るように真近に見える。昔は須磨から淡路島に船で渡った。須磨―淡路島ルートは古来より阿波の国(徳島)へいく交通の要所で、淡路島は都の出来事も早く伝わり、今と異なり、想像以上に開けた地であった。
今では明石大橋ができ、車で簡単に行けるため四国への通り道になり、忘れ去られかけている感がある。

秋田からのお客を連れて淡路島の名所,数カ所と明石海峡を訪れた。
①神戸―淡路大震災の爪痕の野島断層。
大きな風車が駐車場の真上にありぶんぶんと風を切りながら廻っていた。当日は強風の荒れ模様の天候で、今にも羽が折れて飛んでくるのではないかと恐怖にかられた。この断層は一万年に一回の頻度でずれているらしく隆起と横ずれの両方が起こると家や立ち木や塀がどんなことになるのかがよくわかる。科学は進んだとはいえ、自然の力は未だそれを凌駕するものがある。科学者は真摯に自然と向き合う必要がある。

②あわじはなさじき。
ここのお花畑はいい。丘の上に作られたお花畑は壮大で、遠くに海と大阪。紀伊が臨まれる。海が無ければ富良野、美瑛と間違えそうなくらい壮大。曇天で時折スコールのような雨が降ってくる。厚い雲の合間から遠く大阪の地が臨まれる。

③明石海峡
岩屋からみた須磨と帰りのたこフェリーからの風景
のんびりと岩屋から明石まで明石海峡をフェリーで帰る。明石大橋の真下を通って明石までいく20分間の船旅。素朴。暗雲たれ込めた空を割ってかかる明石海峡と淡路島。

写真 1風力発電 2 断層 3 地震あとの台所 4 はなさじき1 5 はなさじき2 6 はなさじき3 7 はなさじき4 8はなさじき5  9明石を望む 10 須磨がみえる 11 明石大橋 12暗雲立ちこめる明石海峡

1.jpg
2.jpg
3.jpg
4.jpg
5.jpg
6.jpg
7.jpg
8.jpg
9.jpg
10.jpg
11.jpg
13.jpg

スポンサーサイト


コメント

    コメントの投稿

    (コメント編集・削除に必要)
    (管理者にだけ表示を許可する)


    最近の記事


    上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。