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乃木希典と旅順攻略

2009年10月22日 18:09

旅順

旅順をめぐっての攻防戦は日露戦争の天王山といってもよく、「坂の上の雲」にも詳しく書かれている。当時日本は日清戦争に勝利して、浮かれたのもつかの間、三国干渉により講和権益が大幅に縮小され、遼東半島も手放さざるを得なくなった。三国の中で特に強行であったロシアは遼東半島に進出し、さらには朝鮮を窺っていた。とりわけロシアの極東総督エフゲニイ アレクセイエフは強硬で日本案にことごとく反対した。日本は堪忍袋の緒を切らしロシアに宣戦布告し日露戦争が始まった。ロシア軍は日本の戦力からして,戦闘範囲を朝鮮半島に限定してくるのではと楽観していたし、アレクセイエフも日本は旅順を攻める事はない、限定した勢力を南満州に集中して,戦略を展開して来ると読んでいた。

第一軍を率いる司令官黒木大将は鴨緑江を越えて満州方面へ進出していった。その時に持っていた秘密兵器の120ミリ榴弾砲が猛烈な破壊力を発揮し、次々に侵攻していった。第2軍は奥大将を司令官に遼東半島に上陸する。更に大本営は旅順を放置しているわけにはいかないとの判断で第3軍が編成された。そしてその司令官には日清戦争後に予備役に入っていた乃木希典中将が任命され軍関係者を驚かせた。乃木は指揮官としての資質や戦争下手にも定評があり、なぜ乃木がと疑問がられた。この人事は山形有朋の意向だとされ、バランス上参謀総長には薩摩出身の伊地知幸介少将が選ばれた。

作戦は6月26日に開始された。7月25日からは旅順攻略のための本格的な戦闘が始まった。日本軍は最初7月30日までに旅順を包囲し陥落させる事ができるだろうとの甘い見通しをしていた。しかし前進する日本軍に対し、標高差を利用した機関銃による掃射が絶大な威力を発揮する。一方で日本軍は攻撃目標が分散し、一点に集中して攻撃するという事をしなかった。戦術展開に完全に失敗していたのに、ごり押しし益々被害を大きくした。更に軍司令部を戦闘地よりも遥か後方に設置し、攻撃の様子などまるで分からない場所から命令を発していた。同じような突撃を繰り返し、多くの犠牲者がでる。全く学習効果などない。確かに乃木は兵卒と同じ食事をとり、質素な家屋に寝起きするその姿は人を感銘させた。しかし軍司令官として多くの兵士の命を預かる人物ではなかった。9月17日に再度の総攻撃を命令した.同じような攻撃で、同じようなパターンで展開され、白兵戦はまたしても失敗に終わる。「兵隊を要害正面にならばせ正面からひた押しに攻撃していくという事に固執し、国民を無意味に死地に追いやっている。無能者が権力の座についている事の災害がこれ程大きかった事はないであろう」と司馬遼太郎は言っている。

その頃ようやく203高地の戦略上の重要性を両陣営とも認識し始め、203高地を巡っての攻防戦が行われるようになった.それまでは152ミリ砲が用いられてきたが、海軍からの要請で内地に据えてあった28cm榴弾砲6門が9月の半ばには旅順に届けられていた。しかし伊地知参謀長は海軍が使っていた砲でもって旅順を陥落させたとなると第3軍の面子は丸つぶれになるといい,他の参謀達も正攻法で落としてこそ陸軍の誇りが保てると、未だ面子にこだわっていた。

しかし広島の大本営では強硬にこの28 cm榴弾砲を使うように命令し、さらに6門を送り届けて来た。しかも、その威力は驚異的で152 mm榴弾砲では歯が立たなかった厚いベトンも簡単に打ち抜いてしまい、ロシア兵の恐怖のマトになった。もう季節は秋の終わりを告げようとしていた。10月の26日以降この28 cm榴弾砲が使われる事にはなったが、集中して203高地攻略に使われた訳ではなかった。この期に及んでも、特に幕僚達には海軍のいう203高地なんか論外という雰囲気であった。閥にこだわり,面子にこだわり、それによってどれだけ多くの兵士達が犠牲になったか。

それでも尚正面攻撃にこだわり,3000名の白襷隊を編制して最後の突撃を敢行する。もう季節は11月26日になっていた。そして惨敗。
このような八方塞がりの時に、総参謀長の児玉源太郎が旅順に現れる。203高地攻撃に全精力を使うように指示し、28cm砲を全て投入するように指令した。それでは面子が立ちませんと一人が強く主張した。「面子で戦争するのかね。武人としての名誉です。それを保つための時間を8月後半から3ヶ月以上君たちにやってきた。それでも落ちんではないか」
かくして203高地の総攻撃が決まった。12月5日には203高地が陥落した。そして年明けに水師営での降伏調印式へとこぎ着ける。どうにか旅順を落としたもののその代償はあまりに大きく死傷者6万人に及んだ。無能な司令官や参謀はあまりにも単調な攻撃に終始し、学習効果が全くなく、完全にロシア軍に戦術を読まれていた。また海軍に対しての異常なまでの対抗意識で、本来の目的である旅順を落とす、ことが目的なのを忘れていた。

坂の上の雲では徹底的に乃木と伊地知の無能ぶりが批判されているが、大本営も満州の軍令部も第一回の総攻撃で旅順は簡単に落ちるであろうと甘い予想を立てていたし、内地の新聞も既に旅順陥落の号外を刷っていた程であった。
後に乃木は明治天皇崩御とともに殉死し軍神に祭り上げられ、伊地知もなんら責任を取らされていない。これでは6万人及ぶ死傷者は浮かばれない。
このような無責任な陸軍の体質が第2次大戦でも同じような過ちを引き起こす.

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