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花隈城跡

2010年04月17日 14:21

花隈城

神戸元町駅から沿線沿いに西に5分ぐらい歩いた山の手に、城跡の石垣が残っている。JRで三宮方面へ向う時、神戸を出てすぐに電車から古い石垣が見えるのがいつも気になっていた。これが花隈城の本丸跡である。築城当時の花隈城は海に突き出し、海陸の要害地であった。 城の規模は古図によると、本丸の西北隅に天守、東南隅に櫓を設け、二の丸、三の丸と北に続き、その東に侍町と足軽町があり、近世城郭の形態を完備した偉容を示していたと伝えられるが、建物の構造などは詳しくわからない。城の西には花隈町があった。現在の地形では北は県庁、西は善福寺、南はJR線で、それを越えると港へ、東は生田中学校がある。東西約350メートル、南北約200メートルであったと思われる。
花隈城は1567年に織田信長が荒木村重に命じて、毛利征伐の最前線の城として築かせた。石山寺本願寺との戦いにおいて、毛利軍の陸海からの支援を防ぐために更に大改築され城の機能が増強された。1578年に荒木村重が信長にそむき、有岡城(伊丹城)に立てこもって戦った際、花隈城は荒木方の支城として戦った。有岡城の戦いで城を失い尼崎城も追われ、摂津国最後の城となった花隈城に逃げ込んだ荒木村重にとって花隈城は文字通り「最後の砦」となった。しかし花隈城も池田信輝らに攻められて、1580年についに落城した。荒木村重はさらに毛利へと落ち延びていく。その後、前のブログで書いたように、豊臣秀吉の世になっても生延び、茶人として暮した。

写真1花隈城の看板 写真2 花隈城跡  写真3 花隈城跡  写真4 花隈城跡 写真5 花隈城跡     写真6 花隈城跡からJR沿線を眺める

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