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独創的研究

2010年09月06日 18:04



 久しぶりに蜘蛛毒博士の川合先生に会った。川合先生についてはブログでも紹介したので、ご存知の方もあるかもしれない。彼は東大の神経科の医師/研究者として勤めている時に、誰もやっていない未開拓の蜘蛛やハチの持つ神経毒に興味を持ち、この神経毒を研究しようと思い立った。そこまではだれしも考えつく事かもしれない。しかし彼のすごいのは実際に野生の女郎蜘蛛を何万匹と集めたことである。その間4-5年。民家の軒先に巣をはる蜘蛛を探してる途中、泥棒と間違われ、警察の尋問を受ける事もしばしば。ひたすら蜘蛛集めに専念し、野山を駆け巡り、殆ど研究もできず、論文もでない状況になった。しかもそんな状態では科学研究費ももらえる訳もなく、貧乏な研究生活が続いた。それにもかかわらず、彼は小さな蜘蛛の毒針から毒を抽出し、その蜘蛛毒の構造を決定する事までこぎ着けた。そして女郎蜘蛛トキシンはグルタメート受容体に結合し、作用を阻害し、昆虫の神経を麻痺させている事を証明した。この執念はどこにあるのであろうか?
彼曰く「とにかく人のやっていないことがやりたかった。蜘蛛を集めている瞬間も誰かがやってしまうのではないかと不安いっぱいであった。」この言葉に彼の研究の原点があるように思われる。

人とは違ったことをやりたい。新しい分野を切り拓きたい。世の中の役に立つような仕事をしたい。研究の動機は様々あれど、その動機が研究を進める大きな駆動力となり、さまざまな困難さを越えて研究をし続けられる力になっていることがしばしばある。その結果出て来た成果は、研究者個人のフィロソフィーを映している。ある意味では芸術家と同じかも知れない。古今東西を問わず、一流とされている画家の作品をみると、まさに個性に溢れ、その絵をみれば一目で誰の作品だと,絵がidentityを証明してくれる。ゴッホやモジリアニーはあくまで、自分のスタイルを押し通し、大衆に迎合することはなく、反対に世間が自分の描く絵を認めてくれないと悩んでいる。彼らの絵には凄まじい個性の表現が隠されていて、素人目には決してうまく,きれいな絵ではない。しかし誰でもが絵を見ればこれは誰が描いたかがわかる。他の一流とされる画家の絵とて同じである。

現在は科学が資本主義という大きな力に翻弄され、中世とは異なり科学の世界も趣味や個人の時代ではなくなって来た。科学の成果が大きな産業を産み、ビッグマネーに繋がり,国家の繁栄にさえ繋がるような時代になってきた。当然、大きなお金が科学研究に投入され、その代償を求められるようになって来た。手っ取り早く商品化でき金になる科学が流行し、もてはやされるようになった。特に、昨今のように不景気ともなると尚更で、応用性のあるもの、役に立つものが独創性のある科学より優先される。基礎研究とて世の中は将来の応用を目指したものを要求し、応用に繋がるかどうか分からない基礎研究には金を出さなくなって来ている。

このような時代に、4年も5年も費やして、成功する保証の無い研究を進めて行くという余裕も失われた。短期で結果を求められるようになり、小振りな研究が増えて行く事となった。成果、成果とあまり言われず、ある意味貧乏ではあるが生き残れ、自由な研究ができた時代と同じような研究は今の時代では不可能なのかも知れない。長期の基礎的なテーマで、4-5年も成果が出なければ生き残れない。

寂しい限りであるが、研究を続けるためには今の世の研究指向にある程度合わせて、研究生活を生き抜いて行く必要があるのかも知れない。

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