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雪虫(しろばんば)

2010年11月08日 18:13

儚さと初冬

初冬の穏やかな日の夕方、小さな蜘蛛が風に乗って一斉に飛び立ち、それが夕日に煌めいてとても美しいという、空を飛ぶ蜘蛛「雪迎え」についてはブログで書いた。雪迎えとは別に、雪虫とよばれる体長1-2mmの小さな虫は晩秋から初冬にかけての穏やかな日の夕闇迫る頃、雪の降るが如くにふわふわと漂い、冬の到来の近いことを知らせる。雪の妖精。雪虫が舞うともうすぐ初雪だ。

雪虫はアブラムシの一種で白腺物質を分泌する腺が存在するものを言い、体全体が綿で包まれたようになる。雪虫という呼び方は主に北国の呼び名で、綿虫とかしろばんばとか呼ばれる。アブラムシは通常,羽の無い姿で、単為生殖によって多数が集まったコロニーを作る。しかし初冬のある時期、越冬する前になると羽のある雄と雌の成虫が現れ、卵を産む。この成虫が空を乱舞する姿がまるで雪が降っているように見える(写真)。その飛ぶ力はか弱く、風になびいて流されるため、なおさら雪の様に感じさせる。北海道では初雪の降る少し前に現れ,冬の訪れを告げる風物詩ともなっている。寿命は一種間程で、卵を産むと死んでしまう。儚い虫でもある。

井上靖の小説「しろばんば」の冒頭にもその飛ぶ姿が記述されている。

「その頃、と言っても大正四五年のことで、いまから四十数年前のことだが、夕方になると、決まって村の子供たちは口々にしろばんば、しろばんばと叫びながら、家の前の街道をあっちに走ったり、こっちに走ったりしながら、夕闇のたてこめ始めた空間を綿屑でも舞っているように浮游している白い小さい生きものを追いかけて遊んだ。素手でそれを掴み取ろうとして飛び上がったり、ひばの小枝を折ったものを手にして、その葉にしろばんばを引っかけようとして、その小枝を空中に振り廻したりした。しろばんばというのは"白い老婆"ということなのであろう。子供たちはそれがどこからやって来るか知らなかったが、夕方になると、それがどこからともなく現れてくることを、さして不審にも思っていなかった。夕方が来るからしろばんばが出てくるのか、しろばんばが現れてくるので夕方になるのか、そうしたことははっきりとしていなかった。しろばんばは、真っ白というより、ごく微かだが青味を帯んでいた。そして明るいうちは、ただ白く見えたが、夕闇が深くなるにつれて、それは青味を帯んで来るように思えた」というロマンチックな虫である。雪迎えといいしろばんばといい、越冬の時期が迫ると日頃行動力の無い昆虫が種の存続をかけて、広い大空に舞い上がり、できるだけ遠くへ遠くへと駆り立てられるように舞い上がる。ああ壮大なる命の営み。感嘆せざるをえない。

木枯らしが吹き途絶えた、小春日和の夕暮れ時。仄かに白く光って見える、小さな雪虫が群れ飛ぶ場面に出くわすと、なんとなく物悲しく、幼少の頃を思い出し、ノスタルジーにかられるのは私だけでしょうか?

このような儚く、つかの間の命を謳歌している虫達を見ていると、何のために生きるのか?生きるって?毎日同じ様に働き生活し、老いて行くって?と感傷にふけり胸がきゅんと締め付けられる。

写真 飛んでいる雪虫
image_20101108181128.jpeg
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