スポンサーサイト

--年--月--日 --:--

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

小説の書き出し

2010年12月10日 18:21

小説の冒頭

川端康成と夏目漱石

小説の書き出しは、これから起こるであろう出来事を暗示させ、小説の導入として重要である。
小説の冒頭部分が美しく洗練された文章の作家として思い浮かべるのが川端康成だ。まずは川端康成の有名なシーンから。

川端康成の文章でも特に美しいとして有名なのが中学校の教科書にも頻繁にでてくる? 雪国の冒頭と伊豆の踊り子の冒頭シーンであろう。

 雪国
国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。夜の底が白くなった。信号所に汽車が止まった。向側の座席から娘が立って来て、島村の前のガラス窓を落した。雪の冷気が流れこんだ。娘は窓いっぱいに乗り出して、遠くへ叫ぶように、「駅長さあん、駅長さあん。」明りをさげてゆっくり雪を踏んで来た男は、襟巻で鼻の上まで包み、耳に帽子の毛皮を垂れていた。もうそんな寒さかと島村は外を眺めると、鉄道の官舎らしいバラックが山裾に寒々と散らばっているだけで、雪の色はそこまで行かぬうちに闇に呑まれていた。

文章が簡潔で、正確に表現するというよりは感覚的に、絵画的に語られ、一度読めばそのシーンが網膜に焼き付けられる名文である。

 伊豆の踊り子 
 道がつづら折りになって、いよいよ天 城峠に近づいたと思うころ、雨脚が杉の 密林を白く染めながら、すさまじい速さ でふもとから私を追って来た。私は二十歳、高等学校の制帽をかぶり紺がすりの着物にはかまをはき、学生カ バンを肩にかけていた。一人伊豆の旅に 出てから四日目のことだった。修善寺温 泉に一夜泊まり、湯ケ島温泉に二夜泊まり、そして朴歯の高下駄で天城を登って 来たのだった。重なり合った山々や原生 林や深い渓谷の秋に見とれながらも、私 は一つの期待に胸をときめかして道を急 いでいるのだった。

小説のイントロダクションにふさわしい書き出しで、あたりの情景と自分の感情が入り交じり、今後の展開をほのめかすかのような書き出しになっている。イントロダクションはこうありたいものだとの教科書にふさわしい書き出し。

一方、漱石の書き出しは美しい情景ではなく、人物描写から始まる事が多い。
有名な坊ちゃんの冒頭では主人公の性格の説明から書き出している。

坊ちゃん
親譲りの無鉄砲で小供の時から損ばかりしている。小学校に居る時分学校の二階から飛び降りて一週間ほど腰を抜かした事がある。なぜそんな無闇をしたと聞く人があるかも知れぬ。別段深い理由でもない。新築の二階から首を出していたら、同級生の一人が冗談に、いくら威張っても、そこから飛び降りる事は出来まい。弱虫やーい。と囃したからである。小使に負ぶさって帰って来た時、おやじが大きな眼をして二階ぐらいから飛び降りて腰を抜かす奴があるかと云ったから、この次は抜かさずに飛んで見せますと答えた。

自分の性格を現すための出来事を最初に持って来て、後々の小説の展開の中心となる「短気でかたくなな江戸っ子気質」を暗示している。

それから
誰か慌たゞしく門前を馳けて行く足音がした時、代助の頭の中には、大きな俎下駄(まないたげた)が空から、ぶら下つてゐた。けれども、その俎下駄は、足音の遠退(とほの)くに従つて、すうと頭から抜け出して消えて仕舞つた。さうして眼が覚めた。
 枕元を見ると、八重の椿が一輪畳の上に落ちてゐる。代助は昨夕床の中で慥かに此花の落ちる音を聞いた。彼の耳には、それが護謨毬(ごむまり)を天井裏から投げ付けた程に響いた。夜が更けて、四隣が静かな所為かとも思つたが、念のため、右の手を心臓の上に載せて、肋のはづれに正しく中る血の音を確かめながら眠に就いた。


 宗助は先刻から縁側へ坐蒲団を持ち出して、日当りの好さそうな所へ気楽に胡坐をかいて見たが、やがて手に持っている雑誌を放り出すと共に、ごろりと横になった。秋日和と名のつくほどの上天気なので、往来を行く人の下駄の響が、静かな町だけに、朗らかに聞えて来る。肱枕をして軒から上を見上げると、奇麗な空が一面に蒼く澄んでいる。その空が自分の寝ている縁側の、窮屈な寸法に較べて見ると、非常に広大である。たまの日曜にこうして緩くり空を見るだけでもだいぶ違うなと思いながら、眉を寄せて、ぎらぎらする日をしばらく見つめていたが、眩しくなったので、今度はぐるりと寝返りをして障子の方を向いた。障子の中では細君が裁縫をしている。

のどかな日常の描写から書き出し、どのような展開になるのか予想させない。そこにあるのはすでに何かが起こった後の静なのか、これから何かが起ころうとする嵐の前の静けさなのか?

どんな小説家も導入部はそれなりに苦労して書いている。物語を展開するにあたって読者をどのように引き込んで興味を持たすかが小説家の力量だ。川端康成は主人公の周りの情景描写から入り、夏目漱石はありふれた日常から入る事が多い。

スポンサーサイト


最近の記事


上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。