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大きな科学と小さな科学(1)

2011年03月02日 17:42

大きな科学と小さな科学(1)

多くの生物学者や生命科学者達は小さな科学をお互いに競争しながら進めている。しかしこの小さな科学をやるには機械の開発や技術の開発と言う大きな科学に依存する。そしてまた小さな科学が完成すると大きな科学となり、また新たな小さな科学が誕生する。

Big, little Journal of Cell Science 124, 493-494 (2011)

なんとすばらしい日だろう。でも働かなければ、机にかじりついていなければならない。しかし、しばし外に出て、休息し、すばらしい秋の気候を楽しもう。もちろん、数時間飛行機に乗って、学会にも行かなくてはならない。でもそこは雨が降っている、学会で情報を集めるのも楽しい。この良い気候は長くは続かない。雪を予感させる。そして雪は大きな科学対小さい科学の議論を思い起こさせる。

はっきりさせておこう。殆どの研究者と同じように私は科学を愛している。そして土星の輪、海底都市、即席遺伝子やバーチャルな世界などのBig scienceも好きだ。そしてより現実的なテーマも。

多くの研究者を巻き込んだ巨大なイニシアチブよってのみ成功する科学もある。そして成功すれば、しばしある感嘆を呼び起こし、人間の達成感のプライドを引き立てる。

若かりし頃、時間が有れば、科学、big scienceについて考えていた。イメージは1950年代の科学フィクション映画であるが、巨大な研究室で、何百人もの研究者が働き多くのコンピューターが動く、巨大なモンスターが田舎を動き回る。またあるときは科学フィクション映画の影響を受けて小さな科学について夢見る。地下室で一匹オオカミとして働き、世紀の大発見をする。しかし現実には、どのような研究者になりたいのかはっきりはしていなかった。両方ともかっこ良く見えた。

今日、小さな科学をしている。実際、アイデアが浮かんで飛び起きた事もあったし、それを話さずにはいられなかった。しばしは、いつもではないが、そのアイデアについて仕事した事もあった。私の父親は小さな商売をやっていたが、ある時、私に毎日何をしているのかと訊ねたことがあった。私は父親に事実を話した。「何か面白いとおもわれることを含んでいる事を考え、実験を計画し、その結果を検討し、そして更に考える」、ということが自分のしている殆どだと。
一方、父親は実験以外は殆ど私がやっているのと同じ事をやっていて「仕事の管理とチェックをし、よりよい方法について考えている」と言った。
私の父親は私が研究者となった支えだ。以前、キャリアー選択で迷っていた時、彼は私に「自分が一番やりたいと思う事をやればいい、他人から言われた様な事はやらなくていい」と勧めた。何故なら、「結局お前の人生で、お前がやることだから」と。ありがとう親父。

小さな科学は大きな科学でもある。小さな科学は多くが単純に並列して走っている。数多くの小さな研究室があり、同時に大きな疑問に対してあくせく働き、答えを得るために途方も無い距離を前進する。(そして答えが得られたかと思ったら、次の大きな疑問の出現)。みんなの大きな力でお互いに前進する。
大きな科学、多くの場合、連続して走る。あるプロセスでの歯車は次のプロセスの歯車となり、答えが得られると次の大きな疑問が出現する。これは工学の問題でしばしば生じ、確かに簡単ではないが、しばしば時間通り完成する。
しかし、しばしば連続して走るシステムには問題がある。もし何かが壊れ落ちたら、システム全体が崩壊する。もし一本の電線で繋がっている電球に電気を通したとしたら、一つの電球が壊れると、全てが動かなくなることはみんな知っている。そして休みの日を潰して一つ一つチェックしなければならなくなることも。

逆に、並列して走っているシステムは一つが壊れても他はうまく動き、進歩していく。小さな科学は大きな科学に依存し、大きな科学は小さな科学に依存している。一つの小さな科学の大成功例、唯一地球上の生命の研究から導き出されて来た理論、ダーウインの進化論を見てみよう。彼とその他の多くの小さな科学者達は非常に深い疑問に答えられる回答を引き出す理論に帰結するデータを得るまで、地球上の多くの生物を観察し、集め、分類した。ダーウインやウオ-レスを結論に導いた膨大なデータがあり、それは地球上のあらゆるところに行く事を可能にした帆船の中での着実な研究の進歩によって集められた。そしてこれらの進歩はこのような舟を作り上げた政府や企業の多大な努力によってもたらされた。世界中からの生物の収集は理論の構築には必須でなかったかも知れない、彼ら以外誰も成し遂げた事がないのでその点は不明であるが。もちろん、ダーウインはビーグル号の船上で長い時間を過ごし、一方、ウオーレスはマレイシアで収集活動を行っていた。誰かがそこら周辺にある自然を勉強して、同じような結論に達したとしても、科学社会を揺るがすような多くの事実は出てこなかったであろう。同じような例がある。メンデルを思い浮かべればいい。解答を得るまでには何十年かの小さな科学が行なわれた。

今日、little scienceを利用してbig scienceが行なわれる傾向にある。それは科学をできるようにするお金をつける側の短期の関心による。これは今や全ての国で行なわれている事ではないかと危惧する。特に、アメリカでよく行なわれている。数日ごとに、議会の委員会はいかに問題が解決され様としているかを審問するためにNIH(実際にお金を配る)の責任者を呼びつける。これらの責任者は2通りの答えをする。なされた進歩を厳しく検証して、いかにしてこの小さな進歩が積み重なれ、真実に至るかを根気よく説明する。そしてそこには多くの関連した技術の努力が問題解決のためになされたことを説明する。しかし委員会は非常に忙しく込み入った内容の講義を聴く暇がない。
二つ目のオープションは単純に簡単なように印象づけることである。big scienceはそんなに簡単なものではないが、簡単そうに説明する。

Big scienceを擁護する必要も無いが、生活を変化させる科学の進歩として社会的に見られているのはbig scienceだ。病気を治す新しい薬剤は膨大な臨床試験を通して開発される。遺伝子の塩基配列決定は生命の見方を変えたばかりか、生物同士の関係へ基本的な洞察を与え、様々なレベルでの生物を調べる能力を飛躍的に増したのみならず、種としての人類の進歩の一里塚として、人類の最初の月面着陸に近づけた。しかしクールになって考えてみる必要がある。Big scienceはすばらしいが、しかしいつまでも連続して行なわれることは大きな問題である。そのバブルがはじけるかも知れない。前提が間違っているかもしれない。我々は人ゲノム解析で興奮していると、多くの主張があまりにも幼稚であることに驚くのを忘れがちである。例えば非常に尊敬されている研究者が世の中とかけ離れた予測、「これはホームレスのため遺伝子を解読したのだから大きな社会問題を解く事になるだろう」と言うかもしれない。だから今日我々は何のためということを疑って考えなくてはいけない。

私は帰る。そこは未だにすばらしい天気だ。そして雪について考えるのは一ヶ月伸ばす事ができるであろう。確かに、何故雪が私に科学のことを思いおこさせるのであろうか?雪の結晶のことを考えてみる。一つ一つが違った形をし、同時にそれらは並行して、不連続に作られる。しかしそれらは一緒になって風景を覆い隠す。小さいことは大きい事。そして大きい事は小さいことになれる。

次回ではlittle scienceは役にたつのか?一つの論文を書く事にどれほどのの重要性があるのかについて考えてみよう。
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