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投稿論文の査読

2011年06月09日 17:53

peer reviewでのトラブル

研究者なら誰もが経験する、いやだけども避けて通れないこと。論文を投稿するとEditorからレフリーのコメントが返って来て、アクセプトかリジェクトかが決まる。その際、一流ジャーナルに出せば必ずと言っていい程、多くの修正や実験の追加を命じられ、それに答えられたらアクセプトしてもいいという条件が出されることが多い。その結果、reviseしてだした論文のデータが元の倍近くに膨れ上がるのは多くの人が経験している事であろう。
そのようなPeer review制度に対してNature誌は多くの読者、著者やレフリーからの意見に基づき問題を投げかけている。

読者や著者からの文句の多くは
「論文を投稿した際、レフリーからの要求が余りにも多く、どう見ても無理難題だと思われるような要求にもEditorは腕をこまねいて、レフリーの要求をそのまま受け入れる傾向にある」ということだ。

NatureのEditor宛に現在論文を査読しているレフリーから一通の手紙が来た。
「ここで扱われているデータの複雑さを考えるに、この種の論文では数えきれない程の変更や付け足すデータがある。この種の論文は広い分野をカバーするのでreviewer泣かせなのかもしれない。私はreviewする際、Natureの記事「むだで暴君的なreviewerの要求を止めよう」を心に留めている。

同じ週に他のreviewerからも「暴君的reviewerの要求」の記事に対しての感想を受け取った。この記事を見た読者にとっては、今私が行なっている論文のコメントがより深刻に、過剰な要求と受け止められるかも知れない。私はコメントした実験の追加がその論文を良くするのに必要だと著者が認めてくれるように願っている。
明らかにNatureの記事の意図はそのような様々な反響を呼び起こす事で, MITのHidde Ploeghによれば「レフリーは余りにも簡単に多くの追加実験を求め過ぎ、Editorはそのようなレフリーの過大な要求をそのまま受け入れすぎている」とのことだ。
これ以上の実験が必要かどうかの判断は最終決定以前はopenであるということも忘れてはならない。よってEditor自身は自問自答せねばならない「更なる実験をすれば当落すれすれの論文を引き上げる事ができるのか?Natureへ掲載するに十分の理由が得られるのか?それともすでに十分なのか?他のレフリーの考えはどうなのか?
これらの問題を解くにあたって、Editorはその論文について同僚やレフリーと様々議論する。Editor が余りにも受け身的であるとの批判は特別にNatureだけに向けられた訳ではないが、その言葉を厳しく受け止めようと思う。我々Editorはあまりにもイージーにいくつかの理由でそのような反論を無視する。しかし掲載した著者らに対する調査や一般研究者への調査では全体的に見れば、論文はpeer reviewによって改善されているという圧倒的な支持を得ている。

最近の傾向は何から何までできる事は全てやって、きっちりとしたデータを出す事だ。分子生物学や様々な高度な技術の進歩により、殆どの実験が可能だ。そのため、レフリーは事細かい事まで要求し、直ぐにはできかねる実験まで要求してくる。それらの細かい要求に応えないとrejectの憂き目が待っている。そんな場合、Editorが無理な過度の要求には答えなくても良いと言って欲しいのだが、そのような事はまずない。Editorは若い経験不足な者が多く、責任を取りたくないため、レフリーに全てを押し付ける傾向にある。その結果、途方も無い莫大な追加実験を要求される。acceptされればいいが、revise した後、更に別の問題を持ち出してくるレフリーもいて、そのような理不尽さもまかり通ってしまう。レフリーの中にはかなり変質的でひどい者もいる。明らかにできそうも無い無理難題をふっかけ、最初から落としてやろうと意図する競争相手のレフリーもいる。しかしそのように明らかにおかしいレフリーに対してもEditorは文句言わない。
Editorは中立を保ちfairに断固とした態度で判断して欲しいと思うのは私だけであろうか?
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