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競争嫌いの皆な仲良くやろうやの日本人

2013年05月16日 18:38

和を持って尊しと成す

今やグローバル化によって、欧米の様に個々の人間がお互いに競争し、勝者と敗者が選別される、格差社会になってきた。しかし日本人は本質的には争いを好まない、和を尊ぶ民族である。人と争わず話し合い(談合)で決めたがる日本人の精神構造は歴史的にどこから出て来たのか?

これは聖徳太子の憲法17条の「和を持って尊しと成す」より出て来たと言われている。その条文の最後に話し合えば「ことがらは自ずから道理にかない、何事も成し遂げられないことはない」といっている。しかし皆と話し合って決めたからといってその結論が常に正しいなんてあり得ない事は小学生にでも分かるし、ネゴシエーションに時間のかかる効率の悪さを抱えている。

日本では独断専行型のリーダーは嫌われ、かならず前もって根回しをするという習慣がある。そのため前もってこうするという話をされてしまうと、公の席での反対は難しい。初めから結論は決まっているのだからやるだけ無駄という会議が重要な会議程多い。それでも会議をして公に公平に決めたという形を取りたがる。そしてもう一つの日本の特長は責任者をはっきりとさせないこと。特に官僚機構は集団体制で物事にあたり、みんなが承認するので失敗してもだれも責任をとらない。これもみんなが話し合って決めた事だから間違っていたらそれで仕方ないとなる。更にみんなが話し合って決める事は全ての関係者が良かろうと思う事だから、規制する側もきつい事を言わず、業者となあなあの関係になり、原発の立地条件や、規制に関しても緩い条件になる。

地震、津波によって原発が破壊されてやっと、東京電力のいい加減さや規制官庁の緩さが分かってきたし、他の電力会社も適当に表面を取り繕って来ていた事が露呈した。

ではこのような話し合い(談合)で決める事を完全にやめ、自由競争制度にし一切の前もってのネゴシエーションなしにして、日本社会はうまく回って行くのであろうか?
なにしろついちょっと前まではゆとり教育とか言ってまさに競争しない仲良く和を持って尊しと成すという聖徳太子の精神そのものの教育をおこなってきたのが、世界がグロバル化して経済的競争が激しくなり、その精神では競争社会を勝ち残れないとなると、今度は一変してグローバルな競争に勝てる人物を育てようとなる。そのような競争社会は日本人になじまないと分かっていても、中国、韓国、アメリカと渡り合って行くにはそれを受け入れるしか無い。
「和をもって尊しと成す」精神の崩壊はストレス社会を作り、落ちこぼれを生み出し、鬱病にかかる人の多い社会になる。しかしこれは日本が世界に一流国として生き残るためには避けてて通れない宿命。
今までの誰にでもカンファタブルな落ちこぼれを作らない「和をもって尊しと成す」古き良き時代の終焉であろうか。

若い諸君は強い気を持ってこの弱肉強食の社会に、勝ち残れないまでも、生き残って優しい和の精神を忘れずに弱者をいたわる心を忘れないで欲しい。
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