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ある科学者の死

2013年07月22日 18:32

猛暑の夏に思う
異常に暑い日が続き、それに追い打ちをかけるように局所的な豪雨が起こり、日本の気候が亜熱帯化してしまった感があります。そんな暑い一日、あがらえない運命の中で人は生きている事を思い起こさせるショックなニュースが飛び込んで来ました。
すでにTVでご存知の様に東京電力福島第一原発事故当時の所長、吉田昌郎さん(58)が7月9日、亡くなりました。メルトダウン事故で建屋が爆発し、極限状態の中で復旧の陣頭指揮を執り、官僚的な組織で凝り固まり、日本の将来、東北の将来、子供達の将来より自分達や東京電力の組織の保身のことしか考えない人が多い中で、原子炉を爆発させたら、東北が、日本が無くなるとの強い危機感を抱き、高い放射線、混乱の続く現場で不眠不休の活躍をし、東京の東電本店や首相官邸からの無理難題にも原子力の専門家として信念を持って対応し、原子炉の爆発をくい止めた。更に,その後は事態を収拾するため,現場の人たちと協力して最前線で、獅子奮迅の働きをした。しかし、病に倒れ、現場を離れなくてはいけなくなり、病院に入院し、治療の途中でついに帰らぬ人となってしまった。本人にとって道半ばにして逝かれた事は誠に無念であっただろうと推察される。運命の過酷さを思い知らされる暑い夜となった。
経緯を振り返って見ると、震災翌日の2011年3月12日、事故の拡大を食い止めるため、吉田さんは官邸にいた東電上層部の意向に反する行動をとる。地震や津波により原子炉の爆発が憂慮されるというのに首脳陣はまだその事態の深刻さに気づいていなかった。午後7時過ぎ、1号機の原子炉を冷却する淡水がなくなり、現場では海水の注入を始めた。直後、官邸に詰めていた武黒一郎フェローから吉田さんに電話が入った。「今官邸で検討中だから、海水注入を待ってほしい」。海水を注入すれば原子炉が2度と使えなくなる。この時点でも原子炉をどうにかしてまた使いたいという東電の思惑があった。本店とテレビ会議で対応を相談。本店側は中断もやむを得ないと判断したが、吉田さんは海水注入を止めれば事故が悪化すると考えた。担当者を呼んだ。「これから海水注入の中断を指示するが、絶対に注水をやめるな」とマイクに拾われないように小声で指示し、海水注入を続けた。この独断とも言える迅速な処置が原子炉の爆発を阻止した。
東電の上層部からはその不遜な態度に評判は必ずしも良くなかったが、親分肌の性格は部下や作業員や下請け業者からは慕われ、信頼は厚かった。
常に部下達の先頭に立って危険な作業の陣頭指揮をし、死を覚悟して原発事故の収拾に最善を尽くした。しかし運命とは皮肉な物で、惨事から8ヶ月あまり経った頃、食道癌が見つかり、療養で退任する事になった。更に悪い事にリハビリ療養中に脳出血を起こしてしまう。
58歳で永眠。彼の死は「人とは、人の生き様とは」をあらためて考えさせてくれたショックな出来事でした。人の命の儚さ、命を賭してでも自分の信念を貫き通さなければならないという思い。一人の科学者として懸命に生き、その生き様の壮烈さを教えられた。ご冥福を祈る。
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