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幕末の漂流者たち

2008年04月17日 17:00

幕末に漂流しアメリカ国籍船に救助された後、幕末、明治に活躍したふたり。
ジョン万次郎とジョセフヒコ。

ジョン万次郎(中浜万次郎)
土佐中ノ浜に1827年に生まれる。万次郎14才の時、出漁し,遭難。鳥島に漂着。143日間に及ぶ無人島生活で、同僚の漁師の多くは野菜欠乏のためのビタミン不足でなくなるが、万次郎は海藻を口にしていたため、助かり、マサチューセッツ州フェアヘブンの捕鯨船、ジョン ハウランド号に救助される。ホイットフィールド船長は助け出した5人の日本人の中でも、特に万次郎を気に入り、フェアヘブンに連れて行き、養子として育てる。学校にも通い、後にはキャサリンという女性と婚約までするが、彼女が事故で亡くなったのを機に、日本に帰ることを決意する。1851年、10年ぶりに帰国を果たすが、鎖国を破っての帰国ということで、長期尋問を受る、がやっと許され土佐に帰り着く。薩摩藩の島津斉彬はその知識に注目し何かと重用。ペリーの来航があり、万次郎の知識、通訳を必要とした幕府は万次郎を旗本に取り立て通訳とした。
伊豆の代官江川太郎左衛門にも重用されたりしたが、老中がアメリカのスパイ疑惑を持ち出したため、万次郎はペリーの通訳から下ろされる。その後、咸臨丸でアメリカに渡り、ホイットフィールド氏と再会したり、開成学校教授になるが、脳溢血を患い、その後は静かに暮らす。享年71才。雑司ヶ谷に眠る。

浜田彦蔵(ジョセフ ヒコ)
播磨の国加古郡に生まれる(1837年)。1851年江戸に向かう航海中紀伊半島大王岬沖で難破。南鳥島附近でアメリカの商船オークランド号に発見、救助される。サンフランシスコに滞在。日米修好通商条約が締結され、タウンゼント ハリスが駐日公使となったのをきっかけに9年ぶりに帰国し、神奈川領事館通訳となる。その後尊王攘夷論が盛んになると、一時身の危険を感じてアメリカに戻る。1962年に再度、領事館通訳となったが、翌年には職を辞し、居留地で商売を始める。その間、英字新聞を日本語に訳した海外新聞を発刊した。これが最初の日本語の新聞だと言われる。明治になると大阪造幣局の創設に尽力し、その後は大蔵省に勤め、国立銀行条例の編纂に携わる。1897年死去、享年61歳。外国人として青山墓地に埋葬。
写真は能福寺にある1.日本で初めての英文石碑。2. 能福寺の兵庫大仏

2人ともまさに波瀾万丈の人生を送るが、ジョン万次郎はジョセフ ヒコよりも10才年上で10年ほど早くアメリカから帰ってきているためか、はるかに著名で華々しい活躍をしてる。ジョン万次郎に特別な才能があったのは間違いないが、時代がジョン万次郎を必要としたことも、大いなる活躍ができた理由の一つに挙げられる。人間才能と、時代がマッチして初めて大きな仕事ができる。

通訳s
兵庫大仏s
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