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火を吹く孤島

2015年06月18日 12:16


俊寛僧都の流された島

鹿児島の南方に位置し、屋久島の近くにある口永良部島の火山が突如目覚め、爆発的噴火を起こしたことは記憶に新しい。噴煙は9000mの高さまで上がり、大きな噴石が火口周辺に飛び散った。火砕流はほぼ全方向に流れ、一部海にまで達した。全島員はやむなく屋久島へと避難し、耐乏生活を送ることになる。いつ火山の活動が止み、いつ帰れるかの見込みは未だ立っていない。

そんな島から近いところにランクAの活火山を持つ火山島、薩摩硫黄島(昔の鬼界ヶ島)がある。主峰の硫黄岳は標高703.7mで常時噴煙を上げている。古くは平家物語で語られる俊寛が流刑された島である。

俊寛僧都は平家打倒を企てた鹿ケ谷の変(1177年)に加担して薩摩の南にある鬼界ヶ島(現在の薩摩硫黄島)に流された。
事の次第は後白河法皇の近臣による平氏打倒を企てた陰謀で、権大納言藤原成親や僧西光を首謀者とし、平康頼、僧俊寛、藤原成経(成親の子)らが鹿ケ谷の俊寛の山荘で密議をこらした。しかし陰謀が露見し全員一網打尽となった。首謀者の僧西光は拷問の上惨殺、藤原成親は、当然死罪になるところ成親の妹を妻にしている平重盛(清盛の嫡男)の必死の説得により、備前の児島に流され、殺害された。一方、俊寛は藤原成経や平康頼とともに鬼界ヶ島への配流となった。

 丹波少将成経や康頼入道は熊野信心が深く、島の中に熊野三所権現を奉って、毎日京都に帰れるように祈った。「薩摩がた沖の小島にわれありと親には告げよ八重の潮風」と「思いやれしばしと思う旅だにもなお故郷はこいしきものを」という和歌を書いた1000本の卒塔婆を海に流したところ、一本の卒塔婆が安芸国厳島に流れ着いたという(平家物語)。このことが後白河院の知るところとなり、清盛にも伝えらえて、これに心を打たれた清盛は高倉天皇の中宮となっている娘の徳子の安産祈願の恩赦を行い、成経と康頼は許されて京都に帰る(1178年)。しかし俊寛は陰謀の張本人ということで許されず一人島に残され、地団駄を踏んで悔しがり悲嘆にくれた(平家物語足摺)。翌年、俊寛の侍童だった有王は鬼界ヶ島を訪れ、変わり果てた俊寛と再会する。有王から娘の手紙を受け取った俊寛は死を決意して食を断ち自害した。

火山の弧島
茫洋たる大海。渺茫たる碧空。屹立した火山。
荒涼たる褐色の岩山。硫黄噴く死の山。蕭々と海風吹き抜ける孤島。
死の山に、深緑の樹々、浅葱色の竹林、赤い花々連なる。地獄と天国が同居する島。

ここは俊寛僧都配流された島。ひろがる蒼い海、冴え渡る月,満天の星々眺めつつ、
恩赦請い願うも叶わず、号泣、地団駄、足摺、絶望、餓死。絶望の孤島。

今は永遠に時がたゆたう南海の楽園。蒼い空と海、赤いブーゲンビリア、濃緑のマン
グローブ。ああ切々、ああ哀哀。そして忘却。すべてが幻。
しじまの中満点の星空、天の川を仰ぎ、しばし言葉を失う。
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