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平忠度の腕塚

2015年10月13日 12:24

平家に親しみを感じる神戸

 震災により壊滅的打撃を受けた長田の街の海寄りに奇跡的に被害を免れた狭い路地の入り組んだ町家がある。その一角に平忠度の腕塚があり、町内の人により代々大切に世話をされている。

 平家物語の平忠度の都落ちは平家物語の中でも哀愁漂う章として愛好者が多い。忠度は武芸にも歌道にも秀でた平家の若公達として、有名であったが、平家がいよいよ都から西を目指して落ちていくとき、今までの一連の和歌を書きつづった巻物を藤原俊成卿に手渡し、「今や朝敵になった者の和歌を勅撰集に入れるわけにもいかないでしょうが、もしいい和歌があったなら勅撰集に入れていただければ草葉の影でありがたく思います」と言い残し、「前途程遠し思いを雁山の夕暮れの雲に馳す」と高らかに口ずさみ去っていった。
 その後世が鎮まって千載集を編纂した時、朝敵となった人であるので、俊成は詠み人しらずとして「故郷の花」という題で読まれた和歌一首「さざなみや滋賀の都は荒れにしを昔ながらの山桜かな」を入れた。

 その後、一の谷の合戦で馬に乗って逃れようとしたところ、岡部六弥太忠純に呼び止められ、組討ちになったところに、六弥太の家来が駆けつけ忠度の右腕を根元から切り落とした。そこで忠度は観念して首を切り落とされた。六弥太は相手の名前を知らなかったが、箙に結び付けられている文を見ると「旅宿の花」という題で「行きくれて木下蔭を宿とせば花や今宵の主人なるらん」忠度と書き記してあった。

 その時失われた右腕の塚「腕塚」が神戸の長田の海に近い昭和の原型を残す駒林町、入り組んだ道が迷路のように回る、民家の片隅にひっそりと祀られている。長田といえば阪神大震災で壊滅的な被害を受けた地域であるが、この一角は奇跡といえる街並みが震災にあわずそっくり残っている。このような迷路のように入り組んだ家と家とが密集した部落がそのまま昭和の姿を残していることだけでも訪れる価値がある。こんな小さな信仰の場所を何百年も守って来られた地域住民の心意気に感謝。
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