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精神的豊かさとグローバル化

2008年04月23日 19:02


My faraway-Japanese spirits
日本を語る際、義理、人情、礼、恥、わび、さび、武士道といった言葉で表されることが多い。が現在ではほとんど死語となっている。現代の経済優先の世界から見れば日本は非効率的、精神論的社会とも言える。思ってもみよ。ほんの少し昔には、どこの街にも商店街があり、その辻、辻には八百屋、肉屋、魚屋、電気店があり、それらの店には温かさとか安心感があった。やがてスパーや大型電気店が進出して、大量に均一的な商品を提供し,徹底的に安さを追求し始める。庶民は当然、今まで手に入らなかった高価な品まで、安く買えるとなるとそちらに群がる。その結果、小さな非効率的な商店はやっていけなくなり、農家は農家で安い農産物が海外から大量に自由に輸入されるようになると,立ち行かなくなる。日本国民は物質的豊かさを求めるあまり、非効率的なもの、精神的なものを切り捨てた。自分たちの首を絞めていたことに最近になって気づき始めた。日本文化はあいまいなもの(白黒つけない)を大切にし、それが精神的ゆとりや社会での安心感となってきた。それを捨ててしまうことで、人間社会の潤滑油を失い、ぎすぎすした社会になってしまった。バブル以降の企業も余裕がなく、効率化を求めるあまり、直接会社に役立たない人間を切ってきた。その結果、意図とは反対に組織全体がスムースに機能しなくなった。終身雇用で安定した心の社員は会社に対しての忠誠心、組織に対しての帰属性も高く、欧米よりもいい製品を出し続けてきたではないか?アメリカの言いなりになって(ヨ-ロッパは少し異なるが)グローバル化を追求し、日本的な良さを失ってしまった。日本文化はアメリカ文化とは異なるのだから、良いものだけは取り入れて、日本的文化は残すという方向で何故いけなかったのか?心の豊かさ、おもいやり、安全、といった抽象的なものを排除した結果、が日本社会の荒廃であった。効率は悪くとも、みんなが生き残っていける社会を築くべきであった。それなのに、いまだにグローバル化と言い続けている。確かにある分野(金融、情報など)ではグローバル化は大切であるが、ものつくりには情熱をもって仕事に打ちこんでいる職人的技術が、信頼のあるチームプレイが新しい技術を切り拓くことがある。
 しかし悲しいかな研究はグローバル化にさらされている代表の一つである。確かに昔は何もしていないと思われていた教授がいた。でもこれらの教授は何もしていない訳ではなく、教育熱心だったり、学校の運営に関わり、人のいやがることを率先して社会での貢献をなしてきた。
何事にもゆとりは大切で、遊びのない機械は使えないのと同じで,ゆとりがない人間社会もストレスが強く生きていけない。日本社会は経験的にある比率で、遊びを作り、弱者にやさしい、最大多数の幸福を実現する社会を築いてきた。いかにして、全ての国民が少しづつ損をし、また全ての国民がすこしづつ徳をする昔の日本社会に戻すことができるであろうか。それは夢物語なのであろうか?

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