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大阪の陣で大坂城を陥落させた大砲

2015年11月04日 14:17

大阪冬の陣、夏の陣から400年。

大坂城は天下の名城として、難攻不落、どんな敵でも攻め落とすことができない城と考えられていた。

しかし大坂冬の陣では大筒の玉が淀君のいた天守閣を直撃し、数人の腰元が亡くなり、淀君は恐怖のあまり、家康と和平を結んだとされる。そして頼みの綱としていた外堀を埋められ、夏の陣の時には大坂城は要塞としての意味合いをなくしていたので簡単に落ちた。このことは誰でも知っている。

しかしその際に使われた大砲がなんであったかなどは知られていない。NHKで徳川家康と英国のつながりの特集をやっていた。それによると、意外とも思えるが、家康と英国とのつながりが思いの外深い。そのきっかけはアダムスミスの乗ったオランダ船リーフデ号が関ヶ原の戦いの半年前に豊後の国、臼杵に漂流したことに始まる。その際、乗組員の処分に関し豊臣秀頼に指示を仰いだ。一方、すでに日本にいたイエズス会の宣教師は豊後を訪れイギリス人やオランダ人の即刻の処刑を要求した。しかし5大老首座の家康は最初は海賊船ぐらいに思っていたが、話を聞いているうちにヨーロッパで起こっている、カトリック国とプロテスタント国との確執をしり、アダムスミスを江戸に住まわせた。その後、日本名を三浦按針とし、幕府の外交顧問として、家康に取り立てられ、旗本になった。カトリックは豊臣方に保護され、プロテスタントは家康に保護された。家康は三浦按針から様々な情報を手に入れ、大型船の建造や大砲の鋳造などを行っている。家康は按針との縁でイギリスから大型の最新の大砲を手に入れ、堺に移り住んでいた根来衆の鉄砲鍛冶の芝辻清右衛門・理右衛門に、同じような大砲を作るように命じた。イギリスからはカルバリン砲4門、セーカー砲1門、カノン砲12門を購入した。カルバリン砲は砲身長3mを超え、長い射程(6km届いた)を誇る中口径砲だ。またそれを参考により射程距離の長い小口径の芝辻砲を大量作らせ、これを大坂冬の陣の戦闘に活用した。

 このカルバリン砲はイギリスがそれまで世界に覇権を握っていたスペインを撃退するきっかけとなった武器である。それまでスペインは屈指の海洋国家として世界の7つの海を支配していた。その覇権を奪ったのはスペインの無敵艦隊をネルソン提督の率いるイギリス艦隊が迎え撃ったトラファルガーの戦。その際に英国海軍は射程距離の長いカルバリン砲で敵の大砲の射程外から砲撃し、敵艦隊を殲滅した。という曰く付きの武器を家康はイギリスから買って大坂の陣で使用した。家康が新式の大砲を使用したのに対し、豊臣方は旧式の青銅製のフランキ砲が主力だった。

大砲が時代を変えたとも言える戦闘として思い浮かべるのはまずビ東ローマ帝国の首都コンスタンチノーブルの鉄壁の城塞を打ち砕いたオスマン帝国の大砲(塩野七生のコンスタンチノーブル陥落)、幕末にイギリスから購入して各藩が使用したアームストロング砲(司馬遼太郎のアームストロング砲)がある。大村益次郎はこの砲を用いて、上野の彰義隊や会津の若松城を攻めた。

これらたった一つのすぐれた兵器の出現が時代を大きく回転させ、新たな時代が生まれるきっかけともなった。
一つの画期的な発明がそれまでのpower balanceを乱し、新たな時代を作り出したとも言える。
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