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高杉晋作の子孫

2016年02月16日 13:22

 
 晋作は辞世の歌に「おもしろき事も無き世をおもしろく」と詠んだところで事切れ、その後を看病していた野村望東尼が下の句として「すみなすものは心なりけり」と詠んだことは、一晋作フアンとして当然知っている。
 高杉晋作(本名春風)は幕府の長州征伐による四境戦争(1966)において,周防大島おきでの幕府艦隊の殲滅や小倉城攻略で活躍したが、肺結核が重くなり野村望東尼に見守られて死去。享年29歳。という話も有名だが、高杉晋作に子供がいたことは余り知られていない。
実は高杉晋作には妻・雅子との間には東一(とういち)という実子が一人いた。
 幼名は谷梅之助。明治20年(1887)に高杉東一と改名。
 東一は父・晋作と死別後、祖父・小忠太、祖母・道と母・雅子の手で育てられる。外交官としてホノルルやウィーンなどに駐在勤務。大正2年(1913)7月11日、48歳で死去。

 更に東一と妻・茂との間には二男二女があり、長男・春太郎が跡を嗣ぎ、戦時中は陸軍主計少尉として、満州やシンガポールを転職、戦後は商社マンとして要職に就き、昭和32年(1957)、54歳で死去。その跡を嗣いだ晋作の曾孫である高杉勝氏(大成建設に勤務、2010年に77歳で死去)と続いている。高杉勝氏は一男(力)と一女(明子)をもうけ、現在につながっている。

晋作の父高杉春樹(通称小忠太)からたどると高杉春風(晋作)、高杉東一(幼名梅之介)、高杉春太郎、高杉勝、高杉力と連綿とつながっている。この名前で思うのは高杉家がなんと洒落た風流味のある一家だろうということ。春樹(父)、春風(晋作)、梅之介、春太郎と男なのに春に関係した名がずらりと続く。また晋作の本名が春風だとは知らなかったが、都々逸を好み型破りな彼の生き様にぴったりの名前。

最近、現高杉家の当主の高杉力氏の話題が新聞に載った。
それによると晋作の日記や愛用していた三味線などの遺品を、晋作所縁の地である山口県萩市と下関市に寄贈すると発表した。 遺品をめぐっては、晋作の墓がある寺「東行庵」(下関市)と高杉家などとの間で所有権の争いが続いていたが高杉家が勝訴したのを機に遺品を寄贈した。この日、萩市の萩博物館で記者会見した力さんは「遠回りをしたが、父の生前の願いがかなって、ほっとしている」と話した。
 萩市に寄贈されたのは、高杉家の家紋入りの産着など。江戸遊学に旅立つ晋作を吉田松陰が激励した手紙や、萩から江戸に約2カ月かけて軍艦で航海した際の日記「東帆録」が含まれている。
 一方、下関市には、愛用の三味線などが寄贈された。奇兵隊の軍旗や療養生活中の和歌などもあり、下関戦争から死に至るまでの激動の人生をたどれる。

 高杉家の血が脈ミャクと遠い過去から現在までつながれている。その長い歴史の一瞬、晋作は維新という時と長州という場所とを得て、疾風雷神の大活躍をした。
 
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