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青が散る( part 2)

2008年04月24日 11:24

青が散るの根底に流れている思想として2つを挙げた。『王道と覇道』と『自由と潔癖』。自由と潔癖ということに対し少し考えてみた。若者は自由と潔癖でなくてはならないと老教授が燎平にいう。自由とは何ものにも束縛されなず、自分の意志で決定し、責任をとること。潔癖とは辞書によれば『不潔や不正を極度に嫌うこと』とある。この場合正々堂々とへたな作を弄さずに行動するという意味で使っているのではないか。燎平は王道と潔癖さにこだわるあまりに何かを喪った。作者は最後にこう言わしめている。「燎平は夏子の目を見つめ、夏子は若さとか活力とかいったものではないもっと別な大切な何ものかを喪ったのかも知れないと思った。いや、夏子だけではない。金子も貝谷も祐子も、氏家陽介や端山たちも、自分のまわりにいた者は全て、何ものかを喪った。そんな感懐に包まれた。そして燎平は,自分は,あるいは何も喪わなかったのではないかと考えた。何も喪わなかったということが、そのとき燎平を哀しくさせていた。何も喪わなかったということは、じつは数多くのかけがえのないものを喪ったのと同じではないだろうか。そんな思いにひたっていた」と。(4月24日夕刻改訂)

 振り返って自分自身、自由を一番大切にしてきた。若い頃は自分の人生だからと自由に自分で決めてきた。年をとり、義理,人情に縛られ、多くの人の人生を背負い込むことになるとそうもいかない。潔癖さも余りに度が過ぎると、水清ければ魚すまずの例えのように、人情味のない冷たい奴だとみなされる。古来、日本人はそのあたりのバランスを絶妙にとってきた。しかし、最近ではその感性に陰りが見える。権利と自由を振り回し、潔癖さを振りかざして周りの人の人生をめちゃめちゃにしてしまう輩が増大している。これもグローバル化の影響。弱者に優しくなごやかな社会を築く東洋の知恵、あいまいさとバランス感覚がアメリカにとってのグローバル化で消えていく。
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