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いつの間に「春過ぎて夏来にけらし」

2016年05月13日 14:14

日常に流され感動が少なく
 
ここ数週間の季節変わりの速さに体は追いついていけない。桜の花が散ったかと思ったら、ハナミズキや辛夷、木蓮の花が忙しげに咲き、散っていき、今や道路沿いにはツツジが満開で、薔薇もちらほらと咲いて初夏の佇まい。

 山肌を露わにしていた六甲山もいつの間にか新緑の絨毯で覆われ、浅葱色、萌黄色、深い緑へと、遠くから見るとパッチワークのように華やいだ装いで、毎日少しづつその化粧を変えていく様子に、生命の息吹を感じる。

 このところ、日常の生活の忙しさにかまけて山や空をじっくりと見上げることはほとんど無い。毎日道端に咲く花や、六甲山や、山の上にかかる雲や空は見ていても、ただ見ているだけで心に残らない。「心ここにあらざれば視れども見えず、聴けども聞こえず、食らえどもその味を知らず」のことわざ通り。心がそこへ集中してなければ、たとえ目線がそこに向かっていても何も見ていないのと同じ。
 集中していなければいくら勉強しても頭に入っていかない。時間ばかりかけても集中していなければ効率が悪い。毎日同じような研究をやって集中や感動に欠けると、惰性に流され、ついつい隠されている大きなことを見落としてしまう。まさに視えても見えずである。

  歳をとると義理とか人情とか人の儚さには涙もろくなるが、何気ない自然には感動を覚えなくなっている。忙しい日常の中で、そこかしこに、ありふれて存在する花や樹や山を見て、生命に思いを馳せ、心を揺さぶられることが少ない。心が日常に慣らされてしまっている。研究も予想できる結果を追い求め、新しいデータを採ることに汲々とする。
 少年の頃は、星々や宇宙の神秘に心を動かされ、火山や地震、台風など自然の脅威に慄き、昆虫の形の不思議さに驚き、深海の未知なる世界に興味深々、と心踊ることがたくさんあった。それが今や、感受性や創造性に乏しく、好奇心も薄れ、感動を覚えることが少ない。
こんなことで研究を続けてもオリジナルでユニークな研究成果はでてこない。ぼちぼち潮時かなと思う。
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