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謀略と太平洋戦争

2016年06月06日 13:02

歴史的大事件には謀略はつきもの

第2次世界大戦のきっかけとなった、満州国進出や日中戦争いずれも謀略がきっかけとなっている、真珠湾攻撃もアメリカ国民を日本との戦争に引き込むため、時の大統領ルーズベルトが仕掛けた謀略との説もある。

1. 満州事変

満州事変は奉天(現瀋陽市)近郊の柳条湖(りゅうじょうこ)の満州鉄道の鉄道爆破事件(柳条湖事件)をきっかけに起こった。

1931年(昭和6年)9月18日、満州の奉天近郊の柳条湖(りゅうじょうこ)付近で、日本の所有する南満州鉄道(満鉄)の線路が爆破された 。関東軍はこれを中国軍による犯行と発表することで、満州における軍事展開およびその占領の口実として利用した。

事件の首謀者は、関東軍高級参謀板垣征四郎大佐と関東軍作戦主任参謀石原莞爾中佐である。二人はともに陸軍中央の研究団体である一夕会の会員であり、張作霖爆殺事件の首謀者とされた河本大作大佐の後任として関東軍に赴任した。
柳条湖事件を計画・立案したのは、板垣征四郎と石原莞爾の2人であった。上述のとおり、2人はともに一夕会の会員で、板垣は二葉会、石原は木曜会にも加わっていた。
1928年(昭和3年)1月19日の木曜会会合で、当時、陸軍大学校の教官であった石原莞爾が「我が国防方針」という題で話をし、ここで「日米が両横綱となり、航空機を以て勝敗を一挙に決するときが世界最後の戦争」という彼独自の戦争論を述べた。石原は、このなかで、日本からは「金を出さない」という方針の下に戦争しなければならないと述べ、「全中国を根拠として遺憾なく之を利用せば、20年でも30年でも」戦争を続けられるという構想を語って、中国全土を支配下に置かなければ、米国との戦争は成し得ないと演説した。
 そこで石原莞爾ら関東軍は謀略をもって柳条湖事件を起こし、満州進出のきっかけをつくった。そして満州を手中に収めた軍部は、北進政策を進めるべくロシアへと手を伸ばし始めるが、次の謀略事件、廬溝橋事件が発生する。

2. 廬溝橋事件

1937年7月7日、北京郊外の廬溝橋で日本の支那駐屯軍と中国軍とのあいだで戦闘が始まった(廬溝橋事件)。演習中の日本軍に対して中国軍が発砲したことがきっかけとされているが、日中双方の言い分は食い違い、真相ははっきりしていない。11日には、現地の日本軍と中国軍のあいだで、停戦協定が結ばれたにもかかわらず、近衛内閣は三個師団の派兵を決定し、これを機会に中国への武力侵略を本格化する姿勢を示した。7月末には華北で日本軍の総攻撃が開始され、北京、天津など主要都市を占領、8月には上海に2個師団が派遣されて華中でも戦闘が始まった。

秦郁彦、安井三吉によれば日本側研究者の見解は、「中国側第二十九軍の偶発的射撃」ということで、概ねの一致を見ているとしている。一方、坂本夏男は中国共産党は7月8日に全国へ対日抗戦の通電を発したことから、中国側が戦端を開くことを準備し、かつ仕掛けたものであり、偶発的な事件とは到底考えられないと主張している。中国側研究者は「日本軍の陰謀」説を、また、日本側研究者の一部には「中国共産党の陰謀」説を唱える者も存在する。

中国共産党の陰謀説が面白い。
元日本軍情報部員である平尾治の証言によると1939年頃、前後の文脈などから中国共産党が盧溝橋事件を起したと読みとれる電文を何度も傍受したため疑問を抱いた。そこで上司の情報部北京支部長秋富繁次郎大佐に聞くと以下の説明を受けた。
盧溝橋事件直後の深夜、天津の日本軍特種情報班の通信手が北京大学構内と思われる通信所から延安の中国共産軍司令部の通信所に緊急無線で呼び出しが行われているのを傍受した。その内容は「成功した」と三回連続したものであり、反復送信していた。無線を傍受したときは、何が成功したのか、判断に苦しんだが、数日して、蘆溝橋で日中両軍をうまく衝突させることに成功した、と報告したのだと分かった。
さらに戦後、平尾が青島で立場を隠したまま雑談した復員部の国府軍参謀も「延安への成功電報は、国府軍の機要室(情報部に相当)でも傍受した。盧溝橋事件は中共(中国共産党)の陰謀だ」と語っている。
 当時、国民党に対して劣勢だった共産党は、「起死回生」を図る為、日本軍・国民党軍双方を戦わせて疲弊させ、「漁夫の利」を得ようと考えた。結果的に狙いは的中し、日本はその後、8年間の長期にわたって、広大な中国大陸を舞台に「日中戦争」を戦わされる羽目になった。更に、その後、共産党は国共内戦で国民党に勝利し、遂に中国全土の支配権を獲得、「中華人民共和国」を建国(1949年)した。その意味においては、「盧溝橋事件」とは、日本軍が共産党軍にはめられた訳で、「日中戦争」とは、日本が中国共産党軍に「仕掛けられた」戦争だったそうだ(仕掛けられた日中戦争より)。

謀略はさらに続く。日本がアメリカと戦闘状態に突入したきっかけも曖昧。

3. ハワイパールハーバー奇襲

12月1日の御前会議で正式に対米戦争開戦が決まった際、昭和天皇は東条英機を呼んで「間違いなく開戦通告をおこなうように」と告げ、これを受けて東条英機は東郷茂徳に開戦通告をすべく指示し、外務省は開戦通告の準備に入った。
東郷から駐米大使野村吉三郎宛、パープル暗号により暗号化された電報「昭和16年12月6日東郷大臣発野村大使宛公電第九〇一号」は、現地時間12月6日午前中に大使館に届けられた。この中では、対米覚書が決定されたことと、機密扱いの注意、手交できるよう用意しておくことが書かれていた。
覚書は現地時間午後2時20分に来栖三郎特命全権大使と野村吉三郎大使より、国務省においてコーデル・ハル国務長官に手渡された。これは指定時間から1時間20分遅れで、マレー半島コタバル上陸の2時間50分後、真珠湾攻撃の1時間後だった。
「米国及び英国に対する宣戦布告の詔書」は日本時間11時45分に発された。
アメリカは当時すでにパープル暗号の解読に成功しており文書が手交される前に内容を知悉していた。ルーズベルトは12月6日の午後9時半過ぎに十三部の電文を読み、「これは戦争ということだね(This means war.)」とつぶやいたという。ハルの回想によると12月7日の午前中に全十四部の傍受電報を受け取ったとあり、「日本の回答は無礼きわまるものであった」「この通告は宣戦の布告はしていなかった。また外交関係を断絶するともいっていなかった。日本はこのような予備行為なしに攻撃してきたのである」とある。また通告が遅れたことについては「日本政府が午後一時に私に合うように訓令したのは、真珠湾攻撃の数分前に通告を私に手渡すつもりであったのだ。
 野村は、この指定時刻の重要性を知っていたのだから、たとえ通告の最初の数行しかでき上がっていないにしても、あとはできしだい持ってくるように大使館員にまかせて、一時に会いに来るべきであった」としている。
須藤真志によると真珠湾攻撃及び日米開戦にまつわる陰謀論について、整理すれば次の3つになるという。
1. ルーズベルト政権が日本の真珠湾攻撃を予測していながら、それをハワイの司令官たちに伝えなかったこと。
2. ルーズベルトが個人的に日本の真珠湾攻撃を事前に知っており、太平洋艦隊を囮にしたこと。
3. ルーズベルトが日本からの開戦を仕向けるために挑発を行った。

こうした陰謀論が起こる背景として、秦郁彦はアメリカ側の真珠湾攻撃への屈辱、長期にわたったルーズベルト民主党政権に対する共和党系の反感、現地司令官の名誉回復を願う動きを挙げ、日本側では太平洋戦争について日本だけが悪者とされていることに不満を持つ人々が、聞こえの良い陰謀論を鵜呑みにする傾向があったと述べている。

このような陰謀がなかったにせよ、陰謀論が出てくることは、日本の暗号を解いていたアメリカがどうして真珠湾攻撃をハワイに知らせなかったのかという大きな疑問から生まれている。

 謀略は大きな歴史的事件には付き物で、日本、ドイツ、中国、アメリカ、ロシアと、事実とは異なるありとあらゆる陰謀が仕掛けられ、日本も陰謀に踊らされた。
戦争のような圧倒的に大きな事件になると、国は全力を傾けて、いかに騙して、自国に有利にするかを考えるのは当然で、謀略策略だらけである。いかにして謀略だと見抜き、反対に策を仕掛けるか、暗号解読、スパイ活動、といった情報戦が非常に重要となる。

終戦時においてもルーズベルト大統領は日本が降伏するとわかっていたのに原爆を広島と長崎に落とした。いろんな説があるが原爆の(ウラン型とプルトニウム型)の効果を確かめたかった。そのため広島と長崎では異なったタイプの原爆が投下された。というもの。また将来敵対することになるロシアをけん制するため原爆の威力を示したとも言われる。

日本降伏間際(8月9日)にロシアは中立条約を破って樺太、千島、満州へと進出し、ポツダム宣言受託後も攻め続け領土を広げた。日本は中立条約があるので安心して、関東軍も警戒していないところへ一気に攻めてきた。計画では北海道も占領する予定だったが、これは実行されなかった。条約なんて何の役にも立たず、一方的な破棄。ロシアはドイツとの戦闘に集中するため、日本は南方進出、アメリカ軍との戦いに集中するため、お互いの都合が一致し中立条約を結んで、利用しただけ。

4. 現在の情報戦

  今でも、なんでこんな情報が表に出るのかと思うような情報がネット上で、週刊誌に、新聞にすっぱ抜かれることがある。うそ、本当を交えた新たな情報を暴露することで、競争相手を陥れ、自分や会社が優位な立場に立つ。または自分に有利な情報を流すことで、いいムードを作り出し、人事上、優位に立つ、または競争相手の会社に対しての優位性をアピールし売り上げを伸ばす。

 研究においても競争相手がどこまで進んでいるか、競争に勝っているのか負けているのかは非常に気になる。一旦、論文が出てしまうと、今までの苦労が全て水の泡。一刻も早く競争相手より、論文を出すため、情報の収集は欠かせない。日本人は情報を秘密にしておくことに弱い。国際学会で、つい相手の質問に誘導され、どこまで進んでいるかを喋りがち。それに対し、欧米人は鉄壁な守りをおこない、口を漏らすことはない。
個人、会社を問わず、情報戦は日々行われ、いかに相手の情報を手にするかはどんな分野でも重要。

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