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細雪探訪

2008年04月28日 19:17

細雪と神戸

神戸ゆかりの文豪と言えば、阪急蘆屋川に住んで(昭和11年―昭和18年)文筆活動をしていた谷崎潤一郎を挙げない訳にはいかない。彼の代表作としては細雪が第一に思い浮かぶ。彼の作品には「痴人の愛」「卍」「鍵」「瘋癲老人日記」など日本女性の美を追求した耽美主義的な作品、特に女性の足に対してのフェチシズム溢れる作品が多いが、細雪は戦時中に書かれたせいか、旧家の結婚前の女性の心境と日常を扱い、耽美に流れ過ぎるということはない点、読者にも受け入れ易い。
細雪は没落しかかった船場の旧家、蒔岡家の美人3人姉妹である幸子、雪子、妙子の日常が画かれている。この3人姉妹は3番目の妻である松子の3姉妹をモデルとして書かれ、大戦の窮屈な社会や生活はこの小説の趣旨に反するのか、彼の美意識に反するのか、触れられず、日常の生活が生き生きと語られている。細雪は戦時中に中央公論に連載されたが、軍部の検閲で発禁処分とされる。それにも関わらず書き続け、戦後に出版されるという経緯をたどる。暗鬱たる白黒の時代に極彩色の絵画のような作にこだわったのは、その時代に抵抗したかのようにも思える。彼の繊細な感性の一方、剛胆さもかいま見ることが出来る。
この小説は戦前の日本の旧家の結婚前の女性の退屈な生活を題材とし、それを溌剌たる芸術にまで高めているとサイデンステッカーは言っている。日常の生活の中で行なわれていた、花見、蛍狩りなど、様々な行事を画き、ひと昔の日本には四季を楽しみ、折々の芝居や映画、絵画や音楽を楽しむ余裕があったのだと感じさせられる。この小説はまさに滅び行く日本美の挽歌だともいえる。

 細雪探索
  曇天の春の日曜の遅い朝。阪急電車に乗り芦屋川で降りる。駅を山の手側に出るとすぐに芦屋川に突き当たる。川沿いを少し上がったところの橋を渡り、少し戻った道路の川の反対側にひっそりと[細雪]とかかれた石碑が建っている。この石碑は松子夫人によって書かれたもので、力強いが女性的な優美さを持った筆致である。小説の中の重要なシーンとして花見、蛍狩りと並んで芦屋川の氾濫によって起こった阪神大水害が画かれる。芦屋川決壊跡地もここで、忘れ去られたように決壊の地の石碑が川縁に佇んでいる。芦屋川は桜も散り、新緑の衣をきた木の枝が洪水など想像できない水量の川面に張り出し、のどかな春の一日を醸し出していた。「幸子の家から芦屋川の停留所までは七八丁というところなので、今日のように急ぐ時は自動車を走らせることもあり、また散歩がてらぶらぶら歩いていくこともあった。そして、この3人の姉妹が、たまたま天気のいい日などに、土地の人が水道路と呼んでいる、阪急の線路に並行した山側の路を、よそ行きの衣装を着飾って連れ立って歩いていく姿は、さすがに人の目を惹かずにはいなかった」、と続く。また「芦屋のこの辺りは、もとは大部分山林や畑地だったのが、大正の末頃からぽつぽつ開けて行った土地なので、この家の庭なども、そんなに広くはないのだけれども、昔の面影を伝えている大木の松などが二三本取り入れてあり、西北側は隣家の植え込みを隔てて六甲一帯の山や丘陵が望まれる」と昭和の初期の風景が書かれている。
本小説のクライマックスのあの有名な平安神宮の花見の場面では。「あの、神門を入って大極殿を正面に見、西の回廊から神苑に第一歩を踏み入れた所にある数株の紅枝垂、―――海外にまでその美を謳われているという名木の桜が、今年はどんな風であろうか、もうおそくはないであろうかと気をもみながら、毎年廻廊の門をくぐるまではあやしく胸をときめかすのであるが、今年も同じような思いで門をくぐった彼女たちは、たちまち夕空にひろがっている紅の雲を仰ぎ見ると、皆が一様に、「あ!」と感嘆の声を放った。この一瞬こそ、二日間の行事の頂点であり、この一瞬の喜びこそ、昨年の春が暮れて以来一年に亘って待ち続けていたものなのである。」と今年も姉妹そろって桜を見ることができたという喜びを表している。
  芦屋川と住吉川の決壊によって引き起こされた阪神大水害についても「いったい今年は五月時分から例年よりも降雨量が多く、入梅になってからはずーと降り続けていて、七月に入ってからも、三日にまたしても降り始めて四日も終日降り暮らしていたのであるが、五日の明け方からはにわかに沛然たる豪雨となっていつ止むとも見えぬ気色であった。が、それが一二時間の後に、阪神間にあの記録的な悲惨事を齎した大水害を起こそうとは誰にも考え及ばなかった」と書き始め刻々と水かさが増し、水害の状況がひどくなって行くさまとその中での妙子の救出シーンが詳しく、かなりの頁を割いて書かれ、本作品に阪神大洪水が重要な役割を与えている。。
 谷崎潤一郎記念館は阪神電車の高架を潜り、芦屋公園を抜けた住宅街の真ん中にある。しかし展示品は少なく物足りない感じがした。
写真は 1.細雪の石碑。 2.芦屋川決壊場所の碑。3. 染井吉野の 桜が終わった芦屋川.。4. 今を盛りと咲く八重桜。5. 谷崎潤一郎記念館。6. 記念館の庭。

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コメント

  1. くりくり | URL | -

    ようこそお越しくださいました。

    青が散るの項をよみながら、一度、是非、芦屋の地を訪ねていただきたいものだ、、、ここは、あの文豪 谷崎潤一郎ゆかりの地だから、、、などと、おぼろに思っていたことが実現したので驚いております。(宮本輝では何も語れないので、そう思ったのかもしれません!)

    せっかくでしたら、桜の盛りの頃においでいただきたかったのに、、、、。それが残念です。芦屋川では、今も蛍をみることができます(少ないですが。)

    ところで、今回のコースに倚松庵がはいっていないようでしたので、またの機会がありましたら一度、訪ねてみられてください。

    谷崎潤一郎は、確か関東大震災逃をれて関西に移住し、20と数年の長きにわたって住み続け、けれど、無類の引っ越し魔で、13回ほど引っ越しをくりかえしているので、阪神間のあちこちに谷崎潤一郎旧邸とよばれるものが残っているようですが、東灘区にある倚松庵(芦屋にあったものが移築されました)は、中でも、一番長く住んでいたこと、松子夫人の松の文字が雅号に取られていること(芦屋川沿いの松林にちなんでいるという説もあるようですが)、何より、あの「細雪」は、松子夫人やその妹、娘達と暮したこの家を舞台にして書かれたということで、是非お薦めしたい1コースです。
    (もう一軒、岡本梅ノ谷の家、ということで、度々小説にも登場している「鎖瀾閣」がありましたが、ここは神戸の震災で倒壊してしまい、今もって復興中です。)

    「こいさん、頼むわーー」の冒頭から全編を通じて会話の中で使われる、大阪の船場言葉。描かれる絢爛な世界にますます華を添えておりますが、今はもう、実際には使われていないようです。それもまた哀しい一面。まさに滅びの美でしょうか。

    ところで、、、、、谷崎をして関西の美に惚れ込んだわけですから、スーパーペンペン氏にも是非にそうなっていただいて、できれば永住されては、、、?と、切に願う
    one of commentaitorsでした。


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