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幕末の人物交流(1)

2008年06月07日 12:57

幕末の人物交流(1)
神戸誕生の原点、神戸海軍操練所の話し
1864年、当時の神戸村に坂本竜馬を塾頭とする幕府の海軍訓練所が勝海舟によって設立される。塾生に後の外務大臣睦奥宗光や初代連合艦隊長官の伊藤祐亨らがいる。
幕末の人物交流で坂本竜馬や勝海舟について書く前に、その二人が設立に深く関わった神戸海軍操練所について述べる。この設立がきっかけで神戸の街が出来、発展して行く。
龍馬が江戸の千葉道場の師範代で凄腕の剣客であったことは有名である。丁度江戸にいた頃、攘夷で凝り固まった千葉道場の跡取り息子の千葉重太郎が西洋かぶれの幕府の軍官奉行、勝海舟を斬りに行こうと誘い、二人で海舟の家を訪ねることから二人の交流が始まる。竜馬は北辰一刀流の、海舟は直心影流の免許皆伝で江戸の剣術道場では名を知られる存在。海舟はその意図を知りながら二人に面会し、司馬遼太郎の竜馬がいくによれば「俺を斬りにきたのかえ」といい、世界で日本のおかれている現状について滔々と述べます。海舟は咸臨丸でアメリカに行き、実際に見て、その国力の巨大さを実際に肌で感じています。このままだと日本は隣国の清同様植民地化されてしまう。植民地化を逃れるためには開国して、軍事力、経済力を高め欧米に負けない国力を持たなければならないと説得しますが、重太郎には通用せず、刀を抜こうとする。突然、竜馬は海舟に「弟子にしてください」といい、あっけにとられた重太郎は刀を抜くチャンスを逸してしまいます。海舟は幕府の重鎮であり、自らは幕府を倒すような行動はできません。そこで一介の浪人である竜馬に自分の知識や考えを伝え、軍艦に乗らないかいと誘います。この時の二人の会合がなければ英雄坂本竜馬の誕生はなかったでしょう。
海舟は竜馬のため神戸の生田に、当時の神戸は全くの寒村で小さな村であったが、幕府の神戸海軍訓練所を創り、竜馬に運営を任せます。海舟は塾生や村民に将来の発展を見越して、そのあたりの土地を買うように勧め、これが神戸という街の誕生の原点になった訳です。
神戸海軍訓練所は幕府の訓練所であるのにかかわらず、様々な藩からの脱藩者が集まり、池田屋事件に加わった人物も出て、そのせいで、海舟はお役御免となり、竜馬は独自の運営する亀山社中を長崎に設立します。
神戸海軍操練所は竜馬にとって切っても切れない海運や軍艦所有といった彼の生涯を方向づける第一歩になったわけです。

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