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再びくりくりさん

2008年06月24日 18:06

「くりくり殿下」の小栗へのふかーい思い。

小栗上野介の化身になったかのようなくりくり殿下の迸る情熱には感服いたしました。
私のようにあまのじゃく的に歴史を後から批評するのはいともた易い事。「歴史の勝者がねじ曲げたであろう史実が曇りガラスという偏見を通してでないと見えてこない」ということを考慮する必要はもちろんあります。しかし曇りガラスを透明して小栗上野介を見ようと精一杯努力して、彼がなしてきた足跡をたどるに、彼のなした改革や軍隊の近代化が近代日本の礎となったことは間違いないとして、行動が余りに秀才的で淡白で、どろどろとした人間臭さを感じないのです。くりくりさんは徳川慶喜が大政奉還し恭順の姿勢を示した際、上申書を出してそれが受け入れられなかった彼の心境を「小栗の気持ちになってみてください。まさに、断腸の思いではありませんか。あえて、事を起こさない、、、のです。」と言っています。ペンペンはそうは思わないのです。内部から腐りかけたものをそのまま放置しておくと全体にその膿みが廻り、日本全体が腐ってしまうのです。この際は徳川という腐った体制を何があっても変える必要があったのです。その当時の勤王の志士達には日本国は徳川のものではない、300年前に武力で権力を奪取して私物のように諸大名に御を着せて領地を分配しただけだという意識が強かったのです。特に土佐藩の、長宗我部家の家臣達は、大坂の夏の陣以降にやってきた山内家によって郷士としておとしめられ、数の少ない山内家の家来は全て上士として君臨するという身分制度でがんじがらめに縛られ、長州藩や薩摩藩は関ヶ原の恨みを永年持ち続け、その鬱屈したハングリーさが幕府を打ち負かしたといってもいいかも知れません。薩摩の島津久光などは自分が徳川に変わって将軍になれるものだと思い込んで、西郷隆盛にいつになったら将軍になれるのかと聞いたと言います。小栗は幕府の高級官僚の子供として、幼少の頃からの聡明ぶりを幕府の要職についても発揮させ、ある意味では庶民の貧困とか怨念とかに無縁のおぼっちゃま育ちだった。その分、欲がなく罷免されれば田舎にこもって隠居すれば平穏に暮らせるだろうとの甘い認識しかなかった?執念というものがなかった?ところが田舎者の、貧乏人の恨みは怖い。有無を言わさず斬首されてしまう。
もしということは歴史では許されないが、もし私が小栗であったなら、江戸のお膝元では戦わず、江戸を逃げ、函館まで行って戦ったであろう。その頃には新政府も余裕ができ、あれ程反抗した榎本武揚が結局許されたように、彼も許され、新政府で活躍していたであろうことが想像できる。くりくりさんの言われる如く、「小栗が残した足跡もまた、いぶし銀の如く歴史上に輝いている」ことも間違いありませんが。心情的には結果はどうあれ、どこかで「くり」のするどい「いが」をもって官軍に一刺ししてもらいたかった。
                            平平凡々のペンペン
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コメント

  1. くりくり | URL | -

    決断?

    ペンペン様

    今回ばかりは、うちひしがれる、くりくりです。

    小栗は、要は、たんなる「ぼんぼん」にすぎなかった。

    呑むにはあまりに痛い事実ですが、かといって今は返す言葉も見つかりません。それで、再起をかけて、(涙をのみつつ)一旦退く覚悟を決めました。

    そう、くりくりの勇退宣言です。

    けれど、敗北を認めたわけではないので、いずれまた、英気を養って戦いたいと思います。(私は、潔くないのです、、。)

    栗のいがいがのとげとげ、ますます磨きをかけますゆえ、、、。  一矢報いることができるか、、、、
    ご期待?下さい。

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