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山川登美子

2008年07月07日 15:05

 七夕に思う

明治の歌人山川登美子をご存知だろうか?
与謝野鉄幹を思慕したが、与謝野晶子のような才知あふれ、明るく奔放で、ひまわりのようにいつも注目を集めていた女性に所詮かなう訳もなく、身を引いた女性として、また薄幸の女性として興味本位に風聞されている。その点ばかりが強調されて、また晶子との比較から彼女の詩歌に対しての評価は不当に低いものとなっている感がする。

山崎登美子は1879年福井県の小浜市に、代々小浜藩の重臣であった家系の4女として生まれた。高等小学校卒業後、16才(1895)で大阪の長姉の婚家先に寄宿し、梅花女学校に入学した。1897年に邦語科を卒業し一旦は小浜に帰るが1900年に再び大阪に出て、今度は梅花女学校の英語科の研究生となった。同年、この大阪の地で明星の主筆であった与謝野鉄幹や類い稀なる才媛で、後に鉄幹の妻に収まる鳳晶子と会う事となる。登美子の歌が明星に初めて載ったのは創刊の次の号(1900年5月)であり、それ以降、作品を毎号に渡り発表していった。その頃はむしろ和歌よりも絵画に興味を抱き、美術学校へ進学したいと思っていたが父の同意が得られず、悩んでいた。しかしこの夏鉄幹が大阪を訪れたことで、鉄幹や晶子との交際が始まり、秋の京都永観堂での紅葉観賞や粟田山麓での鉄幹、晶子との同宿で、一気に恋慕の感情が盛り上がり、恋に歌にと雲の上に舞い上がるような心境であった。一方では、父親により同郷の山川駐七郎との結婚話がかってに進められ、すでに断りきれない状態になっていた。その年の明星の11月に出版された8号にその頃の心情を読んだ「それとなく紅き花みな友にゆずりそむきて泣きて忘れ草つむ」が載る。翌年の春に上京して結婚、新居に落ち着き、その後9ヶ月間は歌の発表はなく、しばし心の落ち着きを得る。その間晶子は旧来の和歌の形式にとらわれない奔放で自由闊達なロマン的歌集「みだれ髪」を刊行して世の注目を集め、妻滝野と離別した鉄幹と結婚している。運命とは残酷なもので登美子の夫は結核が再発し、2年弱の結婚生活で他界してしまう。夫の死に直面し読んだ挽歌は「君は空にさらば磯回(いそま:磯の入組んだ場所)の潮とならむ月に干て往ぬ道もあるべし」。翌年(1904年)寡婦となった登美子は再び上京して日本女子大学の英文科生となった。その機会を捉え、明星を主宰する鉄幹は与謝野晶子、山川登美子、増田雅子の3人の共著で明星の地位を更に不動のものとしようと図った。一方晶子は鉄幹の正式の妻となりながらも登美子の再登場に心のどこかで怯える心境であった。1905年初頭には旅順のロシア軍が降伏したがそれと時を同じくして山川登美子、増田雅子、与謝野晶子の共著で詩歌集「恋衣」が刊行され、有名な晶子の「君死にたまふことなかれ」の詩もおさめられた。しかし山川登美子の安らいだ時間は長続きせず、夫からうつった肋膜炎を煩い京都で療養するはめになる。彼女は死の影に怯えることになり、「わが死なむ日にも斯く降れ京の山しら雪たかし黒谷の塔」と白雪の黒谷を読む登美子は諸々の過去を込めて自分自身への挽歌をすでに読み始めている。1908年に父の禎蔵が亡くなった。しかも父の重態を聞いて京都から小浜に駆けつけた時には、症状も悪化して回復も望み難い体にあった。生家の病床からも明星に自分自身への挽歌「人知れず終わりの歌は書きてあり病いよいよよからずもあれ」を書き送った。「わが柩まもる人なく行く野辺のさびしさ見えつ霞たなびく」が明星に載った最後の歌となった。
病床の登美子は「父君に召されていなむとこしえの春あたたかき蓬莱のしま」と書いた巻き紙を弟の山川亮に渡し事切れた。享年29才9ヶ月。小浜市の生家で病死。なんと薄幸の短い人生。与謝野晶子のような才能あふれる奔放で太陽のような女性と常に比較され、いつも身をひくばかり、鉄幹への情熱も歌の才能にも晶子には及ばず、結核までもうつされ夭折してしまう。不幸を絵に描いたような人生であった。鉄幹がその死を悼んで読んだ歌「君なきか若狭のとみ子しら玉のあたら君さえ砕けはつるか」。小浜市伏原の発心寺の山川家の墓地に眠る。一度訪ねて行った時にはよく調べて行かなかったせいか行き着かなかった。
 一方、晶子は文学の世界ではなばなしい活躍をしつつ、母としても鉄幹との11人の子供を育て、浮気性の収まらない夫をあやつり家庭を治め、65才で永眠。全てにおいてすごい女性としか言いようがない。
しかし山川登美子の病重くなってからの歌は晶子にはない,どこか醒めて自分を見つめている目が感じられ、違う意味でこれもすごいと感じるのは詩歌の分からないペンペン故なのであろうか?
与謝野晶子と山川登美子および与謝野鉄幹の人間関係を次の機会に書きたいと思っている。

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