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革命的な詩人ランボー

2008年08月14日 12:43

Arthur Rimbaud (1854-1891)
昔ランボーにかぶれた時代もあった。その才能に嫉妬した時代もあった。
ランボーほど詩のイメージを変えた人物もいない。それまでの詩の多くがきれいごとに流れていたのに反し、ランボーは精神の錯乱、幻想と現実のはざまや人の影の部分を描き出している。それも16-17歳で。これらの詩作に中原中也や小林秀雄も強く影響された。

アルチュール ランボーは1854年北フランスのベルギーに近い片田舎で生まれた。時代はナポレオン3世による帝国主義的政策で, 少年期は普仏戦争のさなかに過ごした。父親は軍人であったが、退役後も家族の下に帰る事はなく、兄や妹とともに厳格な母親によって育てられた。1970年、普仏戦争が勃発し、シャルルビルが戦火に巻き込まれる様になり、家出を繰り返す。ナポレオン3世はすぐにプロシャに降伏してしまうが、パリではプロシャによる圧政に抵抗して、パリコミューンが樹立され、内乱状態になった。彼もコミューン派と一緒に活動をしたようであるが、直に政府による弾圧を受けコミューンは崩壊してしまう。その頃、ランボーは友人のイザンバール(中学校時代の教師)やデムニーに手紙を送り、かれの詩作に関しての考えを述べている。「見者の手紙」と言われているもので、見者とは主観にとらわれず客観的に世界を捉えることができる者であると述べている。その中で、見者に一番ふさわしいのはボードレーヌであろうと言っている。また「錯乱により未知に到達する」とも言っているがこれが彼の詩の原点だろうか?
 更に、ランボーはパリで詩作活動をしていたベルレーヌに手紙を送り、自分の詩を紹介している。ランボーの才能に感嘆したベルレーヌはパリまでの旅費を出してやり、ランボーをパリに呼び寄せる。ランボーはパリにやって来て、妻子持ちであったベルレーヌと奇妙な共同生活を始める。しかしたちまちかれの傍若無人ぶりがベルレーヌ婦人らとの軋轢を産む。以後逃れる様に二人してブリュッセル、やロンドンを放浪し、同棲生活を送る。このあたりの事はデカプリオ主演の映画 「太陽と月に背いて」に詳しい。1873年にランボーが別れ話を持ち出したことから、ベルレーヌは拳銃で脅し、2発発砲する。その一発がランボーの手首を負傷させ、彼は入院し、ベルレーヌは逮捕される。この事件の後、初めての詩集「地獄の季節」を出す。1874年にロンドンに舞い戻ったランボーは「イルミナシオン」を仕上げる。これが最後の作品になった。20歳そこそこのランボーは詩よりも実社会のほうがはるかに創造的で刺激的だとの言葉を残し詩作活動を止め、一時は外人部隊にも所属するなどしていたが、当時拓かれつつあったアフリカに目を付け、エチオピアを本拠に、武器商人まがいなことを始める。その間、詩は書かなかったけど、アフリカ奥地を探検した際の探検記をフランスアカデミーに寄稿している。しかし右膝に骨肉腫を煩い、マルセ-ユに戻り、右足切除の手術を受ける。アフリカに帰ることを願っていたが、結局は帰ることができず、妹のイザベルの献身的な看病にも関わらずマルセーユの病院でなくなった。37歳であった。遺体は故郷のシャルルビルに埋葬される。
早熟の天才。20才にしてすでに詩作活動はやめ、全てを捨てて違う世界へと旅立ってしまう。ベルレーヌはランボーと別れたものの、終生彼の作品の発表の機会を見つけ、ベルレーヌが有名になるとともに、ランボーもパリの文学界に知られるようになる。彼の難解な詩は幻想と現実の境を書いたもの。天才独特の独りよがりで自分のことしか考えない性格は周りの人には大迷惑だけど、世には大きなものを残す。よくも悪くも、大きなことをなす人物は人のことを気にしない。
「夏の感触」引地博信訳
まだ若々しさと幼稚さが同居している詩。最も早い時期、15歳のときの作品。後に世界を放浪する予感を感じさせる。 [Sensation]

夏の青い黄昏時に 俺は小道を歩いていこう 草を踏んで 麦の穂に刺されながら
足で味わう道の感触 夢見るようだそよ風を額に受け止め 歩いていこう一言も発せず 何物をも思わず
無限の愛が沸き起こるのを感じとろう 遠くへ 更に遠くへ ジプシーのように まるで女が一緒みたいに 心弾ませ歩いていこう

「ロマン」引地博信訳
 実は16歳の時の作品。ホモのイメージが強いランボーの女性に対する恋心を呼んだ詩。なんだか背伸びしているランボーが窺えて、天才も少年なんだと思わせる一品。
  I
お利巧さんではいられないさ 俺はもう17歳
  素敵な夕べ ビールもレモネードももうあきた
  カフェときたら騒々しく ギラギラとやかましい
  一列に並んだライムの木陰をそぞろ歩こう
 6月の素敵な夕べに ライムが良い匂いを放つ
  誰だってうっとりして目を閉じるさ
  風は街の音を運びながら
  ワインやビールの匂いも運んでくる
 ?
 
 誰かがスカートの皴を直しているぞ
  小枝模様の群青色のスカートには
  凶つ星がついていて 柔らかく震えながら
  ちっぽけな白い光芒を放っていった 
6月の夕べ 17歳 うっとりするね
  シャンパンの気付のおかげで いい気持ち
  そぞろ歩けば やおら接吻を感ずるんだ
  野生の生き物のように震える唇の先に
 ?
  
 俺の狂った頭はロビンソン・クルーソーの筋をたどる
  ランプの淡い光を目で追い求めていくと
  ひとりの少女が通りがかって一瞥をくれた
  一緒の親父がカラー越しに様子を伺う
  あいつは俺のナイーブさを見抜いたらしく
  ブーツに包んだ足をくるりと回し
  俺のほうに向きかえると肩をすぼめて見せた
  カバティーナの鼻歌をうなってる場合じゃないぞ

 IV
 俺は恋に陥った 8月まではさめないだろう 恋する俺は女のためにソネットを作る 友人たちは俺を見捨てる 俺のことを変だというんだ だがある夕べ 女が俺に手紙をくれた
その夕べ 俺はカフェに舞い戻り ビールとレモネードを注文した
お利巧さんではいられないさ 俺はもう17歳 ライムの木も一列に並んで青々としているのさ

「酔いどれ船」引地博信訳
ランボーの初期の代表的作品だとされる詩。読んでみてくれ。なんと彼が16歳の時の作品。16歳にしてこのような抽象的表現ができるなんて! 今までの生活を総括し、新たな旅立ちへの決意を歌ったものだとされる。自分を難破船にみたて漂流と港への寄港を歌った。

 一隻の船である俺は悠然たる川を下っていく
もはや水夫たちが俺を操ることはない
けばけばしいインディアンどもが奴らをひっ捕まえ
色鮮やかな磔台に裸のまま釘付けにしたからだ
水夫たちのことは気にかけまい
フランドルの小麦やイギリスの綿を運んだ奴ら
奴らともども大波に飲まれた俺は
いまはひとり気ままに川を下っていくのだ
昨年の冬のことだ 獰猛な海の裂け目に向かって
子どものように夢中になって 俺は走った
一艘の船だにもやわぬ半島は
勝ち誇った叫び声をあげていた
 海の上で甦った俺を嵐が祝福した
コルクよりも軽く俺は波頭を踊り狂った
捕らえられたら永遠に逃れられぬ恐ろしい波
十日の間俺は灯台の光を頼りに迷い続けた 
甘酸っぱいりんごの果肉よりも更に甘く
瑠璃色の水が俺の体内にしのびこんでくる
ワインのしみも飛び散ったげろも洗い流し
はしごも碇もさらっていく
俺は海水にどっぷりとつかり 海の歌を聞く
星空を映し出した海は群青色に輝き
俺の青ざめた喫水線のあたりを
溺れた男が夢見ながら流れていく 
すると突然 海を青く染めながらけだるくスローなリズムが日の光を浴びて
アルコールより強烈に 音楽より心広く
褐色の辛い愛を醸成する
俺は稲妻が空を引き裂き
海が迸り上がるのを見る
夕べに続いて夜明けがきて
さまざまなことどもが次々と起こった
低く垂れた太陽は紫の斑をまとい
神秘的な恐怖に彩られている波は古代劇の役者のように
はるか遠くで鎧戸のきしむ音を立てる
俺は夢見る 緑の夜は雪のように輝き
ゆっくりと海に向かって接吻するのを かつてない生気がみなぎりわたり
金色やブルーに 燐が揺らめき歌うのを
来る月もまた来る月も 波のうねりが帆を叩く
ヒステリーの牝牛の群れのように
かのマリア様の輝ける足が
海の轡など蹴飛ばしあそばさるのも知らずに
かくするうちに 俺はフロリダにたどり着いた
人間の皮にパンサーの目と花が混じりあった土地だ
虹は引き伸ばされた手綱のように広がり
水平線の下で羊の群れに溶け合った
広大な沼地が沸騰し
魚簗にかかったリバイアサンが腐りかけている
静寂の中を水が渦巻き
深淵に向かって流れ落ちていく
 氷河 銀色の太陽 真珠の波 灼熱した石炭色の空
  難破船の残骸が湾の底に横たわる
蛆虫の餌食になった大蛇が
捩れた枝から異臭を放ちながら落ちていく
イルカたちを 子どもらに見せてやりたい
青い海を泳ぐ 黄金の歌う魚たちよ
あいつらの立てる飛沫が俺を揺さぶり
言いようのない風が俺に翼を運んでくれる
時には 極地の旅に飽きた順礼
海のため息が俺の不安をなだめてくれる
海が俺に向かって盛り上がると俺はその上に横たわる 膝まづく女のように
まるで島にいるようだ 俺のいる浜辺に向かって
けたたましい鳥たちが糞をたらしていく
俺はあてもなく漂流する
溺れた男が索条を越えて船尾のほうへ流れていった
俺は入り江の草むらの中で迷子になった船
ハリケーンに吹き飛ばされ 鳥も飛ばない空中にさまよう
俺の残骸は 泥酔して水を被り
海難監視船もハンザの船も助けてはくれぬだろう
自由気ままに煙を吐き 紫色の霧から起き上がった俺は
赤く染まった空の壁を突き抜ける
そこには 詩人たちも美味だというものがある
海の色と溶け合った太陽の苔瘡
星々の電気を浴びて俺は走る
竜の落とし子をエスコート役にして
すると七月の大気は棍棒の一撃を以て
ウルトラマリンの空を赤いジョウロに流し込むのだ
俺はおののき 遠くにベヘモスのうなり声を聞く
またメールストレームの暗い深淵
  死をつむぎだす永遠の深淵を
今の俺には懐かしいのだ ヨーロッパとそれを囲む古い墻とが
だが俺は十分すぎるほど涙した 夜明けが痛い
月は残忍で 太陽は昇るたびに辛辣だ
  愛が俺を飲み込んで麻痺させる
船体よ裂けよ! 海の藻屑と消えん! 
俺は散りばめられた無数の星を見る
  島々を空が覆い すべての船乗りを迎え入れる
寝ているのかお前たちは この底なしの夜の中で
数知れぬ黄金の鳥たちよ 未来を生きるものたちよ
ヨーロッパに俺の浮かびたい水面があるとしたら
それは黒くて冷たい水たまり
悲しみに蹲った子どもが芳しい黄昏に向かって
5月の蝶のように壊れやすい船を浮かべる水たまり
波よ お前の倦怠に漬かってしまった俺は
もはや綿を運ぶ航海に出ることはできぬ
旗やペナントをはためかして走ることも
廃船を尻目に航海することもできぬ
  抽象的な表現の中に自分の思いを歌った16歳 
                    (凡々たるpenpenはいやになる)

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コメント

  1. とくとく | URL | -

    No title

    10代の頃に「太陽と月に背いて」を観て全く理解できなかったので、ランボーを読もうと思ったことがありませんでした。しかし、ここに紹介されている詩は映画の印象とはちょっと違う気がしました。
    気に入ったのは「夏の感触」、初めていたどりを食べたときの予想外のすっぱさとほろ青苦さ、そして、おいしいと思ったわけではないのになぜかまた食べてしまう、なぜかあの味がよみがえりました。
    私にとってランボーの詩はやはり理解不能、紙に描かれたぐちゃぐちゃの混沌とした記号(のようなもの?)の集合のような印象です。でも、この記事を読ませていただいて、そこになんとなく景色がみえてくるような気もしてきました。

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