オリンピックに思う
オリンピックは愛国心をかき立てる。
オリンピックが始まった。日頃は意識していなくとも愛国心が妙にかき立てられる。特に団体競技で国別対抗ともなると一点一点にはらはらし、負けるな日本頑張れとなる。この妙な気持は随分昔アメリカに留学していた時(1975年頃)にも味わった。その当時、日本を出たのは羽田から。一ドル360円の時代であった。東海岸への直行便がなく、真夜中にアンカレッジで給油し、昼過ぎ、ロスアンジェルスに着いた。一泊した後、大陸横断の飛行機に乗りやっとW. DCについた。ロスまでは日本人も乗っていて淋しくはなかったが、東海岸行きの飛行機にはたった一人ぽっちの日本人であった。留学先に行ってからも何もかも一人で揃え、折衝しなけねばならず、へたな英語で苦労した。そんな時、どんな田舎に行っても世話好きの日本人がかならず居て、色々と教えてくれた。心細い不安な状況下、その日本人という傘の下にその地区の留学生達があつまり、お互いの交流が始まった。そして小さな日本人社会ができ、お互いに助け合う精神ができた。考え方の相違、強引さや自分のことしか考えず、日本人だと馬鹿にしてくる外国人などとも接していると、次第に日本人ということを意識するようにもなった。
丁度その頃から、アメリカの東海岸の高速道路をシビックのような小さな日本車が車体の大きい米国車に混じってちらほらと走り始めた。それを見ると無償に「日本頑張れ」との感情が湧き上がり、日本に居た頃はどちらかというと学生運動もかじり左翼的な考えを持った自分であったが、海外に出て、否応無しに日本人だと認識させられると、今度は愛国心が目覚めて、日本の文化や文明ということに関心を持つようになった。また日本経済の発展が著しくあっという間に東海岸にも日本車と日本の電化製品が溢れ出してきた。留学前は日本の車なんてぽんこつで高速道路を数時間飛ばすとエンジンが焼け付くと言われていたのが、帰国する頃になると日本車を含め日本の製品は品質がよく故障しないとの評判に変わって行った。これがまた同じ日本人として誇らしかった。自分の事のようにうれしかった。日本企業の戦士達が汗水流して頑張っているんだと思うと、自分も頑張らねばと勇気づけられた。
しかし、2年半たって、帰国すると日本というものを意識しなくても暮らして行けるため、それ程日本とは、とこだわる事もなくなっていった。しかし、オリンピックをTVで観賞していると、あの頃の感情がふつふつと湧きだして、また心の底に残っていた愛国心の炎がくすぶり始めた。
オリンピックのような国別対抗の国際競技が行なわれたり、国家間のいざこざが起こったりした場合や、家族の困難に遭遇すると日頃けんかばかりしていた国民や家族が団結し愛国心や家族愛に目覚める。領土問題も日頃は無関心であっても、他国からここは自分たちの領土だといわれると無性に反発したくなる。 (時々愛国心に目覚めるpenpen)
オリンピックが始まった。日頃は意識していなくとも愛国心が妙にかき立てられる。特に団体競技で国別対抗ともなると一点一点にはらはらし、負けるな日本頑張れとなる。この妙な気持は随分昔アメリカに留学していた時(1975年頃)にも味わった。その当時、日本を出たのは羽田から。一ドル360円の時代であった。東海岸への直行便がなく、真夜中にアンカレッジで給油し、昼過ぎ、ロスアンジェルスに着いた。一泊した後、大陸横断の飛行機に乗りやっとW. DCについた。ロスまでは日本人も乗っていて淋しくはなかったが、東海岸行きの飛行機にはたった一人ぽっちの日本人であった。留学先に行ってからも何もかも一人で揃え、折衝しなけねばならず、へたな英語で苦労した。そんな時、どんな田舎に行っても世話好きの日本人がかならず居て、色々と教えてくれた。心細い不安な状況下、その日本人という傘の下にその地区の留学生達があつまり、お互いの交流が始まった。そして小さな日本人社会ができ、お互いに助け合う精神ができた。考え方の相違、強引さや自分のことしか考えず、日本人だと馬鹿にしてくる外国人などとも接していると、次第に日本人ということを意識するようにもなった。
丁度その頃から、アメリカの東海岸の高速道路をシビックのような小さな日本車が車体の大きい米国車に混じってちらほらと走り始めた。それを見ると無償に「日本頑張れ」との感情が湧き上がり、日本に居た頃はどちらかというと学生運動もかじり左翼的な考えを持った自分であったが、海外に出て、否応無しに日本人だと認識させられると、今度は愛国心が目覚めて、日本の文化や文明ということに関心を持つようになった。また日本経済の発展が著しくあっという間に東海岸にも日本車と日本の電化製品が溢れ出してきた。留学前は日本の車なんてぽんこつで高速道路を数時間飛ばすとエンジンが焼け付くと言われていたのが、帰国する頃になると日本車を含め日本の製品は品質がよく故障しないとの評判に変わって行った。これがまた同じ日本人として誇らしかった。自分の事のようにうれしかった。日本企業の戦士達が汗水流して頑張っているんだと思うと、自分も頑張らねばと勇気づけられた。
しかし、2年半たって、帰国すると日本というものを意識しなくても暮らして行けるため、それ程日本とは、とこだわる事もなくなっていった。しかし、オリンピックをTVで観賞していると、あの頃の感情がふつふつと湧きだして、また心の底に残っていた愛国心の炎がくすぶり始めた。
オリンピックのような国別対抗の国際競技が行なわれたり、国家間のいざこざが起こったりした場合や、家族の困難に遭遇すると日頃けんかばかりしていた国民や家族が団結し愛国心や家族愛に目覚める。領土問題も日頃は無関心であっても、他国からここは自分たちの領土だといわれると無性に反発したくなる。 (時々愛国心に目覚めるpenpen)


