スポンサーサイト

--年--月--日 --:--

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

絵画のような小説

2008年08月23日 22:51

色鮮やかな小説

私は小説の中のシーンが絵画のように色鮮やかに浮かび上がってくる文章を書く作家が好きだ。宮本輝の他にも連城三紀彦や志水辰夫などもこの類いの作家であろう。今日は志水辰夫を取り上げる。彼には「背いて故郷」や「行きずりの街」などの代表的な長編の作品もあるがむしろかれの小品が好きだ。例えば「赤いバス」という作品では一人の還暦をひかえ病気治療中の男が10年前に建て,家族には人気のない山荘に一人でやってきて村での生活を始め、ミツオという知恵おくれの子供と知り合う。「夜、明かりを消したへやの窓から、対岸の村の灯をながめているのが好きだった。それは都市の明かりと違ってささやかなものだったが、それだけに光のひとつひとつに人の生活や温もりといったものを感じさせる。夜の更けた街道を、ときおり車が,心細そうに光を照射しながら帰って行く光景もおもしろい。」 「朝靄のたなびく未明の光景も捨て難かった。夜の際がようやく明るみはじめる静寂の極致から、壮大な音楽がはじまるみたいにわずかに青が色づき始め、やがて朝焼けの朱となって光と色が蘇生してくる時間的経過は、いつ見ても歴史的瞬間に立ち会っているみたいな感激と喜びをよびさまさずにおかなかった。全てのものが夜眠り、朝起きてくるという単純なストーリーが、これほど感動的なドラマに満ちていようとは考えてみたこともないのだった。」「山の上にかかっていた日光が消えると、夕靄が漂い始めた。山肌の色合いに青が増し、視界がじわっと滲んできた。空の透明度が沈む。すると赤い色が勝って、夕焼けがはじまった。肩の辺りが急に冷たくなってきた。境内のサルスベリが赤い花をつけている。地上には点々と黄色い花。ユウスゲが咲いていた。ユリ科のこの愛らしい花は,夕方咲いて翌朝にはしぼんでしまうのだった。」石段を下りて行くと----ミツオはだまってバスを見ていた。いつもの迫力が感じられなかった。その横画をは淋しそうで、わたしを見ても気弱そうな微笑みを見せただけだった。白い、新しいシャツを着ていた。ズボンは黒。丸坊主の頭は散髪したてだった。「お姉ちゃんが帰ってくるんだよ」ミツオは気負いのない淡々とした声で言った。-------少し気温が落ちてきた。空の夕焼けが増してきた。野焼きの煙だろう,白いものがたなびいて地上を覆い始めた。鳥が空を横切って帰って行く。「あ、トンボ」とミツオが叫んだ。アキアカネの赤い胴が夕空に閃いていた。秋を感じた。--空間全体が壮大な舞台となって、何かの開演を待ち受けているみたいなしんとした静寂をみなぎらせている。それはとりもなおさず平安の前兆であり、夕靄と自分との一体感であり、自分の中に巣くっている不安や恐怖や絶望からの解放にほかならなかった。わたしはミツオと同じように救いを求めている人間なのだ。見上げると空の色がいっそう赤黒さを増していた。視界がぼやけて涙が滲んでくる。漂い始めた夕闇。形あるものの輪郭が見る間に溶け去り、その意味を失おうとしていた。過去と現実の接点が見分けられなくなってしまうひととき。全てのものが一色に閉じ込められ、言葉と、思惟と、祈りのなかに還元されようとしていた。」--------
「キミちゃんという姉がいたんです。しっかりしたかわいい女の子でしたけど。ミツオをみるとキミちゃんの方を思い出すんんですよ。「東京に?」いえほかに兄弟はいませんよ。キミコという姉がいただけです。----- そこの川でね、溺れたんです。ミツオのほうが深みにはまって、姉がそれを助けに行って、自分は力つきて沈んだんですよ。逆だったらまだよかったのにって、みんなもらい泣きしましたもの。そうですねえ、姉の方は生きていたらもういい年頃ですよ」
 救いを求めている自分や世の中の不条理がミツオという純粋な男の子を通して浄化して行き、静謐な山里の情景と溶け合って、すさんだ心が次第に洗われて行く感じがする。小説の風景が目に取るように浮かび上がってくる作品。

スポンサーサイト


コメント

  1. くりくり | URL | -

    ぺんぺんさんは不思議さん。

    そうなんです。前から何気に感じてはいたのです。
    ペンペンさんのお好きな、中也さんにしろ、ランボーにしろ(まあ、このお二方は詩人なので、当然なのですが。)、先日の福永氏(この方もフランス文学を勉強された方だし。)から、宮本さん(今、遅まきながら、「青が散る」にはまりこんでいます。)、そして今回紹介してくださった、志水辰夫(実は、全く作品を読んだことがないので、あくまで紹介してくださった文章からの印象ですが。)氏に至るまで、すべてが、詩文的で、流れるような、あくまで格調高い描写風景をされる方々ばかりなような気がします。

    谷崎も、ある意味そうですよね。

    私にとっては、難解な中原中也や、ランボーの詩に心酔しておられる、、、。

    確か、ぺんぺんさんは、東京から来られた生物学者のはず、、でしたよね?  文学とサイエンスは、対局の位置にあるものと私は理解していたのですが、、、その両方とも、いとも簡単に解してしまえるペンペンさんは、東京ではなく、不思議の国から来た、まさに、不思議さんです。
    (ちょっと、メルヘンチックに、、、。本日は、締めたいと思います。では、また。)

  2. penpen | URL | -

    能力の限界

    くりくりさんのご指摘とおり、penpenは詩文的な格調の高い文章が好きなのです。そしてそれをを超え、人の業とか哀に迫る事が出来ない所に、私の限界があるのです。「青が散る」にしても表面は青春の光と影を扱った小説ですが、底辺には常に潔癖と自由という命題が走っています。草の花ではあまりにも純粋で潔癖な若者が主人公として登場し、お互いに理解しあうことは出来るのだけど、自分の潔癖さに妥協できず不幸になっていきます。私の座右の銘は「誠は天の道なり人の道にあらず」ですが、これは漱石が最後にたどり着いた境地、「こころ」のようです。文学は天の道と人の道の矛盾を描きつづけるものが多いのですが、これは人類の永遠のテーマかもしれません。そのような人の心の深淵をえぐり出すことは私の才能ではできそうもありません。という訳で文学同様、研究においても中途半端になってしまっているのです。すみません。

  3. とくとく | URL | -

    No title

    「赤いバス」を読ませていただきました。読みながら高校のときに資料集で観たミレーの「落ち穂拾い」の絵を思い出しました。美しいのにどこか切ない感じが似ているからでしょうか?
    私が読んだ「赤いバス」が収められている「いまひとたびの」という短編集はどの作品も死がとても身近なものとして描かれているせいか、美しい描写の中にどうしようもない哀しさ、切なさがにじみ出ている文章を描く方だと思いました。「赤いバス」では丁寧に描かれた田舎の風景の美しさが、死期迫る主人公の切なさ、諦め、そして最後にすべてを吹っ切った悟りのようなものをより際立たせている気がしました。
    個人的には「七年のち」の少女が桜の木を観て忘れていた大切な想い出を思い出すシーンの風景と感情がリンクする瞬間の描写がすばらしく、鳥肌が立ちました。「夏の終わりに」での主人公と妻がお互いを思いやるあまりに無理をしようとし、却って相手を傷つけてしまう様子なども美しい風景が感情をより引き立てていました。
    基本かもしれませんが、風景を描くことでそこにいる人の感情をみごとに浮き上がらせている作品だと思いました。

コメントの投稿

(コメント編集・削除に必要)
(管理者にだけ表示を許可する)

トラックバック

この記事のトラックバックURL
http://explore525.blog45.fc2.com/tb.php/72-63cafdef
この記事へのトラックバック


最近の記事


上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。