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高樹のぶ子

2008年09月12日 14:13

波光きらめく果て

高樹のぶ子は「光抱く友」で芥川賞をとった、福岡在住の女流作家である。
彼女の小説は今まで紹介してきた作品とは傾向が異なる。彼女は主に男女の心の彩と業を描いた作品が多い。男と女の心の奥底に潜む、欲望というよりはむしろ業と言えるものをえぐり出して淡々と書かれている。微妙な男女の心の揺らぎと襞を浮き上がらせ、現実社会との軋轢を描く。
私の好きな言葉として漱石の「こころ」?に書かれていた「誠は天の道なり、人の道にあらず」があるがこの小説のテーマも自分に素直に(誠に)生きようとすると誰かを傷つけ、不幸にする。これは天の道であって人のとる道ではない。が「波光きらめく果て」の大きなテーマだ。映画化もされた。

波光きらめく果て
 河村羽季子は妻子ある男と恋に落ち、夫と離婚をするが、雪降る越後湯沢の地で一人待てど、恋人は現れず、自殺未遂をおこす。母(富栄)とともに出身地の壱岐へ帰り、叔父(武弥)と一緒に暮らすようになる。そこでも高校の先生をしている従妹の亭主(敦巳)と同じ過ちを繰り返し、従妹は自殺未遂をおこす。
女の心の片隅に蠢いている魅惑的な性が男を魅了し、狂わせる。封建的な片田舎の道徳に縛られた社会で、人間の隠れている一面をえぐり出す。

 壱岐の感想を羽季子はこう述べている。「水に囲まれた島の匂いは、羽季子を旅人のような落ち着かない気持にさせた。朽ち葉や雨後の苔が匂う雑木林の、木漏れ陽さえ地面まで届かない山肌の大気に朝夕濡れながら育った羽季子は、潮を孕む風、陽といわず雲といわず、在るがままに天空の明るみを受けとめはね返す砂浜の白さに体を委せるとき、都会のビル群がもたらすのとはまた別だが、これもまた、ずいぶん強引な力だと思わないわけにはいかなかった。」

 従妹の夫と逢瀬をかさね「したたかに叩きのめされ、家族まで苦しめてもまだしぶとく生き残り、懲りずに発色してくる疼しい輝きとでも呼べるものに、羽季子は唖然となる。」またその頃の自分の感情を「秘密はいつもこんな具合に、不安な手探りの中で育ち始め、ふと気がつくと最早動かしがたい重さで居座っている。そののちは、次第に熱を帯びてくるこの荷物を抱えあぐね、結局疲れきって、秘す事すら放棄してしまう。」と現している。男にたいし、自然と挑発するような、たぶらかすような言葉や態度が出てくる。「羽季子のいつもの癖で、自分の声に感情がたちまち引きずられた。泣き声で言うとすぐさま涙が追いかけてくるのだった。どこかで、同じような声をあげて泣いたような記憶がちらつくが、いつ、どこで、誰とだったか、思いだそうとすれば多分その日の空気の暖かみ、湿度の具合、部屋の匂いまでたぐりよせることができるだろうが、羽季子は、気遠い漠然とした場所に、これらの片鱗をまき散らしておく。」従妹は自分の夫と不倫関係になった羽季子にたいしてこういうのであった。「いつだって思いどおりに生きて、失敗して、馬鹿を見て、可愛くって、男の人を滅茶苦茶にしたつもりでちっとも男は滅茶苦茶になんかなってやしないのに、そのへんはうぬぼれやさんで、自分勝手で、いつも太陽のようにまわりの人間を振り回して。」
そしてそんな関係が島民の知るところとなり、敦巳の勤め先の校長に手紙が届く。「瞼を閉じ加減にすると、こみかめの柔らかい部分から脳の奥めがけてさしこむ、一本の鋭い光が感じられた。眼こうの底を灼き、火のような流れをそこで塞ぎ止め、それでもどこからか溢れてきた涙は、羽季子の両掌を赤黒く浮かび上がらせた。つっかけ下駄の鼻緒も富栄の足も、赤く熟れて崩れかかっている。ついに母の老後を踏みにじり、安住の地から追う、という思いは、これまで羽季子に向けられたすべての非難よりも痛烈にこたえていた。」叔父の武弥が言う。「お前がいちどでも手で触れたものは、こっぴどく汚されて、立ち直れんのじゃないかな。」と。
 
 敦巳の寝姿を見ながら明け方家を忍び出た羽季子は逢瀬によく来ていた屏風岩に行く。明け方の屏風岩。「目を落とすと、野バラらしい黒い影が盛り上がるすぐ下で、白い楕円の渦が動いていた。ふと消えるがすぐ別の一点から吹き上がり、拡がり、波に押しやられて見えなくなる。海面すれすれに突出した無数の岩に、強さや方向の違う波があたって砕けているわけだが、渦の数も大きさも一定してはおらず、不意を打つように海岸線のあちこちに出現した。ふと気づくと、一面に貝殻をちりばめ敷き詰めたような波光が、糸島半島と羽季子を繋いでいるのだった。陽光の一部が、海上のどこかに這い上がってきたらしい。」そして小説は次の文章で終わる。「羽季子は、自分をつきうごかしてここに立たせた誰かが、海の彼方にいるような気がして、遠くを睨んだ。すると、境界の不確かな帯となってさんざめいていた光の粉が、羽季子に囁きかけるようにうごめき、風とともに夥しい色の雫をふりかけてきた。」

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コメント

  1. くりくり | URL | -

    ぺんぺんさんは不思議さん (PartII)

    「ぺんぺんさんは不思議さん」‥‥ということで、前回、志水辰夫氏のところでしめさせていただいたのですが、このたび、またまたその思いをあらたにしたわけです。

    なにゆえ、高樹のぶ子氏なのか‥‥と。

    奇遇ですが、私が読んだ「銀河の雫」という小説にも、糸島半島が登場し、そこで、波について語るこんな文章があります。
    「あれはみな、恋の追いかけっこです。よく耳を澄ませば、誰かが誰かを求めて、ひたすら追いかけてくるのが分かります。追いかけてつかまえようと必死です。しかしつかまえたときは何もかもこわれてとび散ってしまう」‥‥と、いうような‥‥。高樹さんにかかれば、ただの波ですらこんな風に表現されてしまう。
    彼女の作品には物語性があって思わず、その世界にひきこまれてしまうのだけれど、その、細部の描写が実に鮮やかなことといったら、この上ない。
    描写が美しいというのは、今まで紹介してくださった他の作家の方々に共通しているところだけれど、彼女のお話の主軸は、ぺんぺん様のお言葉をお借りしますと、「彼女は主に男女の心の彩と業を描いた作品が多い。男と女の心の奥底に潜む、欲望というよりはむしろ業と言えるものをえぐり出して淡々と書かれている。微妙な男女の心の揺らぎと襞を浮き上がらせ、現実社会との軋轢を描く。」と、これまた見事な表現で綴られておりますが、要は男女間の華麗なる恋愛とその愛憎劇であります。

    片や、生物の多様性を語り、中原中也を語り、そして、山崎豊子を、そしまた、アームストロング砲を語りながら、高樹のぶ子まで‥‥。

    実に摩訶不思議!!!としか言いようがないこの方向性。

    私は、残りの自分の生涯をかけて、東京から来た生物学者といわれている、ぺんぺんさんの研究に取リくみ、ぺんぺんさんの研究本でも執筆しようかしら‥‥。と思わずにはいられない今日この頃です。

    題して、、「ぺんぺん研究ーその人物への一考察」!!!


  2. とくとく | URL | -

    一気に引き込まれる話で少し前に読み終わっていたのですが、なんとコメントしたものかと思っているうちに日が経ってしまいました。
    「波光きらめく果て」は話の内容は重く苦しいのに、読んだ印象は軽やかでまさに海面に差し込む光のような小説でした。
    「人はどんな人でも略奪愛願望を持っている」と何かで読んだことがありますが、主人公羽季子はその欲望に忠実で、そのために自分や周囲の(それも自分にとって大切な人達)が傷つくことがわかっていても自分の求める道をいく姿が印象的でした。
    本来私は不倫は大嫌いなのでこういう話はいくら世間で評判が良くても気持ち悪さしか感じないのですが、なぜか羽季子にはすがすがしさのようなものを感じました。
    それはおそらく、作者の描写のうまさもありますが、羽季子がその不倫で得るもの(があるかはわかりませんが)失うものをわかったうえで、誰かのせいにするのでなく自分で責任をとる、うまく書けませんがそのような覚悟が文章から感じられるからだと思います。
    責任をとれば何をしてもいいわけではありませんが、羽季子の欲望に流されるようでいて一本筋の通ったような生き方は個人的には結構好きです。

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