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連城三紀彦

2008年09月21日 22:47

映像的な小説 「戻り川心中」

 絵画のような文章を書く作家が好きだと述べてきたが、連城三紀彦は絵画的というよりは映像的な文章を書く作家である。絵画が2次元であるとすれば、映像は3次元の世界で、光や影を伴った色彩は、より幻想的、耽美的な表現に向いている。連城三紀彦は妖しいロマンチシズムをもった推理小説作家としてデビューした。早稲田在学中からシナリオ研究に凝り、映画を愛好すること並ならぬものがあった。その傾向は彼の文章に色濃く現れている。

大正時代の天才歌人、苑田岳葉の心中事件を題材にした「戻り川心中」は直木賞の候補にもなったが、日本推理作家協会賞短編賞を受けた。その後の「恋文」で直木賞を受ける。
大正元年苑田は雑誌「くれない」に最初の歌「ひと枝の花をかたみに逝く春を雲間のかげに送る夕月」を発表し、翌年百花余情を載せ、注目を浴びる。しかし結婚生活がうまく行かず、徹底した放蕩生活にはいる。そんな泥沼生活の中で、桂木文緒と出会い、文緒との恋愛に魂の救済を求め、「桂川情歌」という傑作を産み出す。桂木文緒は芝に広大な邸宅をもつ銀行家の次女で20歳。文緒が苑田の歌集を読んで感激し、手紙を出したのが契機で2人は交際を始めた。大正14年、文緒が通っていた音楽学校の講演で京都に赴いた際、2人はしめしあわせて落ち合い、嵐山の宿で心中を図った。しかし発見が早く死に切れなかった。文緒は東京に連れ戻され、二人は引き裂かれることのなった。2度と会うことができなくなった文緒への、やり場のない情熱のはけ口を歌に求め、文緒との出会いから心中に至までの経緯を詠んだ「桂川情歌」を発表。
「わが指の紅に添えたる熱き血を唇にふくみて死にゆきしひと」

嵐山での情死未遂事件の3年後、今度は茨城の千代ガ浦で依田朱子と再び心中事件を起こす。依田朱子は文緒の身代わりであることを知りながら心中をする。水郷の川に小舟をだし、薬を飲んだ。依田朱子は死んだが、苑田は一命をとりとめるも、3日後に引き取られた旅館で再び自殺した。その3日の間に宿で、依田朱子の死の経過と自分一人甦った命を56首の歌に詠み、後に「蘇生」に発表される。これが菖蒲歌集と呼ばれた。

「月が雲に隠れ、闇が深まると、水の流れが意外に早いことがわかる。それまでさほど感じなかった水音が、周りで一斉にわきあがった。このあたりは、ちょうど、無数の州に、川が細流となって砕け、蜘蛛の巣のように入り組む場所で、流れのはやさもあちこちで変わる。岸辺をすべり、渦をまき、淵に澱み、葦にからみ、さまざまな水の音色は、まるで鈴の音くらべでもしているように、闇に奏でられた。天空にも流れがある。隠した月を逆光に浴び、雲の影はさまざまな濃淡に染め分けられ、墨色の切り紙細工を捨てたように、空の流れに漂っていた。風に吹き払われ、星は地平線近くに落ち、人家の燈と区別がつかない。その淡い光の屑は蛍火を追うようである。そんな蛍火の儚さで、自分と朱子の2つの命もまだ、燃え尽きることなく、天と地が一つになり、果てしなく広がった闇の世界に、引っ懸っているのだ」。
心中前の宿で「寝返りをうって朱子の視線を追うと、形ばかりの床の間に、ひびわれた粗末な花器が置かれ、花菖蒲が2本さしてある。白と紫だった。まっすぐに伸びた茎は、まだ生命観に漲って、電灯の冷めた灯に剣のようにしっかり突き刺さっているのに、花は一方が完全に腐り、白い方も花弁がちじみ、枯れかけている。季節の鮮やかさは茎と葉の緑にしかなかった。「別々の色で別々に死んでいくのね」。

しかし話は全く違う方向へ展開していく。これらの心中は偽装であったと言うのだ。最初に村上秋芳に師事した時、苑田は秋芳の若妻、琴江と関係をもち、そのため琴江は離縁され、仏門に入ったのではないかという疑念がでてきた。その琴江の気を引くため、苑田は偽装心中したのではないかというのだ。その偽装のはずが薬で死ねなかった朱子が苑田の計画に反し、自ら手首を切って死んでしまった。そのため苑田も自殺せざるを得なかった。運命のいたずらか、自宅に監禁されていて、そのようなことが起こっているとは知らない文緒も自殺する。つまり苑田は琴江に会いたいがため、心中を装い、気をひこうとした。しかしもくろみが外れてしまった。これが心中事件の結末ではないか。

「花は船に追いつき、船縁を両端から包むようにして先へと流れていく。白と紫をさまざまな模様におりなして闇の川は花衣を纏ったように見えた。眼前を儚い筋をひいて、闇からまた闇へと流れていく花が、私には苑田の遺した何千首という歌の無数の言の葉にも、苑田と情をくみ交わした女たちの命の残り火にも思えた」と映画のラストシーンのような情景で幕を閉じる。

「恋文」という小説はは映像的というよりは男女の揺れる心、優しさ、虚栄、意地、義理、の葛藤を描いた、風景の光と影の映像ではなく、心のうちなる光と影の映像を描き、違う一面を見させくれる小説である。連城三紀彦の短編には愛情溢れたペーソスがある。それらの小説も心を打つ。いずれ紹介したい。

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コメント

  1. とくとく | URL | -

    「戻り川心中」に収められている話はどれも惹き込まれて、読み始めから一気に読んでしまいました。
    ぺんぺんさんが取り上げられている表題作「戻り川心中」は芥川龍之介の地獄変のような話だと思いました。
    ぺんぺんさんがブログには書かれていなかったので、ここでネタバレさせないほうがいいのかもしれませんが、苑田の歌にすべてをかける生き方に地獄変の絵師と共通したものを感じました。
    すばらしい作品を作り上げるために異常としか思えない行動をする、普通の人には理解出来ない情熱のようなものを感じて怖くなった話でした。

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