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立原正秋

2008年11月01日 14:00

花のいのち

宮本輝や福永武彦のような奥深い味のフルコースの料理を食べているとラーメンやカレーライスの様に軽いが完成された一品料理が食べたくなる。その一つが立原正秋である。簡単に列車や飛行機の中で読めて、それでいて読後感もああ美味しかったといえる小説である。この小説は古都鎌倉と奈良の美しい風景を背景に繰り広げられる大人の恋愛である。生きることのうれしさ、歓び、悲しみ、絶望そして強さが古都の静謐なたたずまいの風景を背景に語られる。

窈子は鎌倉と藤沢を結ぶ江の電の鵠沼駅から海岸の方へしばらく歩いたところにあるユーカリの樹の見える屋敷の柚木正宏のもとへ嫁いできた。辺り一帯は高級屋敷町で、どの家の庭にも松の木が豊富であった。窈子の家はゴッシク様式を現代風に簡素化した、穹隆の鋭い屋根を持つ屋敷である。夫は秀才コースを歩いてきた典型的な男で、結婚して3年、娘に恵まれ、人目に幸せな生活を送るが、夫婦の間には何かが欠けていた。それは窈子が、虚ろになる一刻、なにかが欠けている、と思う気持ちとつながっていた。と小説は始まる。

ある日ふと肉屋の小僧が女中に、ここの旦那さんも別宅のお子さんが病気では大変ですねと話しているのを立ち聞いた。別宅に訪ねていくと、正宏との間に3人の子をもうけた女が住んでいた。そのまま鎌倉の実家に帰り、離婚する。離婚にあたり、沼津の別荘をもらい、そこを改装して保養所を始める。鎌倉から沼津に引っ越しするにあたり、瑞泉寺を訪れる。

「細長い谷戸の入り口に寺の山門があり、山門を入ると一本の道が向こうに抜け、道の両側には梅の老木が並んでいる。道の突き当たりは山路で、松林の中に、不格好に敷き詰めた石段がある。そこをのぼり尽くしたところに、北側の山を背にして寺があった。山門から谷戸を経て山門を見下ろす点景といい、それは、自然の利を考えて造られた寺で、そこに足を踏み入れた者は、浄土の幻想と結びついた優しい調和を見いだす。壮大な七堂伽藍とは縁のないひっそりとした場所で浄土が現世に結びついている。といった寺であった。」と紹介されている。私も数度訪れたことがある。まさにこの文章そのもので、大伽藍を持たないな鎌倉のお寺の典型で、小さな渓流のそばの小道を上がっていき、切通しにはたどり着かず、山にぶちあたったところの麓にある。小さな山門と小さな本堂。境内にはいつも花が咲き乱れているといったお寺。ぜひ一度訪れてみて雰囲気を味わうといい。

保養所を開くと兄の勤めている美術関係の出版社の関係者が利用してくれる。ある日兄が織部周二をともなってやってきた。そのシーンは「背の高い40年輩の男が、こちらに横顔を見せて立っていた。疎らにたっている松林の向こうに蒼い海があり、庭の新緑がその人の顔をそめていたこのときの光景を、窈子は後まで記憶にとどめることになった。」との運命的な出会いをする。
織部は美術史家で奈良のお寺や仏像を扱った「大和路」の執筆のため半月間保養所に滞在する。織部は5年前に妻を亡くし独り身でもある。「窈子は、いま自分のなかでは優しい感情が溢れており、そして、美しいものへの期待で胸がふくれているのを知った。それは、夢想ばかりしていた娘時代の心情に似ていたが、しかしどこかですこしばかり違っていた。娘時代の夢想は漠としており対象がなかったが、いまははっきりした対象が目の前にあった。」と恋心を抱く。織部も今の彼の心を映す奈良の秋篠寺の技芸点像の絵と中唐の詩人耿韋の「秋日」という詩を帰京時に窈子に贈る。
「返照閭巷に入る、憂うるも誰と共にか語らん、古道人行まれに、秋風禾黍を動かす」その意味は夕日の照り返しが村里にさしこんで、あたりをやわらかく包んでいる。私の心には憂いがいっぱい湧いてくるが、それを慰め合う相手もいない。古い道には行き交う人もまれで、ただ秋風が稲やきびの穂を動かしているだけであるというもので、そこには綾部が人生に行き暮れて、しかし自分の生命感を充溢する何かを求めずにはいられない精神のうずきが表現されていた。また「この心の憂いに比べはなんと技芸天は艶めいていることか、技芸天の優しさに心の寂寥がいやされる」との表現をした絵は愛の告白に他ならないと感じる。

綾部が奈良に取材にいくのを窈子も追いかけ、秋篠寺で再会し、美しい古都でふたりの愛が育まれる。いっときの新婚生活もつかの間、運命の残酷が突然二人に降りかかる。至福の愛を成就したふたりに、突然綾部が取材中に薬師寺の三重塔の中層の回廊から落ち亡くなるという不幸が襲う。

綾部の没後、彼の子を宿した窈子は、夫との思い出を辿って、再度古都を訪れる。「当麻寺中之坊の築地塀には冬の淡い陽がさしていた。秋にここにきたときには、築地塀にさしている陽射しを美しいと感じたが、広い境内には人影ひとつなく、寂としていた。あれから半年もたっていないのに、窈子は移ろうものを感じた。大和路は蕭々と枯れていた。大和造りの独特の屋根と白壁の農家は寒々と点在していた。やがて中宮寺につき、窈子は寒寂な境内に入った。慈光院にまわり秋篠寺に最後に向かう。「秋日」の詩をくちづさみながら、境内に入る。「秋篠寺は眼前に静かに建っていた。金堂の白壁が夕陽に照り映え、そこに冷たい風がかすかに吹き付けていた、窈子は境内に立ち尽くして金堂を眺めた。中に鎮座している技芸天像には会わなくてもよかった。この寺には、境内にも、寺に至る古道にも、林にも、織部の思い出が残っていた。」
「窈子は強くならなければと思った。これから子供一人を抱えて生きていく若い女には困難が待ち受けているかもしれないが強く生きていこうと思った。」で小説は終わる。
晩秋の一日、蒼天に葉を落とした柿の実が映える大和路を訪ねてみませんか。

人生そのものが花なのであり、花の命は、つかの間の命の儚さを象徴するだけでなく、決してすたれることのない艶美な生命の顕現なのだということを読者に告げているようでもある。

追記
学生時代立原正秋は日本的な落ち着いたたたずまいの美しさを描く作家としてよく読んだものだ。代表作には薪能や冬の旅がある。こんなに今まで読んできた作家なのに「金胤奎」として韓国・安東郡の禅寺・鳳停寺に韓国人の父と日本人の母の間に生まれた韓国人だったとは全く知らなかった。孤独な苦闘の軌跡。韓国人の痕跡を消そうとし、生れながらの日本人以上に日本人になろうとした人間・立原正秋の哀しいまでに必死な生と死を分かってみて、やっと作品が理解できたきがする。もう一度作品を読み返してみたい。享年55歳。鎌倉瑞泉寺に眠る。

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コメント

  1. くりくり | URL | -

    當麻寺と秋篠寺、そして瑞泉寺

    立原正秋といえば、「春の鐘」というのを読んだことがあります。妻の不貞で心に傷を抱く奈良在住の美術館長が、信楽の里で、嫁ぎ先から帰されたという悲しみを抱く女性と出会い、恋が始まるというような話だったかと思います。この話も、今回ぺんぺん様が紹介して下さった、「花のいのち」同様、奈良の美しい事物に彩られた大人の恋愛物語でした。その主人公達の綾なす恋愛よりは、私としては、溢れるように描かれる四季の花々や木々、何より、次から次へと登場する美しい焼きものに心惹かれました。立原という作家の美に対する思い入れに触れることができた、そんな作品だったと思います。
    さて、「花のいのち」に登場する「當麻寺」と「秋篠寺」は、お寺参り好き?な、このくりくりがはずすわけがありません。當麻寺は、三重の塔が西と東に対をなして佇んでいる姿が良いのです。東西両塔が二基とも現存しているのは全国で唯一ここだけなのです。で、白鳳、天平の昔からこの地にひっそりと佇んでいるわけです。ここは、交通の便があまり良いとはいえないので、ありがたいことに、奈良の都の大伽藍のごとく、人が群れをなして訪ねてこないところがまた良いのです。したがって1300年前の昔に想いを馳せることがここなら簡単にできてしまうわけです。さて、ひかえし二上山は、生と死の結界であるらしい。大和側が浄土、向こう側の河内が現世?と勝手に解釈しているのだけれど、、、。牡丹の花が咲き乱れる頃になれば、より一層、浄土に近くなるのでは、、、。
    さて、もう一つの舞台、秋篠寺。そして技芸天立像。「あきしの」という、えもいわれぬ美しい響き、そして、美術の教科書で見た技芸天に一目惚れして訪ねたわけです。かの有名な技芸天は、薄暗い本堂の中、ボーッした光に照らされ、そのお姿がぼんやりとした闇の中に浮かび上がっているという感じでした。お顔の表情がまたなんとも幻想的なのです。それと、苔のお庭がまた美しい。私が行くところ、いつでもどこでも雨がつきもの。その雨のおかげで苔の緑が深まり、さらに輝きが増し、本当に見事な美しさでした。
    で、鎌倉の瑞泉寺。こちらは、さすがに一度も訪れたことはないのですが、奈良の當麻寺、秋篠寺、そして、鎌倉、瑞泉寺。と、美を愛する立原氏によって、その舞台に選ばれたわけですから、さぞかし趣深いお寺であることと思います。かつて憧れの鎌倉を訪れ、いくつかのお寺を巡ったことがあるのですが、京都や奈良のお寺とは随分その趣が違うことに、少しとまどいを感じました。武士の質実剛健さがあまりに前に出すぎていて、いわゆる侘びとも違う、ただの簡素さ?ばかりが目につき、実はあまり良い印象を持てずに帰ってきてしまったのです。機会があれば、是非、ぺんぺん様お薦めの、瑞泉寺、訪ねてみたいと思います。鎌倉のお寺に対するイメージを払拭してくれることを願いつつ、、、、。

  2. とくとく | URL | -

    またまた日がたってしまいましたが、花のいのちを読ませていただきました。
    ぺんぺんさんはカレーやラーメンとおっしゃっていましたが、私の印象はカシスシャーベットでした。
    瑞々しくて繊細な文章がシャーベットそのものだと思いました。
    私は先日瑞泉寺を訪れたばかりだったので、瑞泉寺のシーンでは情景が鮮やかによみがえってきました。
    立原正秋が見事に瑞泉寺の雰囲気を再現しているのに驚き、きっと他の寺もこの本の通りのところなのだろうと行ってみたくなりました。
    これらの美しい古都の描写がよりいっそう、最後の窈子の悲しみを引き立てている気がしました。
    愛する人を失った窈子が毎日何もせずにぼーっと過ごしている、あまりのショックに何をすることも出来なくなる様子がリアルに描かれていて、心を打ちました。
    また、そんな彼女に子供をおろして再婚するよう進める周囲の人達に窈子が怒るところには、彼女のこれからの人生に苦労が多いであろうこと、しかし彼女がそれを乗り越えて行けるだけの芯の強さを持つ女性であることが示されているように思えました。
    完全に癒されることはないでしょうが、月日がたって彼女がこの悲しみを乗り越えたとき、どのような女性になっているかをぜひ見てみたいと思いました。

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