スポンサーサイト

--年--月--日 --:--

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

一つの発明が歴史を変える

2008年11月06日 16:00

下瀬火薬と伊集院信管

司馬遼太郎著「坂の上の雲」のフアンは東郷元帥率いる連合艦隊がバルチック艦隊を殲滅出来た一因に下瀬火薬があると教わった。

現在の火薬の主体はTNT (2,4,6-trinitrotoluene)であるが、明治時代にはその原料のトルエンが得られず、石炭から造られる石炭酸(フェノール)を材料とし、それをニトロ化したTNP (trinitrophenol)が火薬として使われた。別名ピクリン酸と呼ばれる。ピクリン酸は金属腐食性が強く、すぐに金属と反応してしまうため砲弾につめることができなかった。海軍技師下瀬雅允はその点を解決するため、砲弾の内側に漆を塗り、さらにワックスをもってコートした中にピクリン酸をつめ、このピクリン酸の欠点を克服した。炸薬として砲弾、魚雷、機雷、爆雷に用いられた。下瀬火薬と呼ばれ、日露戦争に使われたことで有名である。敵船体を貫通する能力こそ低かったが、破壊力の高さと化学反応性の高さから、敵兵と艤装に大きな打撃を与えた。明治38年5月27日の日本海海戦でロシアのバルチック艦隊を粉砕できた一因は下瀬火薬である。「下瀬火薬は黒煙を発生せず、速射が可能であり、帝政ロシア海軍は黒色火薬を用い視界が遮られ、速射が不可能であった」とは坂の上の雲でも述べられているが、実際は下瀬火薬は砲弾発射の火薬には用いられていない。発射薬にはコルダイト(無煙火薬:ニトログリセリンとニトロセルロースに安定剤のワセリンを混ぜたもの)が用いられた。ので実際は違うらしい。
黒色火薬は可燃物として木炭と硫黄それに酸化剤として硝石(硝酸カリウム)の混合物で火薬としては最も古く、現在でも花火などに使われている。小さい頃この黒色火薬を作り、アルミでできた鉛筆のキャップにつめてロケットとして飛ばして遊んだ。

日露戦争は開国からわずか50年足らず東洋の新興国日本が、大国ロシアを破ったことで、ヨーロッパ列強諸国にも大きな衝撃を与えた。下瀬火薬はその日露戦争における日本の主要な勝因の一つにあげられている。下瀬火薬は優秀な火薬であるものの取り扱いが難しいという欠点もある。旗艦三笠が1905年に佐世保に帰港した際、艦内弾薬庫の下瀬火薬が誘爆し爆沈、着底する事故を起こした。この事故での死者は699人であり日本海海戦の日本軍死者総数110人を遥かに上回る大惨事となった。

一方伊集院信管は伊集院五郎海軍大佐が考案した信管で明治33年に採用された。砲弾が飛んでいるうちに、尾部のネジが回転して安全装置をはずすのが特徴で、日露戦争で広く使用された。非常に敏感であり、砲弾がどこに命中しても爆発したと言われている。下瀬火薬と伊集院信管があってこそ日露戦争に勝利できたともいえる。一つの科学の進歩が歴史を動かし、国の興廃を決定する。現代の戦争は科学的裏付けがあってこそ、勝敗がきまる。ステルス戦闘機やミサイルには槍や鉄砲では敵わないし、闇雲に精神論だけで特攻をやるのは具の骨頂である。

スポンサーサイト


コメント

    コメントの投稿

    (コメント編集・削除に必要)
    (管理者にだけ表示を許可する)

    トラックバック

    この記事のトラックバックURL
    http://explore525.blog45.fc2.com/tb.php/95-cd0a8188
    この記事へのトラックバック


    最近の記事


    上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。