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何気ない日常の風景

2015年03月17日 12:51


春間近の六甲山

夜来のみぞれ混じりの冷たい雨も明け方には上がり、雲の合間から陽光が漏れ出て来た。気温はまだ低いものの、今朝の日差しの温もりには春の訪れの近さが感じられる。

六甲の山々が海に急激に落ち込んでいるため、神戸の街は猫の額程度の狭い海岸沿いの土地に開け、市街地は発展に伴って斜面に這いつくばるように、六甲山の上へ、上へと伸びてきた。

狭くて細長い海岸沿いの平地を縫うように、3つの電鉄会社がお互いに背中をくっつけんばかりに並走している。海岸沿いに移動するには至極便利だが、山手の方に移動するとなると否応無しに車か徒歩で坂道を上がらなければならない。坂道も始めは緩やかだが、次第に傾斜は急になり、最後は急峻な六甲山の登山道へとつながる。

 毎朝六甲山を仰ぎ見ながら、途中から傾斜が急になる坂道を車で上がって行く。今の季節、六甲の山は日に日に褐色の肌に、茜色が交じった黄色や薄緑の服を着て、華やかな装いを呈してくる。そして薄靄に煙る山は菫色に、日差しを浴びる山は萌黄色にと、刻々と装いを変える。目を上に向けると今日は遮る雲ひとつない、春を待ちわびる六甲山がそこにある。

 この季節の山の樹々は芽吹くと、たちまち若葉を発育させ、あっという間に濃緑の葉を繁茂する枝へと変わっていく。しかし今はまだ、春浅く生命の喜びを謳歌する季節の到来を待ち、春の栄光に備えての序章を演奏している。

 平凡な日常に埋没している間に、春は忍び寄り、駆け抜けて行き、すぐに暑い夏となる。

無惨な楠

2010年04月07日 17:32

 いつまでも寒い風が吹き、咲きかけた桜は雨に打たれて寒々しく震え、蕾を堅く閉ざしてしまった。そんな折、日本を5日間留守にして帰って来ると、前の日迄小雪が舞ったという神戸にも、一気に暖かな春の穏やかな風が吹き、耐えていた桜は一斉に待ちかねた様に開花し、いまや満開。ああもう4月だ。入学式や入社式。新人達が真新しいスーツに着飾って、希望と不安で胸を一杯にする季節。静の冬から動の春へ。全ての生物が活動を始める時。花咲き鳥歌う春、命の躍動する春。

春の雨上がりの朝。久しぶりに神戸駅から楠の坂道を歩いてきた。湊川神社の塀の中の楠は萌葱色の若葉を茂らせすっかりと春の装いに衣替えしていた。しかし坂道に沿って植えてある楠の木は見るも無惨に枝葉が切られ、丸裸。冬に枝を剪定して、樹々の負担を軽くするというのはよくやられる事は知っているが、こうも大きな枝まで切り落とす事はない。楠達がその痛手から立ち直り、若葉を繁茂させるには随分の月日が必要であろう。これでは楠の精霊も閉じ込められて、春の新しい生命を謳歌し乱舞する事もできない。

三月は忙しくあっという間に過ぎてしまった。ふと気づくともう4月。慌ただしく生活を送っていると周りが見えない。自然の移り変わりに目をやる余裕が無い。そんな忙しい研究生活を続け、やっとこのところ心に余裕というか、あきらめというかが出て来て、自然の移り変わりに目をやるようになってきた。

「心ここにあらざれば、
視れども見えず、
聴けども聞こえず、
食らえどもその味を知らず」

 そうすると今まで見えなかった四季によって刻々と変わる山の端の色づきをじっくり眺められるようになってきた。いまの神戸の山は萌葱色というか浅葱色というかの黄緑に覆われている。でもこの色はたちまち緑となり、濃い苔色へと変わっていく。この時期、山の所々に霞がかかったように白いピンクがかった樹があるのが見られる。多分桜の花であろうと想像はつくが、遠くからでは定かでない。山のあちこちの新緑の黄緑の中に、薄紅が浮かび上がっている様はのどかな春を象徴している。心の緩む春の到来である。

おお関西

2009年08月13日 12:32

関西気質

東京から神戸にやって来て2年が経ってしまった。月日の経つのは速い、光陰矢の如し。李白曰く「光陰は百代の過客なり 而して浮き世は夢の如し」とさらに芭蕉に続く「月日は百代の過客にして行き交う年もまた旅人なり」。それを嘆いて小野小町は「花の色は移りにけりないたずらに 我が身世にふるながめせしまに」また在原業平は「「月やあらん花や昔のはなならん我が身ひとつはもとの身にして」と。

なんだか高尚な書き出しになってしまったが今日のお話は関西についての印象である。

関西に来て、カルチャーショックはまずエスカレーターの右側立ち。なんすんねん。東京は左。どうしてこうなったん。名古屋は左。どこから右なんや?滋賀県がその境?どっちでもええねん。どっちかにしてくれっていってんねん。

次はなんであんなに語尾を延ばすねん。電話での応対。ありがとうございますーう。おせわになりますーう。ええいじれったい。さっさか言えよ。江戸っ子じゃあないけど気が短いのです。

3番目。赤信号無視。危ないやんケー。赤信号でもどんどん渡って来る。これにはすぐに慣れた。慣れてしまえば自分も赤信号無視。待たなくていいがな。信号に引っかかってもイライラせずにいけるがな。自分の性に合ってるんちゃう。

4番目。電車の乗り降り。待ってくれゃ。降りるのが優先や。降ろしていな。降り終わらなくて、続々と乗って来る。降りる人と乗る人のガチンコ勝負。入り口に立たんといて。邪魔なんや。奥に入りーな。奥はガラガラ。入れんがな。

5番目。少しは格好つけろや、見えをはれや。武士は食わねど高楊枝だろうが。なんぼのもんやなんてなんでも金に換算するなよ。清く,貧しく,美しくという生き方を知らないのか?

6番目。訪問販売やキャッチセールスがめっちゃ少ない。関西のおばちゃんはうるさい。好奇心が強い。どんどん質問しよる。「勘弁してーな。俺たち、おれおれ詐欺やキャッチセールスが反対にやり込められてどうするんや。だから関西はいやや」と詐欺師達はつぶやく。だまされ易いこの私にとって、その恩恵にあずかれて嬉しい。なにしろ街を歩いていて声をかけられる回数が少ない。渋谷のセンター街でも歩いてみろ。怪しげなお兄さん、お姉さんにしょっちゅう声かけられる。これでだまされ不愉快になる事もない。関西ってめっちゃいいとこや。変な奴が訪ねてこない。新聞の押し売りもNHKも訪ねてこない。マンションの押し売り電話もない。
東京にいる時にはよくだまされたもんや。人がいいのか馬鹿なのか親子ずれの珍味売りの訪問販売にはころっとだまされた。子供がいかにも貧乏で何も食べてないふりをするんや。子供を出だしに使うなんてひどいやないか。

関西のおばちゃんは気さく、すぐに話しかけてくる。人情味溢れてる。しかし話が長い。今急いでると言うてるのに?しかし「まあ兄さん聞いていな」と人の鼻の下をくすぐるのもうまい。結局遅刻。おお関西。

などなどいいくらでも出て来るが余り言うと関西に住めなくなるのでこれくらいに。

淡路島かよう千鳥

2009年07月23日 13:12

源氏の配所、須磨

「淡路島かよう千鳥の鳴く声に幾夜寝覚めぬ須磨の関守」は淡路島から渡ってくる千鳥の物悲しい鳴き声で幾度目覚めたことかと須磨の関守の心情を歌った源兼昌(平安末期の歌人)の和歌で百人一首にも選ばれている。

須磨は源氏が流され、蟄居し、明石の君に会った場所。その当時の須磨は侘しい、うらぶれたといった感じの寒村で源氏物語にも
「おはすべき所は、行平の中納言の、「藻塩垂れつつ」侘びける家居近きわたりなりけり。海づらはやや入りて、あはれにすごげなる山中なり」とある。
更に「須磨には、いとど心尽くしの秋風に、海はすこし遠けれど、行平中納言の、「関吹き越ゆる」と言ひけむ浦波、夜々はげにいと近く聞こえて、またなくあはれなるものは、かかる所の秋なりけり」や「御前にいと人少なにて、うち休みわたれるに、一人目を覚まして、枕をそばだてて四方の嵐を聞きたまふに、波ただここもとに立ちくる心地して、涙落つともおぼえぬに、枕浮くばかりになりにけり。琴をすこしかき鳴らしたまへるが、我ながらいとすごう聞こゆれば、弾きさしたまひて、「恋ひわびて泣く音にまがふ浦波は思ふ方より風や吹くらむ」と須磨の生活の侘しさがうかがえる。

さらに続いて「月いと明うさし入りて、はかなき旅の御座所、奥まで隈なし。床の上に夜深き空も見ゆ。入り方の月影、すごく見ゆるに、
 「ただ是れ西に行くなり」
 と、ひとりごちたまて、
 「いづ方の雲路に我も迷ひなむ
  月の見るらむことも恥づかし」
 とひとりごちたまひて、例のまどろまれぬ暁の空に、千鳥いとあはれに鳴く。
 「友千鳥諸声に鳴く暁は
 ひとり寝覚の床も頼もし」となる。
この源氏物語の一節があって冒頭の「淡路島かよう千鳥」の和歌が詠まれた。
かくに当時の須磨は物寂しい場所でそこに西国への出入りを監視する関所があった。

淡路島
須磨にまでくると淡路島は手に取るように真近に見える。昔は須磨から淡路島に船で渡った。須磨―淡路島ルートは古来より阿波の国(徳島)へいく交通の要所で、淡路島は都の出来事も早く伝わり、今と異なり、想像以上に開けた地であった。
今では明石大橋ができ、車で簡単に行けるため四国への通り道になり、忘れ去られかけている感がある。

秋田からのお客を連れて淡路島の名所,数カ所と明石海峡を訪れた。
①神戸―淡路大震災の爪痕の野島断層。
大きな風車が駐車場の真上にありぶんぶんと風を切りながら廻っていた。当日は強風の荒れ模様の天候で、今にも羽が折れて飛んでくるのではないかと恐怖にかられた。この断層は一万年に一回の頻度でずれているらしく隆起と横ずれの両方が起こると家や立ち木や塀がどんなことになるのかがよくわかる。科学は進んだとはいえ、自然の力は未だそれを凌駕するものがある。科学者は真摯に自然と向き合う必要がある。

②あわじはなさじき。
ここのお花畑はいい。丘の上に作られたお花畑は壮大で、遠くに海と大阪。紀伊が臨まれる。海が無ければ富良野、美瑛と間違えそうなくらい壮大。曇天で時折スコールのような雨が降ってくる。厚い雲の合間から遠く大阪の地が臨まれる。

③明石海峡
岩屋からみた須磨と帰りのたこフェリーからの風景
のんびりと岩屋から明石まで明石海峡をフェリーで帰る。明石大橋の真下を通って明石までいく20分間の船旅。素朴。暗雲たれ込めた空を割ってかかる明石海峡と淡路島。

写真 1風力発電 2 断層 3 地震あとの台所 4 はなさじき1 5 はなさじき2 6 はなさじき3 7 はなさじき4 8はなさじき5  9明石を望む 10 須磨がみえる 11 明石大橋 12暗雲立ちこめる明石海峡

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Dream, Dream, Dream

2009年06月13日 16:25

夢の又夢

夢をみた。多分明け方だと思う。しっかりと内容を覚えているから。港に白い客船が数隻係留されている。防波堤の向こうは、晴れているのに大きな浪がうねっている。風が妙にきつい。大きな浪のうねりの合間にクジラの尻尾が見える。目を転じて左手をみれば、島があって、そこの造船所のドックには3隻の大型客船が係留されている。海峡に面して、島の突端に白亜の洋館がみえる。屋根はモスグリーンで塗られ、尖塔が海峡を睥睨している。
島の山の頂きには大きな枝を四方にはった樹がみえる。となりにいた誰かが言った。「よく学校を抜け出して、あのような大きな樹の下の秘密の基地で、よくホーン漂流記(こんな本はない)や15少年漂流記を読んだなあ」夢の中の自分が言う。「今だってやろうと思えばできるじゃあない。少年の頃の夢の実現が」見てもないホーン岬の風景が夢で出てきたのは昔「impossible voyage」という本を読んだ時の、印象が強力であったためかも、マゼラン海峡の方がもっとすごく感じたんだけど。いずれにしても夢の中、そんなに筋が通っているはずもない。
ホーン岬は南米最南端の岬でドレーク海峡に面している。岬を通過する経線をもって太平洋と大西洋の界とする。それより南は南極大陸だ。
少し北にあがるとマゼラン海峡がある。 この海峡は大西洋と太平洋の潮位の差により、いつも海峡は潮が渦巻き、幾多の暗礁、狭いが上に流れも速い。天候はいつも荒れていて、屈指の航海の難所。大西洋と太平洋を結ぶ重要な航路であるが、難所故に南のドレーク海峡を大回りする船も多かった。マゼラン海峡を自ら操縦して通った船長は船乗り仲間からは畏敬の念で見られ、相手が司令官でも足を机の上に投げ出したまま、話してもいいとさえ言われる。今ではほとんどがパナマ運河を通る。



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