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逆賊と言われた明智光秀の墓

2015年12月15日 14:28

明智家の菩提寺、西教寺

  明智光秀は主君織田信長を本能寺の変で暗殺し天下を掌握しかかったが、毛利攻めからとって返した豊臣秀吉に山崎の戦いで敗れあえなく自害。三日天下に終わった。
光秀がなぜ謀反に走ったのかの説には様々あるが、それはさておいて、逆賊として扱われた光秀の遺体は死後どうなったのか?墓はあるのかなど疑問が多くある。
 光秀は山崎の合戦で敗れ、近江坂本城に逃げ帰る途中、伏見区醍醐の小栗栖にさしかかった時、落ち武者狩りの百姓に竹やりで刺され、傷が重く自害したとされる(現在小栗栖中学校が立っている)。享年55歳。首は丹波亀山の谷性寺に葬られたとも(光秀首塚がある)、坂本の明智の菩提寺西教寺に葬られたともいわれ定かではない。

 明智光秀の本拠地とも言える近江の坂本にある西教寺には明智一族の墓があり、正室煕子の墓もある。また高野山の奥の院にも明智光秀の墓所が伊達政宗や石田三成の墓と並んである。このように多くの墓が作られているがいずれに本物の遺体が埋葬されているのであろうか?

西教寺は明智一族の所領の城、坂本城のすぐそばにあり、明智光秀にとってなじみの深いお寺である。
西教寺は天台宗真盛宗の総本山であり、聖徳太子が創建し、のちに天智天皇から西教寺の勅願を賜わり、平安時代に延暦寺中興の祖良源が、続いて横川の源信が庵を結んで修行道場としたと伝えられている。その後、長らく荒廃していたが、室町時代末期に真盛上人が入寺して、不断念仏の根本道場として再興した。 以来、西教寺は戒律(かいりつ)・念仏(ねんぶつ)の道場となり、現在に至るまで1日も絶えることなく念仏が唱え続けられている。

  この西教寺は明智家の菩提寺なので遺体が葬られたとしても不思議はない。しかし逆賊とされていた光秀がすんなりと菩提寺に葬られるだろうか?
  織田信長が比叡山を中心に近江国の寺院を焼き討ちした際にこの寺も焼かれてしまったが、その後明智光秀が坂本城を築き、坂本城主として坂本の復興に尽力し、この西教寺の大本坊を増築し、仮本堂を完成させて現在の本尊を迎えた。光秀との由縁はふかく、1573年2月、光秀が堅田城に拠った本願寺光佐を討った時、戦死者18名の菩提のため、武者、中間のへだてなく供養米を寄進したと言われている。また早逝した内室(凞子[ひろこ])の供養もされ、墓が安置されている。
天正10年(1582)本能寺の変のあと、山崎の合戦に敗れて非業の最期をとげた時、光秀一族とともに当寺に葬られたと言われている。
内室の墓は本物であるようなのだが、光秀の墓については本物であると断言されてない。光秀の墓がある西教寺の記録によると、光秀のものとして首実検に出された首級は3体あったが、そのいずれも顔面の皮がすべて剥がされていたという。光秀のものとして実検された首級が暑さで著しく腐敗していたことは他の多くの史料にも記されている。実検の後、光秀の首級は京都の粟田口にさらされたという。
西教寺は光秀本人の首である事を確認してこの墓に葬った訳ではないので、光秀の墓であるとは断言できない。
いずれにしても今日、明智一族は西教寺という深淵なる自然に佇む古刹に葬られ、毎日欠かすこともない念仏によって弔われている。

参考写真1:西教寺門 2:参道 3:西教寺由来 4:一族の墓 5:明智夫婦




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日本初の幻のジェット戦闘機

2015年11月30日 12:57

ジェット機の開発競争

  先日、国産初のジェット旅客機、MRJ(Mitsubishi Regional Jet)が飛んだ勇姿を見て、感慨深く思った人は少なくないであろう。
しかし、国産初のジェット機は、すでに70年前の大戦末期に飛んでいた。

 先の大戦の戦闘機といえば、「風立ちぬ」の主人公でもあった三菱重工の堀越二郎設計の零式艦上戦闘機(ゼロ戦)が有名だが、日本が悪化した戦局の起死回生を図るため、密かにジェット機を製造していたことをご存知だろうか? その名は中島飛行機の特殊戦闘ジェット「橘花(きっか)」。

 戦局悪く、敗戦が濃厚になってきた1944年、戦局を打開するため、海軍は中島飛行機に今までのエンジンとは全く概念の異なる、ジェットエンジン推進の特殊飛行機「皇国2号兵器」の開発を指令した。

海軍の開発指示を受けた中島では、松村健一技師を主務とし、エンジンの開発には山田為治技師をあてて開発に取り組んだ。機体設計については比較的順調に進めることができたが、ジェットエンジンの開発は困難を極めた。開発を進めていた遠心式ターボジェットのTR10(後のネ10)は問題が多く、作業は一向に捗らなかった。

そこで、ドイツで開発されていたジェット機、メッサーシュミット Me 262のエンジン(BMW製エンジン「BMW003」)を使うことに方向転換した。日本側はMe 262の設計図を手に入れる代わりに、ドイツ側には哨戒艇用に日本が開発した小型ボートのデイーゼルエンジンの設計図を供与するという形で合意した。

しかしすでにその当時、制海権はアメリカを始めとする連合軍が握っていたため、秘密裏にドイツの占領下のフランスのツーロン港から、日本とドイツの潜水艦で設計図を運んだ。輸送に用いられた潜水艦はお互い1隻のみであり、ドイツの潜水艦は1944年末頃に日本占領下のインドネシア(オランダ領東インド)のバリクパパンに到達、上陸の後に日本海軍士官と情報交換した。日本海軍潜水艦はバシー海峡でアメリカ海軍潜水艦の攻撃を受け沈没。
ドイツから得たMe 262に関する情報は、潜水艦が撃沈されたためにシンガポールで零式輸送機に乗り換えて帰国した巌谷中佐が持ち出したごく一部の資料を除いて失われてしまい、肝心な機体部分やエンジンの心臓部分の設計図が存在せず、結果的に大部分が日本独自の開発になった。

 中島飛行機が機体を、石川島重工業(現IHI) がエンジンを設計した。日本全土で敵機の空襲が本格化する中、工場を焼かれては設計室を移しながら、わずか1年弱で開発した。石川島のジェットエンジンは「ネ20」(ネは燃焼噴射推進装置の頭文字)。以前、陸軍や海軍が独自開発しようとしていたジェットエンジンに近いものがあった。

  本機の外観はMe 262に似ているが、それよりサイズが一回り小さく(当初搭載予定のネ12Bジェットエンジンの推力が小さいため、機体を小型軽量にする必要があった)、Me 262の後退翼と異なり、テーパー翼を採用するなど、上記のような事情により実際にはほとんど独自設計であった。

初飛行は広島に原子爆弾が落とされた1945年8月7日に千葉・木更津にある海軍の飛行場で、松根油(松から採った油)を含む低質油で行なわれ、12分間の飛行に成功する。これが日本初のジェット機「橘花」が生まれた瞬間だった。それから8日後に終戦を迎える。

 終戦前には数十機程度が量産状態に入っており、その内の数機は完成間近であったが、終戦時に完成していた機体は試作の2機のみであった。なお完成していた2機は終戦直後に終戦に悲観した工場作業員によって操縦席付近が破壊されたものの、研究用に接収しようとしたアメリカ軍により修理が命ぜられた。
修理完了後その2機はアメリカ軍が接収し、その内の1機はメリーランド州のパタクセント・リバー海軍基地を経てスミソニアン航空宇宙博物館付属のポール・E・ガーバー維持・復元・保管施設に保管されていたが、現在同博物館別館の復元ハンガーに修復中状態で展示されている。その説明文には最高速度696キロ・着陸速度148キロ・離陸滑走距離は500キロの爆装をした全備状態時、離陸用補助ロケット使用で350メートルと書かれている(Wikipedia) 。

  戦後、米国やソ連は、ドイツからロッケトやジェット戦闘機の技術を採り入れ、航空大国の地位を確立していく。日本はといえば、ロケットやジェット機どころか飛行機の製造そのものも禁止され、長いブランクに入る。そして1952年春、講和条約が締結し、やっと飛行機の製造ができるようになった。しかしこの間のブランクで飛行機製造技術の遺伝子の継承がされず、また一からのやり直しとなり、大きなハンデイになった。

 国産の輸送機、YS−11が作られ、初飛行したのは1962年であった。しかしこの時使用したエンジンはイギリス製ロールス・ロイス2660馬力ターボプロップの双発機で、国産エンジンではなかった。その後は、アメリカのボーイングの傘下でのエンジン製造や、国際共同開発でのターボファンエンジンの開発を一部行ってきた。

そしてやっと純国産のジェットエンジンを積む旅客機 MRJの開発にこぎつけ、初飛行が先日行われた。
また国産初の商業用ロケットの打ち上げにも成功し、長い道のりを経てやっと宇宙、航空産業の第一歩を乗り出すことができた。
今後、技術的にも経済的にも大きな波及効果の見込める宇宙、航空産業が発展し、日本お家芸の自動車に代わる日が来るのも遠くないことであろう。

大腸ガンの特効薬にビタミン C?

2015年11月17日 12:25

ポーリングの予言が当たっていた?

Vitamin Cといえば化学結合やたんぱく質の構造解明で1954年にノーベル化学賞をもらったLinus Paulingが思い出される。また核実験反対を唱え1962年のノーベル平和賞も受賞している。
ポーリングは後年、vitamin Cの研究を行い、様々な病気に効くというvitamin C万能説を唱え、風邪にも癌にも効くと報告していた。

しかし1970年終わりから1080年初頭にかけてMayo Clinicで錠剤投与(経口投与)による癌の大規模な臨床試験が行われた。その結果、効果が認められなかったことから、急速にvitamin C フィーバーは冷めていった。

しかしごく最近、vitamin Cの大量投与が大腸がんに効果があるとの動物実験での結果が出され、その理論的根拠も明らかにされた。
Jihye Yunは数年前にJohns Hopkins大学の大学院生であった時に、KRAS や BRAF (Ras familyのガン遺伝子)の変異で起こさせた大腸がんはGLUT1 というグルコースを輸送するたんぱく質の発現が亢進していることを発見した(Science 18, p1555, 2009)。GLUT1はグルコースだけではなくvitamin Cの酸化型であるdehydroascorbic acid (DHA)も細胞内へと輸送する。

そのYunが今度はLewis Cantley (PI 3-kinaseの発見者)研究室のポスドクとなり、vitamin CがKRASやBRAFの変異で癌化している大腸がんに効くという論文を出した。ちょっと医学、生物学に馴染みのない人には難しいかもしれないがその論文を紹介しよう。
Jihye Yun, Lewis C. Cantley, et.al.
「Vitamin C selectively kills KRAS and BRAF mutant colorectal cancer cells by targeting GAPDH」Science Reports 5 November 2015 on line
(解説:Vitamin C could target some common cancers, Science, 350, 619, 2015)

KRASやBRAFは人の大腸ガンで各々40 % 及び50%のが変異見られる最大のがん遺伝子である。BRAFはKRASの直接のターゲットとして下流のMAP kinaseを活性化し細胞増殖作用を起こすことがすでにわかっている。
KRASやBRAFの変異した大腸がんではグルコースを輸送するGLUT1が上昇しており、グルコースの取り込みが増加していた。Vitamin Cはsodium vitamin C cotranspoter (SVCTs)によって細胞内へと運ばれるが、酸化されたvitamin Cのdehydroascorbate (DAH)はGLUT1によって細胞内へと運ばれる。細胞内へ入ったDHAはglutathione (GSH), thioredoxin, NADPHを使ってvitamin Cへと還元される。
実際、KRASやBRAFの変異した大腸がん細胞でのvitamin Cの取り込みは明らかに上昇していて、vitamin Cによりがん細胞の増殖やcolony formationは著しく阻害された。その際、生理的なグルコース濃度(5-10 mM)の条件下で、10 mMのvitamin Cで十分な効果が得られたという。
しかしGLUT1を過剰発現させてもvitamin Cの取り込みは増すが、vitamin Cへのsensitivityは増さないことから、vitamin Cはoncogeneによって引き起こされる代謝変化に関わる酵素のどれかに効いているのであろうと推察された。
次に、実際にマウスで大腸がんへの効果を調べた。Vitamin CはKRASやBRAF変異で生じた大腸がんには著明な効果があったが、その他の原因で生じた大腸がんには効かなかった。
では「どうしてvitamin CがKRASやBRAF変異を持つがんに選択的に毒性を示すのか」という作用機序を明らかにするためメタボローム解析をした。
Vitamin Cで処置していない変異細胞では解糖系やペントース経路の代謝産物が増加したが、vitamin C投与でglyceraldehyde 3-phosphate dehydrogenase (GAPDH)より上流の代謝産物が蓄積し、下流の産物が減っていた。このことはvitamin CでGAPDHが阻害されていることを示す。
  DHAの取り込みでGSHやNADPHが減少し、細胞内の活性酸素 (ROS)が上昇し、そのtargetのGAPDHの代謝変化を生じる。実際、vitamin C 投与でKRAS 及びBRAF変異がん細胞でGAPDH活性は50%抑制されていた。

  結論として、KRASやBRAF変異のあるがん細胞ではvitamin C-induced ROSの上昇が起こり、GAPDHを阻害して、エネルギークライシスを引き起こし、細胞を死滅させると考えられた。
しかし問題はvitamin Cは経口投与では血中濃度が10mMに達するのは困難で、注射による投与が必要になる。このことが初期に行われた臨床試験で全く効かなかった原因かもしれない。
今後、大腸がんやKRASやBRAFの変異が起こっている他のがんへの大量投与による臨床試験が行われる予定である。
「火のないところに煙は立たぬ」と言うが、vitamin C 説もあながち嘘ではなかったことになる。

大阪の陣で大坂城を陥落させた大砲

2015年11月04日 14:17

大阪冬の陣、夏の陣から400年。

大坂城は天下の名城として、難攻不落、どんな敵でも攻め落とすことができない城と考えられていた。

しかし大坂冬の陣では大筒の玉が淀君のいた天守閣を直撃し、数人の腰元が亡くなり、淀君は恐怖のあまり、家康と和平を結んだとされる。そして頼みの綱としていた外堀を埋められ、夏の陣の時には大坂城は要塞としての意味合いをなくしていたので簡単に落ちた。このことは誰でも知っている。

しかしその際に使われた大砲がなんであったかなどは知られていない。NHKで徳川家康と英国のつながりの特集をやっていた。それによると、意外とも思えるが、家康と英国とのつながりが思いの外深い。そのきっかけはアダムスミスの乗ったオランダ船リーフデ号が関ヶ原の戦いの半年前に豊後の国、臼杵に漂流したことに始まる。その際、乗組員の処分に関し豊臣秀頼に指示を仰いだ。一方、すでに日本にいたイエズス会の宣教師は豊後を訪れイギリス人やオランダ人の即刻の処刑を要求した。しかし5大老首座の家康は最初は海賊船ぐらいに思っていたが、話を聞いているうちにヨーロッパで起こっている、カトリック国とプロテスタント国との確執をしり、アダムスミスを江戸に住まわせた。その後、日本名を三浦按針とし、幕府の外交顧問として、家康に取り立てられ、旗本になった。カトリックは豊臣方に保護され、プロテスタントは家康に保護された。家康は三浦按針から様々な情報を手に入れ、大型船の建造や大砲の鋳造などを行っている。家康は按針との縁でイギリスから大型の最新の大砲を手に入れ、堺に移り住んでいた根来衆の鉄砲鍛冶の芝辻清右衛門・理右衛門に、同じような大砲を作るように命じた。イギリスからはカルバリン砲4門、セーカー砲1門、カノン砲12門を購入した。カルバリン砲は砲身長3mを超え、長い射程(6km届いた)を誇る中口径砲だ。またそれを参考により射程距離の長い小口径の芝辻砲を大量作らせ、これを大坂冬の陣の戦闘に活用した。

 このカルバリン砲はイギリスがそれまで世界に覇権を握っていたスペインを撃退するきっかけとなった武器である。それまでスペインは屈指の海洋国家として世界の7つの海を支配していた。その覇権を奪ったのはスペインの無敵艦隊をネルソン提督の率いるイギリス艦隊が迎え撃ったトラファルガーの戦。その際に英国海軍は射程距離の長いカルバリン砲で敵の大砲の射程外から砲撃し、敵艦隊を殲滅した。という曰く付きの武器を家康はイギリスから買って大坂の陣で使用した。家康が新式の大砲を使用したのに対し、豊臣方は旧式の青銅製のフランキ砲が主力だった。

大砲が時代を変えたとも言える戦闘として思い浮かべるのはまずビ東ローマ帝国の首都コンスタンチノーブルの鉄壁の城塞を打ち砕いたオスマン帝国の大砲(塩野七生のコンスタンチノーブル陥落)、幕末にイギリスから購入して各藩が使用したアームストロング砲(司馬遼太郎のアームストロング砲)がある。大村益次郎はこの砲を用いて、上野の彰義隊や会津の若松城を攻めた。

これらたった一つのすぐれた兵器の出現が時代を大きく回転させ、新たな時代が生まれるきっかけともなった。
一つの画期的な発明がそれまでのpower balanceを乱し、新たな時代を作り出したとも言える。

和歌に詠まれた逢坂の関

2015年10月23日 12:31

逢坂の関

 逢坂山とは京から大津(滋賀)に向かう途中にある標高325mの小高い峠である。山の高さはそれほどではないが、勾配がきついため昔から難所として有名で、さらに都と東国、北国を結ぶ北陸道、東海道、東山道(後に中山道などに再編)が交わる交通の要所でもあり、京都防衛のため逢坂の関がおかれていた。不破関や鈴鹿の関とともに天下の3関と称されている。
 この逢坂山は名前からして大阪の近くにあると勘違いされやすい。しかし平安時代から度々「人に逢うと人通さぬ峻険なる山の二面性」から和歌にもよく読まれている。

 百人一首に記載されている蝉丸の「これやこの 行くも帰るも分かれつつ 知るも知らぬも逢坂の関」とか清少納言の「夜を込めて 鶏のそら音ははかるとも よに逢坂の関は許さじ」や、紀貫之は「逢坂の 関の清水に かげ見えて 今やひくらん 望月の駒」などと名だたる歌人が逢坂山を読んでいる。

 清少納言は「枕草子」の作者としてあまりにも有名だが、一条天皇の時代、正暦4年(993年)に私的な女房として中宮定子に仕えた。博学で才気煥発な彼女は、主君定子の恩寵を被ったばかりでなく、殿上人と才気ある受け答えをして宮廷社会に溶け込んでいた。そんな折に関係があった男性の一人が藤原行成で、彼は一条天皇の蔵人頭として抜擢され、天皇と執政の藤原道長の両方から信任され、書がうまく三蹟の一人して数えられている。

 清少納言の百人一首の歌は彼への歌で中国の孟嘗君の故事に基づいている。秦の昭王に命を狙われた孟嘗君は、秦国から脱すべく、夜間に函谷関に至った。しかし関は、鶏の声が朝を告げるまで開かない取り決めになっていた。そこで孟嘗君は、食客の一人に鶏の鳴き真似をさせ、函谷関を突破したという。「史記」に載っている話。

「夜をこめて鶏のそら音ははかるとも世に逢坂の関はゆるさじ」

 「嘘の鶏の鳴き声などでは、私の恋の関は開きませんよ。しっかりした関守がいますからね」と、強く突っぱねた歌。

 それに対して行成の返歌は
「逢坂は人越えやすき関なれば鶏鳴かぬにもあけて待つとか」

 「逢坂の関は誰でも越えやすい関で、いつも開け放って待っているのだと聞きますが」とひどい返歌に清少納言は怒ったとか。

 一方、蝉丸は醍醐天皇の第4皇子との説があるが定かではない。蝉丸は生まれつき盲目で琵琶の名手として有名で琵琶の名器、無名を愛用し、逢坂の関に庵を結んだ。彼にいつわる話は色々と取り上げられている。

 平家物語の「海道下」には一の谷の戦いに敗れ生捕りになった平重衡(たいらの しげひら)が、京都から鎌倉へ護送される場面が描かれている。
「四宮河原になりぬれば、ここは延喜第4皇子蝉丸の関の嵐に心をすます、琵琶を弾き給いしに、博雅の三位と言いし人、風の吹く日も吹かぬ日も、雨のふる夜も降らぬ夜も、三年があいだ、歩みを運び、たち聞きて、彼の三曲をつたえけん わら屋のとこのいにしえも、おもいやられてあわれ也。逢坂山踏み越えて、瀬田の唐橋駒もとどろにふみならし、——」。と書いてある。管弦の名人であった源博雅が、逢坂の蝉丸のもとに三年間通いつづけて遂に琵琶の秘曲「流泉」「啄木」を伝授されたという伝説が重衡の鎌倉への護送という悲運の場面をもり立てる様に引用され、益々哀れさを掻き立てられる。

今や、逢坂山は京都と大津を結ぶ国道1号線として昔の面影はありませんが、それでも狭い谷間の道を京阪電車が車がひしめき並行して走っています。その京阪電車の小さな無人駅「大谷駅」のすぐそばに蝉丸神社や逢坂の関跡がある。

蝉丸神社の写真

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平忠度の腕塚

2015年10月13日 12:24

平家に親しみを感じる神戸

 震災により壊滅的打撃を受けた長田の街の海寄りに奇跡的に被害を免れた狭い路地の入り組んだ町家がある。その一角に平忠度の腕塚があり、町内の人により代々大切に世話をされている。

 平家物語の平忠度の都落ちは平家物語の中でも哀愁漂う章として愛好者が多い。忠度は武芸にも歌道にも秀でた平家の若公達として、有名であったが、平家がいよいよ都から西を目指して落ちていくとき、今までの一連の和歌を書きつづった巻物を藤原俊成卿に手渡し、「今や朝敵になった者の和歌を勅撰集に入れるわけにもいかないでしょうが、もしいい和歌があったなら勅撰集に入れていただければ草葉の影でありがたく思います」と言い残し、「前途程遠し思いを雁山の夕暮れの雲に馳す」と高らかに口ずさみ去っていった。
 その後世が鎮まって千載集を編纂した時、朝敵となった人であるので、俊成は詠み人しらずとして「故郷の花」という題で読まれた和歌一首「さざなみや滋賀の都は荒れにしを昔ながらの山桜かな」を入れた。

 その後、一の谷の合戦で馬に乗って逃れようとしたところ、岡部六弥太忠純に呼び止められ、組討ちになったところに、六弥太の家来が駆けつけ忠度の右腕を根元から切り落とした。そこで忠度は観念して首を切り落とされた。六弥太は相手の名前を知らなかったが、箙に結び付けられている文を見ると「旅宿の花」という題で「行きくれて木下蔭を宿とせば花や今宵の主人なるらん」忠度と書き記してあった。

 その時失われた右腕の塚「腕塚」が神戸の長田の海に近い昭和の原型を残す駒林町、入り組んだ道が迷路のように回る、民家の片隅にひっそりと祀られている。長田といえば阪神大震災で壊滅的な被害を受けた地域であるが、この一角は奇跡といえる街並みが震災にあわずそっくり残っている。このような迷路のように入り組んだ家と家とが密集した部落がそのまま昭和の姿を残していることだけでも訪れる価値がある。こんな小さな信仰の場所を何百年も守って来られた地域住民の心意気に感謝。
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夢のやせ薬の末路

2015年09月28日 12:18

  運動しなくても痩せる薬。

  運動や寒さによって骨格筋から血中に放出され、白色脂肪細胞を褐色脂肪細胞に転換する遺伝子を活性化させる
「irisin,イリシン」というホルモンが2年前にHarvard 大学のスピーゲルマン教授らによって発見された。
 『A PGC1α-dependent myokine that drives browning of white fat and thermogenesis』 Nature 481, 463–468 (2012)

発見当初は夢のやせ薬として、激しい運動をしなくても同じような効果が得られる「運動ホルモン」ともてはやされ、夢の薬の出現として多くのベンチャーも飛びついたが、今ではその効果や存在そのものまで疑われ、ベンチャーキャピタルも撤退した。
白色脂肪細胞が、余剰エネルギーの貯蔵庫であるのに対し、褐色脂肪細胞は、脱共役蛋白(uncoupling protein-1, UCP-1)を介してエネルギーを消費し、熱を産生する機能を有する。イリシンは、白色脂肪細胞の膜表面にあるレセプターと結合することにより白色脂胞の UCP-1を活性化し、褐色化 (ベージュ脂肪細胞)を誘導するという働きを有している。運動によってイリシンの前駆体であるFNDC 5 (fibronectin type III domain containing 5) 蛋白質の発現を高めることで、血中へのイリシン分泌が増加し、脂肪細胞におけるUCP-1の mRNA 発現量が亢進し、同時に酸素消費量も上昇して、体重の減少、インスリン抵抗性の改善がみられると言う.
 イリシンの産生は、運動によって増加するPGC-1α (peroxisome proliferator receptor γ coactivator-1α)依存的に行われる。よって、運動によってPGC-1αが上昇し、イリシンの産生が高まり、血中へと放出され,白色脂肪細胞に働いて褐色脂肪細胞に変えるということになる。
実際、マウスに3週間の自由なでの滑車運動を行った結果、イリシン分泌量は65%上昇し、人でも10日間の持久性運動により、イリシン分泌量が2倍増加したという。
 
  これまでの実験結果ではギリシャ神話の虹の女神イリスに因んで名付けられたホルモンのイリシンが、運動の筋活動に伴って脂肪組織に移動し、脂肪を貯蔵するのではなくエネルギーとして燃焼するように働きかけるとされていた。また、これらの発見によって、イリシンが肥満や糖尿病に対抗する重要なカギとなる物質ではないかという期待が高まり、将来的にはイリシンの飲薬で運動しなくても運動をしたのと同様な脂肪燃焼効果が実現できるのではないかと期待もされていた。

 しかしながら、最近、イリシンの測定法そのものに誤りがあることが発見され、170余りの論文が出されているが、今までのデータは全て信用がならないことが分かってきた。

  米国デューク大学の研究チームは、ネイチャーの姉妹紙『サイエンティフィックレポート』に掲載した論文で、2012年のハーバード大のスピーゲルマン教授らの論文に真っ向から反論した。研究を率いた生化学者のエリクソン教授は「ハーバード大学の研究チームの論文は、イリシンを検出する方法が間違っていた」と説明した。また英国キングスカレッジロンドン大学のシステム生物学のティモンズ教授も学術誌『サイエンス』とのインタビューで、「イリシンが人間にpositiveな役割をするというデータは存在しない」と話した。

  結局、結論は血中のイリシンを測る際に用いられたイリシンの抗体が実はイリシンを認識しないで、ごく少量紛れ込んでいたタンパク質を認識していることがわかった。つまり運動によって上昇するとしていたイリシンは実はイリシンではなかったということになり、今までのデータは全部信用できないとされた。またその上、人にはそもそもイリシンは存在しないか、したとしてもごくわずかであることも分かってきた。

  イリシンを研究してきた多くの研究者の無駄な努力、ベンチャーキャピタルの投資の大損、あまり笑えない話である。
 昔から夢の癌特効薬としてセンセーショナルに出現し、すぐに立ち消えてしまった例は数多くある。うまい話はお金の儲け話だけではなく科学の社会にも潜んでいて、乗ると大きな痛手となることがある。

  あまりにも有名になった贋作・捏造の例として世間を騒がし犠牲者も出したSTAP細胞がある。最近、漸くSTAP細胞の検証が終わってその結果が最新のNatureに掲載された。
STAP revisited. 525,426 (2015)
This week, Nature revisits one of the most controversial scientific episodes in recent years: the now-retracted discovery of a claimed new way to reprogram cells, stimulus-triggered acqui¬sition of pluripotency (STAP). On our website we publish two Brief Communications Arising (BCAs) that relate to the retraction.
Nature 525, E4–E5 (24 September 2015):STAP cells are derived from ES cellsとNature 525, E6-E9(24 September 2015):Failure to replicate the STAP cell phenomenonの2報が出され、STAP細胞は全てES細胞の混入によるものだと結論づけられた。この混入が意図的なものか、偶然なのかは明らかにしていない。何れにしても非常に多くの研究者や企業がこの不正(捏造?)論文に振り回され、大迷惑を被った。

 イリシンの発見の誤りは意図的になされたのではないにしても、有名な論文不正事件として、ベル研究所のヘンドリック シェーンによる常温で超電導を観測したという常温超電導事件(シェーン事件)や ソウル大学黄禹錫教授のES細胞論文捏造事件やSTAP細胞事件と、捏造、不正は止まるところを知らない。「なぜ人はすぐにバレるとわかっていて捏造したり、嘘をついたりするのであろうか?」これは科学研究の問題だけに限らず、東芝の虚偽の経理発表、ごくごく最近のフォルックスワーゲンのデイージェルエンジンの排気偽装と超一流の世界的企業でも行われた。企業内でのプレッシャーが強すぎて、一時的にも逃れようとした結果なのであろうか?企業間、個人間の競争の激しさのあまり、逃れようとしてなされたのだとしたら、あまりにも悲しい虚栄に満ちた社会ではないか。
 ほとんど個人が主体となる研究論文の不正にしても組織の関与する企業の不正にしても、いつもポストや研究費の獲得にあくせくしているストレスフルな研究者や、上司からいつも厳しいノルマや課題を突きつけられているストレスのかかった企業人と、生き残るのにタフな社会が産み出した副産物なのであろうか?ただストレスが大きいからと言って不正することは絶対に許されることではないが。

敗軍の将、石田三成の末裔

2015年09月11日 14:31

石田三成の子供達の運命

  関ヶ原の戦いで家康に敗れた石田三成が京六条河原で処刑されたことは誰もが知っていることだが、では三成の子供や子孫がどのような処置を受けたかはあまり知られていない。三成は正室の皎月院の間に三男三女をもうけている。てっきり一族郎等みんな処刑されたのかと思ったら、意外にも家康は温情的で死を免れていた。

 秀吉の死後石田三成は豊臣家の大番頭として、徳川家康と天下を争い、9月15日に始まった関ヶ原の戦いで敗れ、伊吹山に逃れたが、捕縛され、9月22日、大津城に護送されて城の門前で生き曝しにされ、その後家康と会見した。9月27日、大坂に護送され、9月28日には小西行長、安国寺恵瓊らと共に大坂・堺を罪人として引き回された。9月29日に京都に護送され、奥平信昌(京都所司代)の監視下に置かれた。10月1日、家康の命により六条河原で斬首された。享年41 (Wikipedia)。

三成の子供達

長男の重家:
石田重家 (1583-1686)は、石田三成の嫡男として生まれた。
慶長5年(1600年)、大谷吉継から上杉討伐に出陣する徳川家康の下へ参陣するように勧められるが、関ヶ原の戦いが勃発したため、豊臣家に対する人質として大坂城に留め置かれた。
しかし、関ヶ原における西軍大敗の知らせが届くと、9月19日夜、重臣の津山甚内や乳母らによって密かに脱出を促され、京都妙心寺の塔頭寿聖院に入って、住職の伯蒲慧稜によって剃髪して仏門に入れられた。伯蒲は法号として宗享の名を彼に与える。
伯蒲は、京都所司代奥平信昌を通じて助命を嘆願し、家康は本多正信と協議して、重家がまだ十代前半と若かったことからこれを許した。しかし妻帯することはなく重家一代にてこの系は絶える。
次男家成:
次男石田家成は助命され、津軽に逃れて家系を保つ。この家系が遺伝子をつなぐことになる。
三男佐吉:
三男の石田佐吉も父三成と親交の深かった木食応其の弟子となって出家し、法名を清幽と名乗った。よって子はない。
長女:は石田家臣の山田隼人正に嫁ぐ。子孫は津軽藩士となり、側用人などを務めた。
次女:は蒲生家臣の岡重政(岡半兵衛)に嫁ぎ、のち若狭に住み、若狭小浜で没したと伝わる。
三女辰姫: 高台院の養女となり弘前藩第2代藩主・津軽信枚の正室となる。

かくして三成の子供はことごとく助命され命を長らえた。戦国の世には稀なことであろう。

  結局次男の重成が石田家を継いだ。石田重成は豊臣秀頼に小姓として仕えていたが、慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いで父をはじめとする西軍が東軍に大敗し居城佐和山城も落城したことを知ると、津軽信建の助けで乳母の父・津山甚内らとともに陸奥国津軽に逃れた。
その後は杉山源吾を名乗り、津軽氏の保護のもと深味村に隠棲する。
重成の長男の吉成は弘前藩主津軽信枚の娘を妻として家老職につき、子孫の杉山家は弘前藩重臣として代々存続した。シャクシャインの乱(北海道で起こった和人とアイヌ人の抗争)のときには、津軽の総大将として鎮圧に向かったが、結局戦火を交える前に乱は収束したという。その厚労で徳川幕府から労をねぎらわれたという。吉成の子孫は津軽の重臣として幕末まで続いた。

  幕末時の当主は成知(なりとも)。天保12年、弘前藩の重臣杉山成範の嫡男として生まれる。津軽藩は当初、奥羽越列藩同盟に加盟し、新政府軍と敵対していた。元治元年、江戸詰めの用人であったとき、禁門の変が発生し、家老代理として上京した。慶応4年4月には家老となる。声高に佐幕を主張し、碇ヶ関を丸太で閉鎖し官軍の入国を拒むなどし、解任された。のち再び家老として箱館戦争の軍事総監となり、食禄150俵と刀料金200両を賜っている。明治2年に権大参事に任命された。明治10年、西南戦争では旧藩士召募を行い、東京で隊長となった。しかし実戦に参加することなく、後年は中津軽郡長や北津軽郡長を務めた。明治28年、死去した。

 というわけで石田三成の家系は江戸時代を生き抜き現在にまで続いている。意外と家康は温情的であったのか、それとも完全に全国を掌握できているという自信なのかはわからないが簡単に助命を認めている。これが信長だったら男の子だけでなく一族郎等皆殺しにあっていたであろう。
今まで家康といえば腹黒い謀略の将みたいに思っていたが、人情を持ち合わせていることを知って少し親しみが持てた。
なにごとにも先入観を持って接してはだめだということの典型。

大学格付け

2015年08月31日 11:44

大学改革?
国立大学改革プランを受けて文部科学省は2016年度から、全国の82国立大学と4国立大学院大学を、「世界最高水準の教育研究」「特定の分野で世界的な教育研究」「地域活性化の中核」の3重点支援枠に分け、個々の大学が選択する支援枠での評価を予算に反映させる。同一グループ内で高い評価を得た大学は運営費交付金を手厚く配分する。

日本的、文科省的年功序列方式で行くと現体制の旧帝大7大学が「卓越教育研究」へ、筑波、広島の旧師範大学や高等工業の東工大、旧高等商業の神戸などが旧帝大に続き、これらの大学は「卓越」を選ぶか「特定分野」を選ぶかの難題に当たる。その他多くの地方大学は「地域貢献型」を選ぶことになろう。文科省は各大学にどこに入れと決めつけることはないというが、グループごとのカテゴリーで評価されるのでどこに入るかは非常に重要である。無理して「卓越」にはいればグループ内での評価が低いことになり、「特定分野」に入った方が実質評価が高くなる。しかし世間的には卓越に入らないと、世界に伍する研究、教育は諦めたように思われがち。

 国立大学の基盤的経費である運営費交付金は16年度の法人化以降、毎年減額されてきた(26年度のみ増額)。16年度(交付額:1兆2,416億円)と26年度(同、1兆1,123億円)では、10年間で1,293億200万円、10.4%削減された。
こうした状況の中で、国立大学法人等の全体としての事業規模は、附属病院収入や競争的経費等の外部資金の増加などによってかろうじて保ってきた。
 27 年度の国立大学法人と大学共同利用機関法人(4 研究機構)の計 90 法人の予算規模は 2 兆4,650 億円で26 年度より 118 億円(0.5%)の増額である。   国立大学法人の予算を見てみると全収入が2 兆 4,650 億円で、その内営交付金収益が1兆945 億円で全体の44.4%、付属病院収益が9780億円で39.7%、続いて授業料収入が14.9%、雑収入が1%となっている。
 付属病院収益が運営交付金と同程度を占め、以外と大きいことがわかる。大きな病院を持っている大学ならまだしも、小さな病院を持たない単科大学は交付金への依存度が高く、今後交付金が評価によって大幅に減額されたら、どうして大学を運営していけばいいのだろう。
現在の交付金の順位を参考までにあげると
東大(803億), 京大(539),東北大(456),阪大(443), 九大(412),筑波大(404),北大(370),名古屋(313), 広島(247),東工大(212),神戸(208),岡山(179),千葉(174),金沢(172)と文科省年功序列に基づいて続く。

ちょうど、自分の属する機関ではどのグループに入るかの議論が喧々諤々行われ、グループ先が決定される頃だと思う。各大学において、どこに属するかは将来の方向性が制限されることとあって大問題。この格付けによって1流、2流、3流のレッテルが貼られ、ミッションに沿った研究、教育を行うことを義務づけられる。
この制定のあおりを受けて、研究を主体にしてきた人にとって、地方大学や単科大学には住み辛くなり、他の大きな大学か私立大学へ移る動きが活発化することであろう。最大の欠点は、それでなくとも日本の大学はどこも金太郎飴のように、特色がないが、今後は更に金太郎飴化が進むことが危ぶまれる。

 人文系学部はいらない?
このように大学を各付けするばかりではなく、文科省から教員養成系・人文社会科学系学部の廃止、転換が通達された。人文社会系学問の社会貢献が低いとし、そのような学問は必要ないとのたまう。理系学問や経済、政治のような実用的な学問にのみ税金を投入すべきだというのが経団連の偉い人や政治家の考えみたいだ。社会に直接貢献しないからといって、人間の本質に関わる学問である哲学や社会学などを簡単に切り捨て、古典や歴史を捨て、シェイクスピアよりも英会話と一方的に決めつけて、それで健全な社会が築けるのであろうか?
何事にも無駄や遊びがなくして健全な社会は育たないし、研究でも直接役に立たない酵母や線虫の研究から時代を拓く画期的な概念が生まれている。日本の研究の将来が危ぶまれる。

最新の基礎医学、生物学ジャーナル状況

2015年07月21日 15:55

インパクトファクターから見た生命科学の傾向

 2014年のインパクトファクターが発表された。近年、新しいジャーナルの発行が相次ぎ、ジャーナル間の競争が激しくなっている。競争を生き抜く鍵はインパクトファクターを上げることにある。そこで必死になってインパクトファクターをあげようとするのだが、歴史のない新興雑誌はそうもいかない。NatureやCellの姉妹紙は出せばほぼ高いインパクトファクターを獲得し、成功している。また学会で出版している古くからあるジャーナルが軒並み苦戦しているのも目立つ。

 基礎医学、生物学での上位ジャーナルは相変わらずNature, ScienceとCellが占めた。NatureのIFは41.456で他の2誌、Science (IF:33.611)及びCell (IF:32.242)と水をあけてtopを独走するようになった。続いてIF 20以上はNat Methods (32.072), Nat Gent (29.352), Nat Med (27.363), Can Cell (23.523), Cell Stem Cell (22.268), Immunity (21.561), Nat Immunol (20.004)と全てNatureとCellの姉妹紙が独占した。さらにNat Cell Biol (19.679)と続いて、ここで初めてNature, Cellの姉妹紙以外のアメリカの癌学会が新たに出したジャーナル、Can DiscoveryがIF:19.453に登場してきた。その後もCell Metabo (17.565), Nat Neurosci (16.095), Neuron (15.054)とIF 15以上をNature, Cellの姉妹誌が独占状態。

 IF:15以下でやっと他のジャーナルが出始め、Circulation (14.43), PLOS Med (14.429), System Biol (14.387), Mol Cell (14.018), Nat Struc Mol Biol (13.309), J Clin Invest (13.215), Nat Chem Biol (12.996), JNCI (12.583), J Exp Med (12.515), Cell Res (12.413)と続き、最近の流行を反映してAuthophagy(11.753), そしてNat Commun (11.47), Am J Human Genet (10.931), Mol System Biol (10.872), Genome Biol (10.798)となる。Gene Devは随分ランクを落とし、今やIF:10.798となった。Blood (10.452), EMBO J(10.434)はかろうじて10点内に止まった。

 一方、J Cell Biol (9.708)は10点以上に返り咲けなかった。Dev CellはCellの姉妹紙といえどIF:9.70と、いつの間にか10点以下に落ちてきた。昔の名門誌Proc Natl Acad SciもIF:9.674と10点に届かない。
Nat Protoc (9.673), Curre Biol (9.571), PLOS Biol (9.343), Can Res (9.329), Nucleic Acid Res (9.112), EMBO Rep (9.055)と続く。アメリカの癌学会誌はCan Discovery(19.453)とCan Res(9.329)とも高いIFを示している。またCellから出されているCan Cell(23.523)も非常に高いIFを示し、がん関係のジャーナルのIFの高さが際立つ。 さらに、Oncogene (8.467), Cell Report (8.358), Cell Death Differ (8.184)が8点台。これから下は多くの専門誌がひしめき合って、全てを記述するのは大変なので、顔なじみのジャーナルに限って紹介する。

  PLOS Pathog (7.562), PLOS Genet (7.528), J Pathol (7.42)), Mol Cell Proteom (6.564), Stem Cell (6.523), Development (6.462), J Neurosci (6.344), Sci Signal (6.279), Genet (5.963), Struct (5.618), J Cell Sci (5.432), BBA Mol Biol Lipid (5.162), FASEB J (5.43), BBA Mol Cell Res (5.019), J Immunol (4.922), Mol Cell Biol (4.777)と続き、 昔の生化学雑誌の雄、J Biol Chem (4.573)はついに5以上になれず。アメリカの細胞生物学会誌のMol Biol Cellは IF:4.466とJCB (9.708)に比べかなり低い。J Virology (4.439), J Lipid Res (4.421)と続き。 Biochem J. (4.396)は一時JBCより上にあったがまた抜き返された。さらにCell Signal (4.315), FEBS J (4.001), Metabolomics (3.855), Proteomics (3.807). Cell Commun Signal (3.378), PLOS ONE (3.234), FEBS Lett (3.169), BBRC (2.297)となる。.

 日本で出しているジャーナルではCancer SciがIF:3.523でトップを維持している。ついでGene Cell (2.805), J Biochem (2.582)で最下位はCell Struc Funct (1.684)と1点台になってきた。
ここ近年の傾向は昔からある名門雑誌の凋落ぶりが目立つ。JBCは1999年には7.666であったのに、今や4.573となってしまった。一方成功したジャーナルとして御三誌の中でもNatureがあげられる。Nat, Cell, Sciと比較すると1999年にはCellがダントツでIF:36.242, ついでNature IF:29.491 でScienceは IF:24.595, であった。それが2004年にはCell (28.389), Nature (32.182), Science (31.853)とNatureがIFをどんどん伸ばし始め2012年、Cell (31.957), Nature (38.597), Science (31.027)となり、2014年にはNatureは40点を突破して、41.415, 一方Cellは32.242でScience は33.611となり、Natureの独走状態に入った。

 何がこの差を生んだのか?Natureがデータの綺麗さや信用性を要求するのは当然であるが内容が面白い生命現象を扱っていて、originalityの高いことが必須である。一方、Cellも内容のユニークさ面白さも必要であるが、何よりもデータの信頼性を要求し、細かい点に至るまでの実証を要求する。ともすれば内容はそれほどでもないのに、がっちりと固めた膨大なデータがあれば掲載されている傾向がある。

また一方の成功例として、印刷物をなくし、on-line ジャーナルに徹したPLOSグループがある。 PLOSグループのジャーナルを見ると、PLOS Med (18.649)を先頭に、PLOS Biol (9.343), PLOS Gent (7.528), PLOS Pathog (7.562),PLOS One (3.234)としっかりとした地位を築きつつある。
日本のジャーナルはなかなか世界に食い込めなく、悪戦苦闘している。せめてCan Sci (3.525)くらいまでGene Cellや JBは上がってもらいたいものである。

老化を抑制する薬剤が現実に?

2015年07月06日 13:20

夢の薬、anti-aging薬が臨床試験にかかる

ありとあらゆる高等生物は歳を取り、老化する。有名な話では秦の始皇帝は不老不死の薬を求めて、徐福に蓬莱の国へ行き仙人を連れてくるように命じたが、結局そのような薬を見つけることはできなかった。
それから2000年以上経った今、ついに老化を抑制する薬が臨床試験にかけられ、効果を人で確認するという夢のプロジェクトがアメリカで始まろうとしている(下記NatureのNews)。
その候補薬は抗糖尿薬としてすでに使われているメトフォルミン(Metformin)。メトフォルミンは最近癌にも効果があるとして見直されていた薬だ。すでに薬剤として承認されている薬なので、臨床試験も早く進み、結論が出るにはそんなに時間はかからないであろう。

 Anti-ageing pill pushed as bona fide drug
Regulators asked to consider ageing a treatable condition
Erika Check Hayden
Nature 522, 265-266 (2015)

 この記事の内容を紹介する。
 「医師や研究者らは老化に関係して生じる病気を遅らせる合法的な薬剤の開発のための規制緩和と研究助成を求めている。薬剤による治療法は政府の承認を得るだけの生理学的根拠がある。そして老化研究者は言う「共通する老化に伴って起こる病気のプロセスを遅らせることにより、人の健康寿命を延ばすことができる」と。
6月24日、老化研究者は米国のUS Food and Drug Administration (FDA)の官僚に会い、この治療法が価値があることを示すための臨床試験を提案した。
現在の老化に関係する病気の治療は、ある病気を他の病気に置き換えているだけだとAlbert Einstein College of Medicineの医師Nir Barzilaiは言う。それはある老化関連の病気を治療した患者がしばしば他の病気で比較的早く亡くなることを指す。我々が示したいのは、もし老化を遅らせることができればそれが老化による病気を遅らせる最良の方法だということだ。

BarzilaiらはTargeting Aging with Metformin (TAME)という臨床研究の計画を提出した。彼らはすでにがん、心臓病や認知症を患っている何千人もにMetforminを投与しようと計画している。しかしすでにMetforminは糖尿病治療に使われているから、II型の糖尿病を患っている患者には適応できない。

6月24日、老化研究者はFDAの官僚にこの試行が成功したなら、その薬剤が老化を遅らせるのに有効であると証明できると話した。それは老化が薬剤で治療できる病気であることを示す前例になるであろうということだ。

5月27日のUS National Institute on Aging (NIA)での会合で、FDA Center for Drug Evaluation and Research の副所長のRobert Templeは我々のセンターはその考え方に好意的であると表明した。

老化研究は過去何十年にわたって、様々な抵抗にぶち当たってきた。寿命を伸ばそうとする薬剤の開発はいつも挫折した。しかしTAME試行の企画者たちは動物実験によりある薬剤や生活習慣の改善により寿命を延ばすことができたため、いまや状況は一転し、改善していると考えている。

例えば、NIAのスポンサーによる介入テストプログラムでは、3箇所の研究者たちが組織的に共同して様々に老化抑制を試し、信用性、再現性を、様々な種のマウスで確かめてきた。それらはカロリー制限や移植免疫抑制剤のrapamysinを摂取することによる試行を含んでいる。

さらに製薬会社のNovartisがrapamycinに似た薬剤を摂取することにより、インフルエンザワクチンへの免疫反応を強化できることを昨年の12月に発表している。細胞増殖に関わるpath wayに作用するrapamycinはいまや老化を抑制する最も有望な薬剤の一つだと見られている、しかし長い間それは免疫系を抑制するとされてきた。

Safety first
TAME テストは肝臓でのグルコースの産生を抑制し、インスリンへの感受性を増加させるMetforminを用いてなされる。この薬剤は60年以上使用され、安全で健康寿命を伸ばし、線虫やある種のマウスの寿命を延ばす。データでは心臓病、がん、認知症を遅らせ、糖尿病による死亡を抑制する。臨床試験は15のセンターで70-80歳の3000人で開始される。5−7年要し、50億ドルかかる。
老犬にrapamycinの投与を行っているWashington UniversityのMatt KaeberleiはBarzilaiの試行の概念は正しいという。他の薬剤が動物での老化の抑制により効果があるとしてもmetforminでの長い実験経験と老化過程でのインパクトを示すデータがすでにあるので、まず最初の臨床試験はmetforminでやるのがいいであろう」 
とまずはmetforminでの臨床研究が一番ふさわしいと結論付けている。

 近年老化を薬剤で遅らせようとする試みが盛んに行われ、サルやマウスや線虫では効果が見られている。著明なのが老化に伴って生じる病気、がんや動脈硬化、認知症の抑制だ。Ant-aging drugの候補としてrapamycin, metforminやrevesterolなどがある。
Rapamycinは免疫抑制剤として見つけられてきたが近年老化を抑制するとして脚光を浴びている。そのターゲットがmTOR(mammalian target of rapamycin)だ。mTORは細胞増殖やエネルギー調節で中心的役割を果たすserine/threonine kinaseで特にインスリンシグナルで重要な役割を果たす。インスリンや増殖因子の刺激でPI 3-kinaseが活性化され、生じたPIP3によりAktというserine/threonine kinaseの活性化が起こり、さらにmTORが活性化される。このPI3K/Akt/mTOR経路は細胞の増殖の制御で重要であるばかりでなく、エネルギー代謝でも重要な役割を果たす。特に老化調節では糖代謝(エネルギー代謝)が重要でmTORはエネルギー代謝のhubとも言える。栄養状態がいいとmTORは活性化され、過剰のエネルギーを産生し細胞増殖や細胞死の抑制が起こる。一方、飢餓状態になるとmTORは抑制され、エネルギー産生の抑制、細胞増殖の抑制が起こる。
RapamycinはmTORを抑制してエネルギー産生を抑え、栄養欠乏状態を作る。Calorie restriction(カロリー制限)がanti-agingに作用するのも同じ理由による。
またMetforminはmTORを阻害するAMP kinase(AMP dependentのkinase)の活性化作用があり、mTOR阻害を介して、抗老化作用を持つ。AMP kinaseの下流には脂質合成に重要な酵素もあり、これらを抑制してコレステロールや中性脂質合成も抑制する。
糖などの栄養物は最終的にATPに変えられATPを消費することでエネルギーに変えられる。栄養状態がいいとATPは過度に産生される傾向にあり、AMP kinaseは抑制されている。しかし飢餓状態になりATPが枯渇しAMPが増えると当然、栄養が足りないのでエネルギーの浪費を抑制する方向に向かう。その機序はAMPの増加を察知してAMP-kinaseが活性化されmTORが抑制され代謝が抑制される。その結果細胞増殖が抑制され癌化も防ぐ。Anti-agingの薬剤はエネルギー代謝を抑制し、カローリー制限と同じ状態にすることでその効果を発揮する。

火を吹く孤島

2015年06月18日 12:16


俊寛僧都の流された島

鹿児島の南方に位置し、屋久島の近くにある口永良部島の火山が突如目覚め、爆発的噴火を起こしたことは記憶に新しい。噴煙は9000mの高さまで上がり、大きな噴石が火口周辺に飛び散った。火砕流はほぼ全方向に流れ、一部海にまで達した。全島員はやむなく屋久島へと避難し、耐乏生活を送ることになる。いつ火山の活動が止み、いつ帰れるかの見込みは未だ立っていない。

そんな島から近いところにランクAの活火山を持つ火山島、薩摩硫黄島(昔の鬼界ヶ島)がある。主峰の硫黄岳は標高703.7mで常時噴煙を上げている。古くは平家物語で語られる俊寛が流刑された島である。

俊寛僧都は平家打倒を企てた鹿ケ谷の変(1177年)に加担して薩摩の南にある鬼界ヶ島(現在の薩摩硫黄島)に流された。
事の次第は後白河法皇の近臣による平氏打倒を企てた陰謀で、権大納言藤原成親や僧西光を首謀者とし、平康頼、僧俊寛、藤原成経(成親の子)らが鹿ケ谷の俊寛の山荘で密議をこらした。しかし陰謀が露見し全員一網打尽となった。首謀者の僧西光は拷問の上惨殺、藤原成親は、当然死罪になるところ成親の妹を妻にしている平重盛(清盛の嫡男)の必死の説得により、備前の児島に流され、殺害された。一方、俊寛は藤原成経や平康頼とともに鬼界ヶ島への配流となった。

 丹波少将成経や康頼入道は熊野信心が深く、島の中に熊野三所権現を奉って、毎日京都に帰れるように祈った。「薩摩がた沖の小島にわれありと親には告げよ八重の潮風」と「思いやれしばしと思う旅だにもなお故郷はこいしきものを」という和歌を書いた1000本の卒塔婆を海に流したところ、一本の卒塔婆が安芸国厳島に流れ着いたという(平家物語)。このことが後白河院の知るところとなり、清盛にも伝えらえて、これに心を打たれた清盛は高倉天皇の中宮となっている娘の徳子の安産祈願の恩赦を行い、成経と康頼は許されて京都に帰る(1178年)。しかし俊寛は陰謀の張本人ということで許されず一人島に残され、地団駄を踏んで悔しがり悲嘆にくれた(平家物語足摺)。翌年、俊寛の侍童だった有王は鬼界ヶ島を訪れ、変わり果てた俊寛と再会する。有王から娘の手紙を受け取った俊寛は死を決意して食を断ち自害した。

火山の弧島
茫洋たる大海。渺茫たる碧空。屹立した火山。
荒涼たる褐色の岩山。硫黄噴く死の山。蕭々と海風吹き抜ける孤島。
死の山に、深緑の樹々、浅葱色の竹林、赤い花々連なる。地獄と天国が同居する島。

ここは俊寛僧都配流された島。ひろがる蒼い海、冴え渡る月,満天の星々眺めつつ、
恩赦請い願うも叶わず、号泣、地団駄、足摺、絶望、餓死。絶望の孤島。

今は永遠に時がたゆたう南海の楽園。蒼い空と海、赤いブーゲンビリア、濃緑のマン
グローブ。ああ切々、ああ哀哀。そして忘却。すべてが幻。
しじまの中満点の星空、天の川を仰ぎ、しばし言葉を失う。

Ebola終わってMERS始まる

2015年06月04日 13:34

ウイルスの逆襲

どうにかエボラ出血熱の流行が食い止められたかと思ったら、今度はMERSの流行。韓国では2名が死亡し、1600人以上が隔離され、すでに3次感染も生じているという。いつ日本に入ってきてもおかしくない状況である。

 MERS (Middle East respiratory syndrome coronavirus)の名前の通り、中東で発生した中東呼吸器症候群である。MERSウイルスはSARSコロナウイルスに似たコロナウイルス(β型)で2012年9月にサウジアラビアで初めて発見された。その後、サウジアラビアのZak 氏がウイルスの分離に成功し、オランダのエラスマス メデイカル センターのFouchier氏に分析を依頼し、遺伝子配列が確定した。
肺炎を主症状としており死亡率は40-50%と非常に高い。本ウイルスは遺伝子解析から山コウモリが起源とされているが、中間宿主、感染方法は不明で、潜伏期は2.5-14日間とされる。中間宿主として疑われているのはひとこぶラクダで、唾液などの飛沫感染の疑いが濃厚。予防策としては石鹸による手洗い、マスクの装着、消毒などがあげられる。ウイルスは通常の消毒用エタノールや次亜塩素酸ナトリウムで死滅する。
治療法は確立してなく、ワクチンの製造も行われていない。感染した人は集中治療室で対症的な治療を受けることになる。症状は軽症から重症まで多様であるが多くの症例が重症肺炎を呈する。下痢を伴うことが多く、腎不全や播種性血管内凝固症候群(DIC)などの合併症を伴っていた。一方、検査結果が陽性であるにかかわらず、無症状の人も報告されている。

人に感染するコロナウイルスとしては4種類存在し、5歳頃までにほとんどの人が感染することが知られている。通常、鼻風邪、上気道炎を引き起こすだけの普通の風邪である。
しかし2002年に中国の広東省で発生した重症急性呼吸器症候群コロナウイルス(SARS-CoV)は世界中に蔓延し、8098人に感染して774人が亡くなったことから認識が変化する。MERSはSARSに比べ感染力はそれ程強力ではない。患者と接触するなどの濃厚感染で発病し、SARSやインフルエンザのような空気感染はしないらしい。しかしSARSとMERSは重症の肺炎を引き起こす点において似ている。心臓病や糖尿病を持っている人で重症化することや、子供では軽症であることも似ている。

MERS-CoVのゲノムサイズは30.1kbであり、SARS-CoVの29.7kbと同等の長さである。コロナウイルスはα、β、γ、δのグループに分類されている。MERS-CoVはSARS-CoVと同じくβコロナウイルスに属し、さらにそのCグループに分類されている。MERS-CoVはORF1a, 1b, S, E, M, Nのコロナウイルスに一般的なタンパク質のほか、SとEタンパク質遺伝子の間にORF3, ORF4a, 4b, ORF5の4つ、Nタンパク質遺伝子より3‘側にORF8と合計5個のアクセサリータンパク質を持つ。
新型コロナウイルスは2種のコウモリコロナウイルスであるタケコウモリとアブラコウモリとの相同性が高い。MERS-CoVはこれらのコウモリとRNAポリメラーゼ配列において90-92%のアミノ酸相同性を示すが、ウイルスの侵入を担うSタンパク質におけるアミノ酸の相同性は64-67%程度であり、SARS-CoVと同様にコウモリコロナウイルス間での遺伝子組み換えによって誕生した可能性が高い。SARS-CoVはミドリざる由来のVeroおよびVeroE6細胞に感受性を示し、アンジオテンシン転換酵素2(ACE2)がウイルス受容体である。一方、MERS-CoVはSARS-CoV同様にVero細胞に感受性を示すほか、アカゲザル由来のLLC-Mk2細胞にも感受性を示す。ウイルス受容体はDipeptidyl Peptidase-4(DPP-4)であり、様々な細胞で発現が確認されている。

SARS-CoVやMERS-CoVは標的とする細胞に侵入する際、その表面上に発現している糖タンパク質が受容体と結合し、ウイルスと宿主の細胞膜の融合を促進し細胞内へと侵入する。しかしウイルスの糖タンパク質は活性のない前駆体として合成されるので活性化には宿主側のプロテアーゼによる限定分解が必要である。それゆえ、糖タンパク質を分解するプロテアーゼの阻害剤がウイルス感染阻止に役立つと考えられる。
プロテアーゼの中でも肺胞上皮細胞特異的に発現している膜型セリンプロテアーゼ(TMPRSS2)がインフルエンザウイルスを活性化することが報告され、さらにSARSコロナウイルスや人コロナウイルスNL63も活性化されることがわかり、TMPRSS2が呼吸器ウイルス活性化の主役因子であると考えられるようになった。

そこでTMPRSS2の阻害剤が探された結果、セリンプロテアーゼ阻害剤のカモスタットが見出された。カモスタットはTMPRSS2活性を特異的に阻害し、SARS-CoVとMERS-CoVの細胞侵入を阻止する。もともとカモスタット(商品名フォイパン)はトリプシン阻害剤として開発され、すでに膵炎や逆流性食道炎の治療のための飲み薬として使われているので、MERS患者へ投与して有効かどうかを見極めるには時間がかからないであろう。

いずれにしても今の所、手洗い、うがい、マスク着用とインフルエンザ予防と同じような対応をとるしかない。
参考文献:中東呼吸器症候群コロナウイルス感染症:松山州徳、モダンメデイア 60, 137-142 (2014)

大阪都大狂想曲

2015年05月21日 15:54

シルバーパワーに負けた
  
 東京から神戸に移って早や7年たった。未だに関西人のfeelingにはなじめないところがある。
しかしなんと言ってもその思いを大きくしたのは今回の大阪都をめぐる論争だ。大阪のおばちゃんやおじちゃんが口角泡を飛ばして議論し合っていたが、だんだんとお互いに罵り合うだけとなってしまった。議論は結局都に移った場合の自分たちの損得勘定に矮小化されてしまった。
将来の大阪を繁栄させ、魅力ある都市にして、東京に伍するようになんぞという地域繁栄のための布石という意味合いは全く議論されず、2重行政改革などという題目に隠れて、自分たちの補助金が削減される恐れがあるという点が一番重視された。
その結果、わずかな差で都構想反対が勝った。若い人は賛成が多く、年寄には反対が多かった。シルバー民主主義の勝利と言われるゆえんである。子供や若者の未来を明るくなんていう他人事より、バスや地下鉄の無料パスの廃止が行なわれるかもしれないと言う不安が勝った。

 橋本さんは現在の政治家において、カリスマ性のある希有の存在であろう。話は分かり易く、ストレートで、目標を決めてそこへ突進するタイプだが、過激なことを言い過ぎ、言わなくてはいいことを言って、しばしば顰蹙をかい、反対派を増やしてしまった。反対派を浮かび上がらせて潰して行く方針が、反対に反対派を増やしすぎ叩き潰されてしまった。

本人はこれで政界から引退すると言っている。強引で独善的でワンマンな政治家は根本的改革を行なわなければならない時代の切り札としてのワンポイントリリーフがよく、長くやっていると独裁になってしまう。改革は短期間で強引にでも行わないかぎり成功しないものである。
革命家は政治家に向かないとはよく言われるが、あるものをぶち壊す作業と新しいものを作って、現実に即した政治を行う事は相容れない。
 明治維新においてもまずは吉田松陰のような思想家が現れ改革を説いた。続いて高杉晋作や西郷隆盛などが今まであった秩序をぶっ壊した。そして最後に、伊藤博文や大久保利通のような実務家が新たな秩序を構築し明治政府の政治を行った。
 橋本さんは革命家で、人々をアジテートして古い組織をぶっ壊そうとした。しかし現在は民主主義国家、なんといわれようと一票でも多い方が勝ち。年寄りは自身の権利を守るのには熱心だが、市がどうなろうと、日本がどうなろうと無頓着。一方、若者は政治自身に興味無く、日本の将来にも期待していない。もっと若者を目覚めさせないと橋本陣営は勝てなかった。

 年寄りパワーに押されて、お金もないのに補助金を乱発し、年寄り優遇。予算がふんだんにあればそれでいいが、予算はぎりぎり、年寄り向け社会保障か、子供向け、若者向けの将来を見据えた補助かを選ばなければならない切ない時代。
 日本の財政を改善し、日本の将来のためには、少し我慢して子育てや教育への補助を増やして行かないことには日本の将来はない。

 橋本氏の都構想信任への投票行動を見て日本の将来の暗雲を見た。

大学間格差

2015年04月30日 14:30

地方大学は研究はやらなくてもいい?

最近の日経新聞によると文部科学省は国立大学を3つのカテゴリーに分け、ミッションを明確にさせて、大学経営の効率化を図るつもりだ。
これが実施されれば、今後大学間の格差がますます広がり、地方にいては研究しづらくなるであろう。

記事によれば
 「文部科学省は2016年度から、全国に86ある国立大学を「世界最高水準の教育研究」「特定の分野で世界的な教育研究」「地域活性化の中核」の3グループに分類する。グループ内で高い評価を得た大学に、運営費交付金を手厚く配分する。従来は規模に応じて機械的に割り当てられていた。大学の特色を明確にし、同じグループ内での競争を促す狙いがある。
 下村博文文科相が17日、政府の産業競争力会議の作業部会で明らかにした。各大学は15年中に3グループの中から1つを選ぶ必要がある。選択に当たって同省は審査などを行わず、自主性に任せる。所属グループの選択は、各大学の将来像に大きく影響しそうだ。
 3分類する主な理由は、国立大の収入の柱である運営費交付金(14年度予算で1兆1123億円)の配分方法の見直しだ。大学の規模に応じてほぼ一律に割り振られていることから、産業界が「競争原理を導入すべきだ」と求めていた。
 一方、同じ条件下での競争原理が導入された場合、地方の小規模大は、都市部の総合大学と比べて不利になる恐れがある。このため、同省は3グループごとに、それぞれ異なる評価手法を新たに導入することを決めた。
 各大学の取り組みを毎年度評価し、グループ内で成果が高いと判断された大学に重点的に交付金を配分する。評価手法は文科省の有識者会議が今後検討するが、「世界最高水準の教育研究」を選んだ場合は、論文引用数や外国人教員数などが指標とされそうだ。
 文科省国立大学法人支援課は分類について「各大学の強みをさらに伸ばしてもらうのが目的で、大学の役割を固定化するものではない」と説明。特定のグループに財源を集中することは現時点では検討していない。
 文科省は昨年11月に発表した「国立大学改革プラン」で、グループ分けの方向性を示し、具体策を検討していた。大学の国際化に向けて重点的に支援する「スーパーグローバル大学」の仕組みもあるが、私立や公立を含んでおり、評価手法も異なる。」ということだ。

しかし実際は今まで以上に東大や京大などの大きな大学にお金が集まるようになるということであろう。地域活性化の中核大学にそんなにお金を出すはずがない。文科省は各大学の学部に対し、国立大学改革プランで、各々の大学学部がミッションを明確にすることを求めている。そこでは、地方大学が世界をリードするような研究を目指すといっても受け入れられないであろう。開業医になるための臨床医を育てるとか、学生の教育をしっかりとしてグローバルな社会に貢献できる人物を育てるとか、より実務的にならざるを得ない。そのミッションに沿って評価するとのことなので、示したミッション以外のことをしても評価されない?

 今までは地方の大学にいても、研究をやりたい人は、自分の甲斐性で研究費を集め、それなりに研究できた。地方大学でもいい研究をしてこの大学にこの人ありというような人が結構出ている。それがその大学の顔にも、特色にもなっていた。

しかしこれからはミッション外のことをしても文科省から評価されないので、プランに書いたことのみを努力し、研究熱心な人は逆に煙たがれかねない。大学の役割を固定化するものではないと言っているが、一旦明文化したらそのルールに則って組織は動く。実務的な効率は上がるかもしれないが、自由な発想の中からの思いがけない大発見は無くなるであろう。

一番大きな問題は地方大学にいる優秀な人材を潰してしまうことであろう。なんでもかんでも序列化して効率化、応用性を求めると却って社会は衰退する方向に向かう。今までにも色々と制約はあったが、研究者として、どこにいても自分の責任で自由に研究できたことはありがたかった。「自由だと言っているけど、実際は締め付け」が行われようとする意図が見えることは残念である。

基礎研究者にとって生き難い世の中に

2015年04月13日 15:07

国は応用研究重視で

ScienceのEditorialにNIHの臨床研究重視の方針に対しての意見書がNIHの長官らによって出された。
NIH research: Think globall
Anthony S. Fauci and Francis S. Collins. Science 348. 159 (2015)

  NIHでは60年以上にわたり、米国のみならず世界中の人々の健康の促進と寿命の延長への研究を援助してきた。その結果ここ70年の間に世界の寿命はNIHの資金援助による医学的および公衆衛生学的進歩により2倍に伸びた。しかし今日では財政の縮小に直面し、議会のリーダーや疾病研究者グループからNIHのファンドを米国で起こっている病気の研究に集中するようにという案が出されている。大部分のアメリカ人の病気や死を起こすような疾病研究への援助は保たれるべきではあるが、世界で生じている大きな病気の研究への援助を減らすことは賢いことではない。
グローバルに健康の促進研究へ携わることは国民、市民を守り、経済を発展させ、海外でのアメリカの利益を増加させる。生きとし生ける人々はそれが世界のどこで起こっていても、人の苦しみを軽減することに理解と感謝をしている。
アメリカの世論は発展途上国での健康を改善することをそれらの国の人々のためにも国境を越えてアメリカにやってくる感染症にさらされるアメリカ人のためにも支持している。
最近の西アフリカで起こったエボラウイルス病のoutbreakはすぐにアメリカへ波及し、グローバルな健康問題がたちまち国内問題になるのを思い起こす一因となった。医療外交という概念は貧しい国の人々の心と精神を、医学的改良、技術改良や人事交流をすることで、健全にする。
アメリカ政府は世界で最も多くの基金の支給を行なっており、世界の貧しい国の数えられない命を救う医療の発展の中心的役割を果たしてきた。
天然痘は撲滅され、ポリオは間もなく消滅する。子供が罹る重要な感染症にはワクチンが開発された。そして7百60万に及ぶAIDSでの死は抗ウイルス薬の開発と投与で中低所得国で2003年から2013年の間に激減した。
より改良された結核の治療薬、寄生虫の治療、マラリアのワクチン、HIV感染の予防と治療への新たな戦略は、将来何百万人もの命を救うであろう。
 そのような複雑な病気の研究は如何に我々が病気を診断したり、治療したり、日常アメリカ国内で見られる様々な病の予防をしたりすることへの新たな指針を与えてくれる。例えば、B型肝炎ウイルスの治療はHIVの治療目的で開発された抗ウイルス薬によって革命的に進歩した。
歴史的に見ても、現代生物学研究から派生した成果はアメリカが興味をもつ領域での人の健康や安定さを損なう主要な病気の撲滅への機会を与えてくれた。
 グローバルなパートナーと仕事してグローバルな研究成果をそれらを必要とする人々に配ることはさけてはならない。そのような約束がなければ、AIDSのような重要な病気の駆除や撲滅および薬物耐性菌、結核やマラリアのような世界的な健康への脅威の出現リスクを減らす機会を見失うであろう。

1940年にFranklin D. Roosevelt大統領は「NIHはヒューマニズムという世界的言語で話をしている」と述べている。それは国境のような制約もなく、人種、信条や皮膚の色による差別もない。 NIHはこれらの言葉で生き続けるべきである。

日本でも日本版NIH構想が打ち上げられ、より臨床応用を目指した研究体制が発足している。つまり世界的な応用重視傾向である。
日本では今日まで基礎研究はそれなりに重んじられてきた。しかしiPS細胞の確立以来、その波及効果的応用を成功させようと、政府は躍起になり多くの金をiPS研究につぎ込んできた。また多くの基礎研究が応用研究につながっていないとして、大々的にトランスレーショナル研究を打ち出した。いま巷では補助金を受けたいのならiPS研究か創薬研究という傾向にあり、基礎研究で生き残るのは難しい状態になっている。

うららかな春の空に映える木蓮の花

2015年03月27日 16:34

辛夷の花、木蓮の花、泰山木の花

遠くからぼやっと白い固まりに見えていた樹が、次第に近づくにつれ辛夷の花だと気づいた。樹全体が無数の白い花で覆われ、碧空を背景に気品あふれた姿で立っている。辛夷の白い花の街路樹は年に一度この季節のときだけ、何の樹だったかを気づかせる。毎日車で通る道なのに、花が咲くまでは全く気にも留めていない。
こぶし(Magnolia kobus、写真1、2)は木蓮科の花樹の中で、白木蓮よりつぼみも花も小さく、また白木蓮の花がややクリーム色を帯びているのに対して、こぶしの花は純白に近い。赤い花をつける辛夷の木も遠くから見ると壮観であり、桜にも引けを取らない。
 こぶしの開花に前後して、白木蓮(Magnolia liliiflora、写真3)は辛夷よりもさらに大きな上品な白いつぼみを開かせ始める。木蓮は地球上で最古の花木といわれ、恐竜の時代からすでに現在と変らない姿で咲いていたそうだ。
辛夷にも増して気品のある気高さを感じさせる大きな純白の花をつけた大樹が碧空に映えて薫風を漂わせ、うららかな春の日に、ユートピアにいる境地に浸らせてくれる。
 木蓮の大振りな花と葉は太古にふさわしい。大きな恐竜がゆったりと大きな木蓮の木の周りを歩いている姿を想像すると、青い空を背景に、白い大きな花を付けた樹と恐竜がそれほど違和感なく受け入れられる。
 木蓮には、白木蓮のほかに紫木蓮がある。白木蓮は高さ10m以上に成長するが、紫木蓮のほうは普通樹高4、5mぐらいである。赤紫の大きな蕾が開くと薄赤みを帯びた花弁を春の日差しに受けて、青空に輝く。白木蓮にも増して、気高く気品あふれた花である
 時期を遅くして咲く木蓮科の大木に泰山木(Magnolia grandiflora)がある。東洋的な雰囲気を持つ泰山木は実は北米中南部原産。花期は5~7月頃。大きな葉の表面には光沢があり、裏面は毛が密生しており錆び色に見える。日本では公園樹としてよく植栽される。樹高20m以上にもなる。堂々たる大木で気品の高い白い花をつけている様は見る人の心を和ませる。
  高校の図書室の窓の外に堂々たる泰山木の木があって、年に一度大きな白い花を咲かせた。ふと読書で疲れた目を窓の外に転じると大きな清楚な花が目に映り、疲れた目だけではなく心までもリフレッシュされた。その当時、何の花かは知らなかったが圧倒されるような大木なのにつける花のなんと可憐で気高いことだろうと感動したものだった。
こぶし、木蓮、泰山木と木蓮科の花は無数の花が木全体を覆い、遠くからみても、ぼーっと景色の中から浮き上がったように見える。近づくと一つ一つの花びらは大きくかつ清楚な白で、また花が散った後は大きなビロードの葉に覆われ、見ているだけで、平穏と安らぎに包まれる。

画像は画像、季節の花画像300より
画像1白辛夷、2 赤辛夷; 画像3 白木蓮、4紫木蓮; 画像5 泰山木

辛夷画像1

辛夷赤 画像2

白木蓮画像3

紫木蓮画像4

泰山木画像5


何気ない日常の風景

2015年03月17日 12:51


春間近の六甲山

夜来のみぞれ混じりの冷たい雨も明け方には上がり、雲の合間から陽光が漏れ出て来た。気温はまだ低いものの、今朝の日差しの温もりには春の訪れの近さが感じられる。

六甲の山々が海に急激に落ち込んでいるため、神戸の街は猫の額程度の狭い海岸沿いの土地に開け、市街地は発展に伴って斜面に這いつくばるように、六甲山の上へ、上へと伸びてきた。

狭くて細長い海岸沿いの平地を縫うように、3つの電鉄会社がお互いに背中をくっつけんばかりに並走している。海岸沿いに移動するには至極便利だが、山手の方に移動するとなると否応無しに車か徒歩で坂道を上がらなければならない。坂道も始めは緩やかだが、次第に傾斜は急になり、最後は急峻な六甲山の登山道へとつながる。

 毎朝六甲山を仰ぎ見ながら、途中から傾斜が急になる坂道を車で上がって行く。今の季節、六甲の山は日に日に褐色の肌に、茜色が交じった黄色や薄緑の服を着て、華やかな装いを呈してくる。そして薄靄に煙る山は菫色に、日差しを浴びる山は萌黄色にと、刻々と装いを変える。目を上に向けると今日は遮る雲ひとつない、春を待ちわびる六甲山がそこにある。

 この季節の山の樹々は芽吹くと、たちまち若葉を発育させ、あっという間に濃緑の葉を繁茂する枝へと変わっていく。しかし今はまだ、春浅く生命の喜びを謳歌する季節の到来を待ち、春の栄光に備えての序章を演奏している。

 平凡な日常に埋没している間に、春は忍び寄り、駆け抜けて行き、すぐに暑い夏となる。

国際感覚の薄い日本のアカデミア

2015年03月09日 15:30


ひ弱な学生、ひ弱な研究者

グローバル化に伴って、世界のどこへ行っても通用する企業人や研究者が求められている。しかし事態は時代に逆行して、留学する学生は減少し、日本の大学での外人教授は増えない。Science誌にそれを皮肉ってかどうかしらないが、日本の大学が変われるかどうかという記事を載せた。
Japan looks to instill global mindset in grads
Dennis Normile. Science 347, 937 (2015)

日本の企業は海外での厳しい競争に四苦八苦している。その問題の根源は国民の高等教育システムに対する内向さによるのかも知れない。 文科省の国際企画の局長代理は「企業に務めている人が日本の大学の学生は役に立たないと言っている」述べた。国際環境をうまくやって行く技能と勇気を持っている学生は皆無だとも言っている。そして事態は益々悪くなっている。留学する学生は減り続け、日本での外国人学生の数は減少傾向にある。ましてや外国人の教授はめずらしい。

 首相の安倍晋三内閣によるもっと国際性を持った学生を増やすようにという指示に答えて、文科省はTop Global University プロジェクトを立ち上げた。このプログラムでは13の研究大学が世界のトップ100位以内に入ることを目指して選ばれ、10年間に渡って年4.2億円の援助を受けることになった。そして24のより小さな大学は年1億7千万の補助を受けることになった。助成金額は余り多くないが、大学が国際環境に適応して、学期性やカリキュラムを変えるのを助ける。例えば、参加する大学は海外のパートナーと学生交換を容易にするため、学期の始まりを春から秋に移すなど。

 東京工大の学長である三島義直氏は「我々は教育と研究の質と国際化の改良を試みている」と言っている。そしてゴールは2030年までに世界のトップ10に入る事だ。今は東工大はTimes higher education listでは141位でQS World University Rankingでは68位だ。これは社会の変革をもたらすに十分の規模であると言っている。
これは日本の大学の国際化への最初の試みではない。今までの試みはほとんど効果なく、この新しいプログラムはそれらとどこが違うのか?と疑問が投げかけられている。日本は次から次ぎへと短期のプログラムを発足し連続性がない。と1984年に東大で初めての任期のない教授に就任した地球物理学者のRobert Geller氏は言う。これら一連のプログラムはこのTop Global Projectを成功させるのに役にたっていると言う人もいる。京大と英国の大学との協定を助けたLondon在住の野村敏雄氏は日本の大学はゆっくりだけど確実に変わりつつあると言っている。

 しかし最近の傾向には落胆させられる。文科省の資料によれば、留学する日本人の数は2004年がピークで82,945人で、2011年には57,501人となった。そして日本での外人学生の数は2010年の141774人から2013年には135,519人となった。一方、昨年の86国立大学の外人教官数は2329人で全体の3.6%にしかあたらない。

多くの日本の大学は国際ランキングを軽視しているし、国民も関心がない。現在、Top 100位以内にはたったの2大学しか入っていない。東大が23位で京大が59位である。

もし参加している大学がTop Globalの目標を達成できたなら、海外での学生の信用度が3.3%から13.8%へ、日本人学生に対しての外国人学生の割合は6.5%から13.1%へ増加し、海外で取った学位を持つ日本人に対する外人教師の割合は27.6%から47.1%へ増加するであろう。

 日本のアカデミアは島国育ちでひ弱になり、日本社会の大黒柱となるにはほど遠い。文科省の国際企画課の松本英人氏は「日本の大学から標準的なルートをストレイトに行く事を好むリクルート習慣と国際感覚を持つ人材の育成」にギャップがあり過ぎるという。遅かれ早かれ、会社は英語のスキルと海外経験を持った学生を好んで採用するようになるであろう。その時になって初めて、学生は海外に行くように努力するであろうし、彼らの仕事の前途を知るであろう。しかし、もし会社が変化を好まないなら、学生達も当然変わらないであろう。

若手研究者にとってポストと助成金の獲得が年々難しくなりつつある。

2015年02月24日 13:24

若手研究者と熟年研究者の確執

研究ポストやお金の分配と言った事に対し、日本もアメリカも同じ悩みを抱えている。どこの成熟した国でも同じであるが、若年人口の減少と老齢人口の増加という問題に悩まされている。特に日本では深刻な問題となっている。このような、社会的背景を反映して、研究社会も同じ問題を抱えている。熟年研究者の増加に伴って、若手研究者へポストとお金が回らない。熟年研究者の定年が伸び、科研費獲得期間が伸びれば伸びる程若手の出番がなくなる。

若手と熟年研究者のバランスを如何にして取れば良いのだろう?
Natureにアメリカで起っ同じような問題を議論した記事が載っている。
Boer Deng. NIH plan to give ageing scientists cash draws scepticism. Nature 518, 146-147 (2015)

簡単に紹介すれば。
アメリカの医科学研究者のグラントの獲得競争が厳しくなり、特に若い研究者がグラントを取るのが次第に難しくなりつつあると言う憂うる結果が報告された。1980年には、初めて大きな助成金を獲得した平均年齢は38歳であったが、2013年には45歳まで上昇した。更に36歳より若い人が獲得したグラントの割合が、1980年の5.6 %から2012年の1.2%へと激減している。
まさに年老いた皇太子が長い間王位継承を待ちこがれるように、アメリカの医科学研究者は独立したリーダーになることを待ちこがれている。

NIHは熟年の科学者達が彼らの研究をまとめあげるための名誉的なグラントを与えるべきかどうかを研究者達に訊ねた。そのような基金は今までの研究をまとめあげ、研究室を去って、他の仕事につき易くするための手助けになるであろう。NIHは確実にグラントを獲得して来た熟年研究者が研究室から去り、より多くのお金が若い有望な研究者に渡ることを望んでいる。

しかしながら多くの研究者がそのアイデアに懐疑的であると言う。さらにすでに豊富に支援をされて来た熟年研究者に退職時にボーナスをあげるなんてとんでもないと言う人もいる。
NIHの求めるところが独立した研究資金とポジションを持つ若い研究者の獲得であるならば、そうすればいい。実際NIHはより多くのお金を新しい研究者に支給しようとする政策を行い、ある程度の成功を治めて来た。そして、2007年以来新しい申請者が獲得したグラントは経験ある研究者に近づいて来たが、若い研究者から出される申請内容はシニア研究者からのものより質が低いと非難されている。これは多分医科学研究者における年齢比の変化による結果かもしれない。1993年には5人中1人が50歳以上であったのが、2110年には3人に1人が50歳以上であった。この事はNIHの主任研究者の平均年齢が上昇している事を説明している。特許取得やノーベル賞受賞の年齢によれば、最初の発見の年齢自身も上昇している。Northwestern Universityの経済学者であるBenjamin Jonesによれば、この変化はこの1世紀以上、科学の実りを収穫する年齢が、発見により多くの知識を要するようになったため、より歳をとった年齢へとシフトした結果だと言っている。
 問題は不安定なNIHのfundingによって更に増大してきた。1998年から2003年までは予算は2倍、27.2 billion $となった。グラントのお金の増大で、研究所は大きくなり、医科学を研究する学生の職も増加し、多くの学生をこの分野に引きつけた。
しかし、そのようなバブル期の幸運はまもなく去った。2003年以来、NIHの予算は25%減少され、ブームの間に生み出された若手研究者間で、グラント獲得への熾烈な競争が増した。
NIHの予算が着実に増加しないかぎり、医科学研究を志す学生を減らす事しか解決策は無い。しかし新しい研究者が減る兆候はない。2013年に、アメリカの大学での医科学博士取得者は8471人に及ぶ。NIHの初期段階の研究助成を受ける資格のある何千という研究者が785のグラントを争う事になっている。
つまり現状は余りにも多くの研究者が余りにも少ないいすを目指して待っている。

現状は日本でも全く同じ事。ここ20年間、日本の景気はどん底。給料は増えず、逆に減少する始末。それでも日本の未来は科学技術の発展にかかっていると、研究費は増額されてきた。また科学研究者を増やそうと博士過程の人員を倍増させた。
しかしいくら科学技術が大事だからといっても、永久に増やし続ける事はできない。昨今はぼちぼち息切れして来た。ポストも正規のポストでは無いが期限付きの特命とか特任とかの名のつくアカデミックポジションは増えた。しかしそれも財政的裏付けがなくしては続かない。結局任期が切れて、新たな短期のポストを渡り歩くという、不安定な非正規雇用を増やしただけになった。それに大幅に増やした博士研究員が参入してきて、益々科研費獲得や正規ポスト獲得が厳しくなっている。
若手研究者の安定的雇用を考えなければ、日本の将来はない。それなのに政府は更に競争をあおって、良い研究をしている研究者には多額の給料、多額の助成金をあげようという。世界のトップクラスの研究所を作り、多額の金をつぎ込んで助成する政策も行なっている。これらのプロジェクトで評価される人はすでに一流の仕事を成し遂げてピークにいる研究者だ。後は坂道を下るだけ。これらの人を更に助成してもこれまで以上の成果は期待されない。それより全く海のものとも山のものとも分からないが、山の裾野から覗いている原石に目を向けるべきだ。その原石を磨く方にお金をかけた方が、大きな金鉱に打ち当たる可能性があるのではないか?全くの単なる石である可能性も高いが? いずれにしても短期の細切れの施策を打ち出し、一つが終ると次の施策と、科学技術の振興というより公共事業のようにお金をばらまいて、若い研究者を右往左往させるばかりで、育てていこうという意図が見えない。
 これではないよりましだけど、正規のポストを持っている者やボスの大型助成金の傘の下に入っている者とそう出ない者の研究者間に益々格差が生まれ、若い人の未来が見えなくなっている。

STAP事件と捏造

2015年01月29日 16:00

捏造と人間性

センセーショナルなSTAP細胞論文の発表と記者会見から丁度1年経った。しかし、矛盾だらけで、追試も全く効かず、本人も再現できなかったことでその論文が否定されるまでには時間はかからなかった。
いったいあの騒動はなにだったのだろうか?本人は絶対にあります。200回以上作成に成功していますといったけど、結局できなかった。この自信ある態度はなんだったんだろう。周りの研究者は完全に振り回され、尊い命さえ奪うはめになってしまった。それでもありますと主張していた。
実際にSTAP細胞様細胞があり、STAPマウス?も産まれていた。もしその細胞がSTAP細胞でないとしたら、何をもってSTAP細胞としSTAPマウスとしたのか? 一番疑われたのがマウスのES細胞であった。当然ES細胞ならマウスの作成はできる。最初は誤ってES細胞がコンタミしたのではないかと思われていたが、本人はES細胞については全く扱っておらずそんなはずは無いという。事実は不明のまま本人は理研を辞めてしまった。これで、真相はなぞのまま終るのかと思われた。

しかし突然理研のOBの石川智久氏が窃盗罪で小保方さんを告訴したという報道がTVでなされた。小保方氏が名声や安定した収入を得るため、ES細胞の権威であり小保方さんと共同研究していた若山照彦氏の研究室から盗み出したというのだ。
理研の調査委員会は昨年、STAP細胞はES細胞が混入したものだと「ほぼ断定できる」と見解を示したが、誰が混入したかについては分からないとしていた。それが今回の告発では小保方さんがそれを盗み出し, 全てのでっち上げを仕組んだと言う。完全なる捏造? 本人は最初から全て分かっていて、ES細胞を用いてデータを作ったというのか?弱酸処理で簡単にSTAP化するといい、200回以上作成に成功していると言っておきながら、問題が表面化下した後は一度も作成に成功しなかった。
本件に関わらず、ばれるのは分かっているのに、なぜ捏造するのか?そしてあんなに堂々と振る舞えるのか?凡人には心理状態が理解できない。言ってみれば理解不可能な人が稀にいて、自分がでっち上げたことが、いつしか本当に起っていることと信じ込んでいる人がいる。
 もう随分昔になってしまったが、小保方さん程ではないが、同じような人と共同研究した事がある。当時、その人はすでに教授になり、世間では大先生で通っていたのだが、自分で実験し、自分で論文を書いていた。スマートでアイデアがすばらしく、出してくるデータはみな興味深い物であった。私自身、彼の出す面白い結果に喜び、疑うという事は全くなかった。共同研究のため大学院生一人をそこの研究室に送り込んでいた。
突如彼と同じような研究をしている先生から電話があった。追試が全く効かないというのだ。そこから色々調べていると、誰も実験しているのを見た事がなく、教授室で一人でごそごそと何かをしていたみたいだ。それに学生や職員には実験のデータは慎重にとり、かならず2度以上繰り返して確認をとることと口を酸っぱくして言ってみたいだ。
 研究計画を建て、結果はこうあるべきだという路線に沿って、架空のデータを作り上げてしまうと、結果が一人歩きして、それが本当だと思い込む人物みたいだ。そして、始末に終えない事に、このようにするのが研究だと信じ込み、何が悪いんだと,反省もない。後から分かった事だけど、過去の研究結果のほとんどがでっち上げで、再現できなかった。海外での留学中を含めて、捏造した論文で昇進し、偉くなり大先生とよばれるまでになった。
まず疑って論文を読む事をしない。ましてや知っている研究者だと、面白い仕事をしてるじゃんくらいにしか考えず、だまされ易い。
大学院生は自分の実験結果は間違いないというものの、大先生の名前の入った論文では信用されないだろうと、最終学年になっていたが、テーマを変え、苦労して博士を取った。彼にはすまない事をした。
少々性格が変わっているとか、日頃から奇妙な行動をするという人なら、前もって注意もできる。正常に社会生活をし、性格もいい人が、ちょっとしたデータの改竄とか、盗用だったらまだ魔が差したと言えるけど、全てを捏造し、それが当たり前だと思い込んでいる常識では考えられない人が世の中にはいるということを知った事件であった。
  捏造の大先生は事実が表面化することなく、裏で取引され、大学を辞めて一流企業に移った。その日の新聞には「一流の教授が東大を辞め、民間会社へ行き、官民交流のさきがけとなる」と報道され、本人のコメントとして「民間に出て閉鎖的な大学ではできないことをやる」と言っていた。新聞ではこれを快挙として伝えていたが、裏にこんな事があろうとはお釈迦様もご存知なかろう。あーあ、いやだ、いやだ。

Steve Jobsの3つの格言

2015年01月13日 12:38

 アップルの創始者Steve Jobsが2005年にスタンフォード大学の卒業式で行った名スピーチに遅ればせながら知る機会を得た。今までStay Hungry. Stay Foolish. はSteve Jobsが言った言葉だと思い込んでいた。スピーチによればそれはスチュアートブラウンと言う人の言葉らしい。

新年の始めに、感動的かつ納得させられるSteve Jobsの若者に向けた人生訓とも言える名スピーチを抜粋して紹介したい。
このスピーチは研究をやっている若い人のこれからの生き方、心構え、研究姿勢上で非常に役立つことと思う。

彼はスピーチの中で3つの話をしている。最初が「点と点を繋げる」という話で2番目が「愛と敗北」で3番目が「死」です。

1. Connecting the Dots 
人生においての様々な経験『点と点』が将来結びつく。

彼は未婚の母のもとで生まれ、直ぐに養子に出された。その時の条件が将来大学へ行かせることというものであった。その通り、彼は大学へ入ったけれど、半年で退学してしまった。そんな折り、キャンパス中に貼られている手書きの美しいカリグラフで彩られているポスターやラベルに引きつけられた。退学を決めて必須の授業を受ける必要がなくなったので、カリグラフの講義を学び、「ひげ飾り文字」、「文字を組み合わせた場合のスペースのあけ方」を勉強し、何がカリグラフを美しく見せる秘訣なのか会得した。これがいずれ何かの役に立つとは考えもしなかった。ところが10年後、最初のマッキントッシュを設計していたとき、カリグラフの知識が急によみがえってきたのです。そして、その知識をすべて、マックに注ぎ込んだ。美しいフォントを持つ最初のコンピューターの誕生です。もし大学であの講義がなかったら、マックには多様なフォントや字間調整機能も入っていなかったでしょう。ウィンドウズはマックをコピーしただけなので、パソコンにこうした機能が盛り込まれることもなかったでしょう。もし私が退学を決心していなかったら、あのカリグラフの講義に潜り込むことはなかったし、パソコンが現在のようなすばらしいフォントを備えることもなかった。もちろん、当時は先々のために点と点をつなげる意識などありませんでした。しかし、いまふり返ると、将来役立つことを大学でしっかり学んでいたわけです。
繰り返しですが、将来をあらかじめ見据えて、点と点をつなぎあわせることなどできません。できるのは、後からつなぎ合わせることだけです。だから、我々はいまやっていることがいずれ人生のどこかでつながって実を結ぶだろうと信じるしかないのです。

2. Love and Loss 
 探し続けること。立ち止まってはいけない。

共同創業者のウォズニアックとともに私の両親の家のガレージでアップルを創業したのは二十歳のときでした。それから一生懸命に働き、10年後には売上高20億ドル、社員数4000人を超える会社に成長したのです。そして我々の最良の商品、マッキントッシュを発売したちょうど1年後、30歳になったときに、私は会社から解雇されたのです。自分で立ち上げた会社から、クビを言い渡されるなんて。そのときは気づきませんでしたが、アップルから追い出されたことは、人生でもっとも幸運な出来事だったのです。将来に対する確証は持てなくなりましたが、会社を発展させるという重圧は、もう一度挑戦者になるという身軽さにとってかわりました。その後の5年間に、NeXTという会社を起業し、ピクサーも立ち上げました。そして妻になるすばらしい女性と巡り合えたのです。ピクサーは世界初のコンピューターを使ったアニメーション映画「トイ・ストーリー」を製作することになり、今では世界でもっとも成功したアニメ製作会社になりました。そして、思いがけないことに、アップルがNeXTを買収し、私はアップルに舞い戻ることになりました。
最悪のできごとに見舞われても、信念を失わないこと。自分の仕事を愛してやまなかったからこそ、前進し続けられたのです。皆さんも大好きなことを見つけてください。仕事は人生の一大事です。やりがいを感じることができるただ一つの方法は、すばらしい仕事だと心底思えることをやることです。そして偉大なことをやり抜くただ一つの道は、仕事を愛することでしょう。好きなことがまだ見つからないなら、探し続けてください。決して立ち止まってはいけない。本当にやりたいことが見つかった時には、不思議と自分でもすぐに分かるはずです。すばらしい恋愛と同じように、時間がたつごとによくなっていくものです。だから、探し続けてください。絶対に、立ち尽くしてはいけません。

3. Death
死は生命の最高の発明。生物を進化させる担い手。古いものを取り去り、新しいものを生み出す.あなたの 時間は限られている。だから、本意でない人生を生きて時間を無駄にしないこと。ドグマにとらわれてはいけない。他人の考えに溺れないこと。
 Stay Hungry. Stay Foolishに生きる。

 私は17歳のときに「毎日をそれが人生最後の一日だと思って生きれば、その通りになる」という言葉にどこかで出合ったのです。それは印象に残る言葉で、その日を境に33年間、私は毎朝、鏡に映る自分に問いかけるようにしているのです。1年前、私はがんと診断されました。朝7時半に診断装置にかけられ、膵臓(すいぞう)に明白な腫瘍が見つかったのです。医者はほとんど治癒の見込みがないがんで、もっても半年だろうと告げたのです。しかし精密検査をしてみると、非常に稀な治療可能ながんだったのですが。死は我々全員の行き先です。死から逃れた人間は一人もいない。それは、あるべき姿なのです。死はたぶん、生命の最高の発明です。それは生物を進化させる担い手。古いものを取り去り、新しいものを生み出す。今、あなた方は新しい存在ですが、いずれは年老いて、消えゆくのです。
あなた方の時間は限られています。だから、本意でない人生を生きて時間を無駄にしないでください。ドグマにとらわれてはいけない。それは他人の考えに従って生きることと同じです。他人の考えに溺れるあまり、あなた方の内なる声がかき消されないように。そして何より大事なのは、自分の心と直感に従う勇気を持つことです。あなた方の心や直感は、自分が本当は何をしたいのかもう知っているはずです。
私が若いころ、全地球カタログ(The Whole Earth Catalog)というすばらしい本に巡り合いました。スチュワート・ブランドというメンロパークに住む男性の作品で、詩的なタッチで躍動感がありました。スチュワートと彼の仲間は全地球カタログを何度か発行し、一通りやり尽くしたあとに最終版を出しました。背表紙には早朝の田舎道の写真があり「Stay Hungry. Stay Foolish」と書いてありました。筆者の別れの挨拶でした。私自身、いつもそうありたいと思っています。そして今、卒業して新たな人生を踏み出すあなた方にもそうあってほしいと思います。「Stay Hungry. Stay Foolish」

スティーブ・ジョブズ氏が2005年6月12日、スタンフォード大学の卒業式で行ったスピーチ www.nikkei.com より。

人類が起こす生物大量絶滅

2014年12月26日 15:20

生物多様性の危機

人類が科学技術や文明を発達させ、豊かになればなるほど、逆に生物の多様性は壊れていく。非常に多くの生物種が急激なスピードで失われている。サイや象のみならず、日本人の好きな黒マグロやうなぎまでもが絶滅危惧種に指定されるという。Natureから生物が置かれている現状についてのReportが出た。
Life Status Report (R. Monastersky, Nature 516, 159-161, 2014)

多くの生物種が絶滅の危機に瀕している。3.5億年前に地球上に存在していた種の95%が消滅した。それらの多くはいわゆる大量絶滅した. この大量絶滅は地球上に起った急激な環境の変化、(火山の噴火による酸素の減少や太陽光の遮断、隕星の衝突など、ペルム紀の大量絶滅)によって大量の種の絶滅がおきている(本Blogの過酷な自然環境を生き残った哺乳類参照)。
過去の絶滅についてどうしてどの程度の絶滅が有ったのかなどの研究者の見解は一致している。しかし、しかし今日どのくらい生物が存在するのかどのくらいの早さで消失しているのかは不確定である。
動物種、植物や菌種の数の推定は2百万より少ないから5千万より多い、まで幅が有る。問題は地球上の多様性のほんの一部しかサンプリングできない事で、ほとんどの未知のグループは非常に狭い領域にのみ生息し急速にその住処が破壊されている事である。自然保存の国際機関は絶滅危惧種のレッドリストで不確実性を言っている。そのレポートでは76,000種以上が前の調査時より増えていると言っている。しかしこれは1.7百万種の4%にしかなく信頼できるデータとはならない。
これらの警告を考慮しながら Natureは地球の生命に関しての状況を示す信頼のおける、データを発表した。評価できるグループのうち両生類は、一部ツボカビによって引き起こされる致命的とも言えるepigeneticの効果のため最も危険にさらされている。哺乳動物や鳥は住処を奪われたり、狩猟の対象になったりして絶滅の脅威に晒されている。更に天候の変化が急でそれも絶滅を促進させている。将来予想を絶滅速度が一定だと仮定して、一年に全生物の0.01から0.7%と推定されているが、これには大きな不確定さがある。一番速い速度だとして、一年に数千種が消滅する。もしその傾向が続けば、大量絶滅につながり、来る数世紀で75%の種が失われる。保護政策により絶滅を遅くする事はできるが、今日の傾向では防ぐ事には悲観的である。種を保護するために設けられた土地や海の領域は広がっているが、生物多様性の観点から見ると種に対する圧力は増加している。一般に、生物多様性の状況は多くの場合、明らかに悪くなりつつある。
不確実性はあるけれど、研究者たちは生物多様性への今日及び未来の危機の評価が大切で、もっと注目をする必要があると言っている。一つの解決策は如何に人の活動が環境を変えるかを予測できる統合的コンピュータモデルを開発することであろう。このような一般の環境システムのモデル, GEMは今年の始めまでは未成熟であった。
Tittensorとその同僚は気候モデルが大気や海洋をまねたように、全ての地球上での環境上の相関を模倣できる最初のグローバルモデルからの最初のデータを公表した(M.J.B. Harfoot etal. PloS Biol. 12, e1001841, 2014)。
 モデルでは体重が10 μg(小さなプランクトンレベル)から150,000 kg(blue whaleレベル)を現そうとしたためGEMの作成には3年かかった。まだより多くの改良とテストが必要で、理想的には多くの多様なモデルが存在することであろう。もしコンピューターで生命の広がりを捉えるような堅実なやり方をするのであれば、我々が気づかないような問題を警告してくれる能力を持つであろう。
 過去の地球の歴史において5回の大量絶滅が起こり、75%の種が失われた。これらは全て突然の自然環境の変化で生じた。今日、通常のスピードでいけば1000年以上大量絶滅は起らない事になるが、このまま行けば自然の変化ではなく、人類によって引き起こされる大量絶滅を2200年までに迎えることになるであろう。


参考:
 絶滅:1500年以降にすでに絶滅した種として:哺乳類79、鳥145, 両生類36, その他505, Total 765種がある。
 絶滅危惧種:絶滅が危惧されている種:哺乳類1199 (全体の26%), 鳥1373 (13%), 両生類1957 (41%) 昆虫993(?), Total5522種があげられる。
 

生物模倣(Biomimetics)の製品化への道 

2014年12月10日 13:30

生物模倣と進化 

 生物の持つ特殊な機能を模倣して工業製品を作ろうとする試み(Biomimetics)については以前のブログでも取り上げた。しかし製品化できた例は少ない。この障害を乗り越えるための方策として進化論的考察が必須であると言う。 Biomimetics and evolution. Patek, SN: Science 345, 1448-1449 (2014)

 生物模倣は生き物の持つ特異的な特徴が様々な工業的困難さに対して新たな解決策を与えてくれるという考えに基づいている。しかし今までに、生物模倣は盛んに研究されて実用化への試みが多くなされて来たが、製品化されて成功した例は少ない。生物システムを応用して工業化に成功した例としてイガの衣服や動物の毛皮への付着を模倣したマジックテープが有名であるが、モルフォ蝶の色彩や蜘蛛の糸などを大々的に応用した例はまだ聞かない。

 生物学的機能の模倣には成功するが、大規模な工業化には至らないのはどうしてであろうか?この論文では「生物学的特色をピンポイントで取り上げ工業製品に模倣するには生物がその特異的機能を獲得して来た過程で様々な試行を行なった、進化論的な見地からの改良が必要である」と言っている。
例として、ヤモリを模倣した粘着物質の開発において、生物模倣と進化論を結びつけるアプローチが生物模倣を工業化する戦略として極めて重要である事が示された。

 ヤモリは天井を逆さまで這ったり、ガラス面に張り付いたりする事が出来る事でよく知られている。今日まで、生物模倣の研究は接着の中心的役割を果たすヤモリの足に生えている細かい毛を重点的になされて来た。細かい毛は接着面に対して密着でき、様々な面に粘着物質なくして接着出来る。しかしながら大規模工業化において問題が出て来た。それは模倣される細い毛がそのままスケルアップすると大きな力に耐えられなくなることである。
 解決策としては細かい毛で覆われた膜の進化的解析を行なって、足の裏の面積や、動物の大きさと接着、脱着との関係を明らかにすることが重要である。
 
  研究チームは盛んに行なわれている細毛膜の研究から離れて、接着膜の進化論的解析からの見解と接着の物理学と結びつけた。そして彼らは最大接着力をインターフェースの分子間結合の強さ、接着面積、システムの信頼性と関係づける膜の式を提唱した。この仕事は線維と柔らかい素材、polydimethylsiloxane(PDMS)、を組み合わせることで、非常に細かな線維を必要しないでマイクロメーターからサブマイクロメーターのスケルでの接触を可能にするヤモリの皮膚の発明へと導いた。

 ヤモリの皮膚の接着は効率的で、いろんな規模の接着に理想的な柔らかさと硬さのバランスを持ち、臨界力での急激な脱着を行い、最適な弾性エネルギーの貯蔵による最小のエネルギーの使用を行なう。これらの性質は弾性エネルギー転移のために物質の粘弾性を使用し、脱着には連続した力を要する従来の繊維で行なわれる接着とは異なる。このようにして開発されたヤモリ模倣皮膚製品は十分な接着力を発生し、大きな面積へと拡大でき、様々な種類の表層へ応用できた。そして粘着質でなくdryで再利用可能で、大型化でき清潔でもある。

 ヤモリの進化の歴史を通して、その接触がある特殊な条件下によって異なった有用性を示し、細かい毛が繰り返し出来たり失われたりしている事が明らかとなった。模倣ヤモリ皮膚の発明は接着膜の進化の解析と接着の物理を組み合わせてなされた。比較研究は生物模倣において、重要さを増しているが、進化的解析を含まない統計学的解析は誤った相関を引き起こす。さらにヤモリ皮膚膜の解析には統計学を組み込んだ系統発生との相関を必要とする。
 

結論:生物模倣に於いて単独の種での研究では限界があり、進化の歴史の包括的なデータを利用する事により、生物から市場へ、コスト効果のある効率的転用を行なえる。

老化を抑制する?

2014年11月04日 16:35

薬による老化の制御は可能か?
   
 薬によって寿命を伸ばしたり, 老化にともなって起る病気を遅らせるという夢のような事ができるのか? 答えはどうもYesらしいとの記事がScienceのEditor’s Choiceに載った 。その元となる論文はAging Cell (下記)の論文で、現在の老化研究の現況の総説 Cell (下記) と合わせて、老化がコントロールできるかどうかを考えてみた。

 Calorie restriction (CR、カロリー制限)が老化を遅らせ、寿命を伸ばす事はすでに認められている。それは主に代謝を遅らせ、活性酸素による細胞への傷害を弱める事で起っていると考えられてきた。しかし、現在ではCRの効果はNAD依存性脱アセチル化酵素、sirtuin (SIRT)の活性化を介して生じていると考えられている。実際、CRやSIRTは活性酸素の生成, 酸化damageを受けたタンパク質の生成、DNA damage, 幹細胞欠損、テロメア短縮、炎症、ミトコンドリア機能不全、タンパク質糖化、細胞老化など老化に伴う現象を抑制する。

 脱アセチル化酵素SIRTは寿命遺伝子と呼ばれ、様々な転写および代謝経路をmodulate する。マウスでの組織特異的なSIRT1の欠損は前炎症状態と代謝異常を起こす。反対に、全身でのSIRT1の過剰発現は、高脂肪食による代謝障害を改善した。SIRT によって脱アセチル化されるタンパク質にはミトコンドリアの代謝やストレスへの耐性を促進するものが多く、そのactivatorは魅力的なanti-aging 化合物と考えられている。

 SIRTはNAD依存性の脱アセチル酵素であるので、NAD+を増やしてやればSIRTの活性化を起こす事が期待される。NAD+の合成酵素であるnicotinamide phosphoribosyltransferase (NAMPT) は時計遺伝子で活性化され、その活性は老化によって減少するので、NAD+は老化に伴って減少する事になる。しかしNAD+の減少は食事にNAD+の前駆体であるnicotinamide mononucleotide (NMN) や nicotinamide riboside (NR)を付加してやると戻す事ができる。少なくともネズミではそれらの投与によるSIRTの再活性化を起こして、ミトコンドリアのタンパク質の発現を高める事ができるという。

 一方で、SIRTを活性化させる低分子化合物の探索が行なわれ、前にもブログで取り上げたが、赤ぶどう酒が含むポリフェのールresveratrol (RSV)が見つかった。RSVはマウスの全身状態を改善し、高脂肪食を与えたマウスの寿命を改善した。また人でも肥満に良い影響を与えた。しかし活性が弱く選択性も低くanti-aging 薬としては実用性が低かった。

  そこで、より活性が強くSIRT1への選択性を改良した合成SIRT1 activator、 SIRT2104が開発された。この薬剤はインスリン感受性を改良し、健康な成人や年寄に投与しても安全であった。更に、人の血中脂質状態をも改良した。しかしこれらの投与は短期間でであったので、今回長期投与での効果が調べられた。

 SIRT1活性への影響を調べるため、MerckenらはマウスにSRT2104を6ヶ月令のマウスから投与を開始し、3年間マウスが生存している間投与した。するとそのマウスは最高寿命が5%、平均寿命が10%伸びた。そしてそのマウスは老化に伴って生じる多くの病気や問題に対し抵抗性を示した。マウスの血糖値は安定し、筋肉の耐久力が増し、脂肪も少なく、炎症的な反応をも抑制したという。短期的な投与でも実験的atrophyモデルで骨量や筋肉量を保持できた。最も著明な変化がmitochondria content の増加と炎症反応の抑制であった。

 次に、SIRT1が全身の代謝やマウスの生存を改良する機序を調べるため、肝臓と筋肉のwhole-genome microarray を行なった。最も著明な変化としてcytokine-induced Stat inhibitor familyに属するtranscriptがupregulateしていて、炎症反応を抑制していた。更にはアルブミンD-box 結合タンパク質(DBP)
のupregulationも見られた。DBPは時計遺伝子でその周期的発現がSIRT1でコントロールされていた。
 SIRT1に反応してmodifyされる経路の大部分はdownregulationされ、炎症やミトコンドリアの代謝に関係する遺伝子であった。Calorie restriction (CR)での影響と比較してみると、SRT2104で変化した上位20の遺伝子の発現の70%が肝臓で一致していた、しかし筋肉では40%以下の一致しか見られなかった。
 SIRTの作用として炎症抑制が重要な活性となっており、NF-kB/Relタンパク質 がその標的である事が分かった。NF-kB/Relは炎症、ストレス反応、自然免疫などを幅広く制御している遺伝子を調節する転写因子である。NF-kBの活性化はリン酸化やアセチル化で行なわれ、Sirt1仲介のRelA/p65の脱アセチル化はNF-kBの転写活性を阻害する。よってSRT2104の投与はRelA/p65のアセチル化の減少を介してRelA/p65の活性を減少した。予想されるように、他の炎症因子、TNF-αやMCP-1も有意に減少していた。

 これらの結果から筆者は老化や老化に伴って起る多くの病気を遅らせる低分子化合物のデザインが可能であり、人においてもSIRT1の活性化剤が寿命を伸ばせなくとも、老化に伴う病気の治療に有効であろうと結論している。

参考文献
1. A drug fights off ravages of aging in mice. Science:Editor’s Choice 346, 598 (2014)
2. Aging Research-Where do we stand and where are we going? Cell: Guarente L. 159, 15-19 (2014)
3. SRT2104 extends survival of male mice on the standard diet and preserves bone and muscle mass. Aging Cell: Mercken EM et.al. 13, 787-796 (2014)

エボラウイルス:感染と出血症状

2014年10月22日 16:58

エボラ出血熱

 エボラ出血熱が猛威を振るい、アフリカ以外でも流行しそうな気配がある。
エボラウイルスに感染すると治療しないと90%の致死率で治療をしてもその致死率は60%に上るという、最悪最強のウイルスだ。
しかしその名前が知られている割にはその感染や出血にいたる機序はあまり知られていない。そこでエボラウイルスについて調べてみた。特にエボラウイルスに感染するとなぜ出血するのかの機序について調べた。内容が少し専門的で難しくなってしまったがご容赦願いたい。

 エボラウイルスはフィロウイルス科に属するRNA ウイルスである。フィロウイルス科はマールブルグウイルス属およびエボラウイルス属からなる.エボラウイルス属は抗原的および系統学的に4 種(Zaire,Sudan,Ivory CoastおよびReston)に分けられている。

 1)エボラウイルスは、どのように人体に入り込むのか?
エボラ出血熱は空気感染しないことで知られている。何らかの方法でウイルスと接触しない限り感染のリスクはない。ウイルスに感染した動物 (大コウモリが元々の宿主) との接触や、ウイルスに感染し症状が出ている患者の体液への接触、ウイルスに汚染された器具接触により感染する。潜伏期間は通常7日程度(最短2日、最長3週間)。WHOおよびCDCの発表によると、潜伏期間中は感染力はなく発病後に感染力が発現する。発病は突発的で、発熱、悪寒、頭痛、筋肉痛、食欲不振などから、嘔吐、下痢、腹痛などを呈する。進行すると口腔、歯肉、結膜、鼻腔、皮膚、消化管など全身に出血、吐血、下血がみられ、死亡する。
 2)エボラウイルスの特性
 ウイルス粒子の表面は脂質2 重膜で構成されるエンベロープに包まれ,その上に表面糖蛋白質(GP)が突起物のように存在する.単一で直線的なRNAは7つの遺伝子をcodeしている。 RNA-dependent RNA polymerase を始め、NP(nucleoprotein),VP35(polymerase cofactor),VP30(transcription activator)はウイルスRNA と複合体を形成しており,ウイルスゲノムの転写および複製に関与する.VP40(matrix protein) はマトリックス蛋白質としてウイルス粒子形成に関与する.VP24(secondary matrix protein) は第2 のマトリックス蛋白質と考えられている.この他に、エボラの感染や出血などの症状を引き起こすGP(glycoprotein、糖蛋白質)を持つ。GPはウイルスが細胞に感染するために必須であるが、このGPはGolgiでGP1とGP2に分断される。 GP1は宿主の細胞受容体に結合し、GP2はウイルスと細胞膜との融合を引き起こす。細胞内への侵入は受容体媒介、もしくはlipid raft依存性のendocytosis やmacropinocytosisで行なわれる。エボラウイルスのGPを細胞に発現すると、インテグリンなどの細胞接着タンパク質の細胞表面での発現が抑えられて、細胞は円形化し剥離し易くなる。

 3)感染すると、人体にどんなことが起こるか?
  細胞表面受容体GP1,2とVP40で構成されるウイルス様粒子は内皮細胞を活性化させ、ICAM-1やVCAM-1、E-selectinを発現させ、内皮細胞の透過性を高めるとともに、TNF-α、interleukinなどのサイトカインの発現をも高め、透過性を更に増強させる。
この過剰なサイトカインの放出がインフルエンザに似た症状を引き起こしている。それがエボラ出血熱の初期症状である。
 エボラの表層GPそのものにも細胞破壊作用が有り、膜透過性や細胞の剥離を促進する。更に、VP35やVP24はtype I interferon活性を阻害する。その結果重篤な病理症状を示し、血管透過性が亢進して皮膚や粘膜や内蔵から出血をきたす。更にこのウイルスは血液凝固系にも異常を引き起こし、血管からの出血を促進し、患者は出血性ショックから死に至る。これがエボラ出血熱と呼ばれる所以である。

 本ウイルスの特徴である糸状の形態はVP40 およびGP によって決定されており,これら2 つの蛋白質を細胞に発現させるだけで,本物のエボラウイルスと殆ど同じ形の粒子が形成される
また、エボラウイルスは体に備わる免疫反応を巧妙に回避し、好中球と呼ばれる細胞へのシグナルを阻害する。白血球の1つである好中球は免疫細胞が警告を発し攻撃する役割を持っている。実際エボラウイルスは免疫細胞に感染し、肝臓、腎臓、脾臓、脳を含む体の各部位へと広がっていく。インフルエンザに似た症状がこの病気の典型的な初期症状で、それ以降は嘔吐や下痢、低血圧といったより深刻な症状が見られる。激しい出血は病気の終末期におこり、エボラウイルス感染による死者は通常多臓器不全とショック症状により最終的に死亡する。 ショックは出血による。いったん体の各部位から出血が始まると、血管からも血液が漏れ出す。仮に”出血性の特徴が無くとも血液は漏出している。
 4)治療の可能性
現在考えられている有望な手だてはウイルスの複製を阻害する薬剤の開発とエボラウイルスに対するワクチンの開発である。
 細胞内に侵入したウイルスの自己複製を抑止する薬剤として、ウイルスの複製機序が似ている、インフルエンザウイルスの複製を阻害する富士フイルムのグループ会社、富山化学工業が開発したインフルエンザ治療薬「アビガン(一般名ファビピラビル)」がエボラウイルスにも効くのではないかと考えられ、実際に治療に応用され始めている。この薬剤はウイルスの複製を行なうRNA polymeraseの阻害剤で、インフルエンザウイルスやエボラウイルス以外に構造的に類似したRNA polymeraseを持つRNA ウイルスにも効く可能性がある。富士フイルムの株を買っておけば良かったと思ったが、あっという間に急騰し、今や手が出せない。
 もう1つは、ワクチンを作って免疫システムがエボラウイルスに対する有効な反応を生み出すのを手助けする方法である。
いずれも開発に着手されたばかりで、有効なものを作り出すにはまだ時間がかかる。

5)予防
エボラウイルスの感染力は強力でわずかなウイルスが体内に入っただけで発症する。そのため患者を治療する医療従事者が完全な防護服を着ているにもかかわらず、2次感染する事態がアメリカやスペインで起っている。日本への侵入も時間の問題であろう。予防としては、エボラウイルスは殺菌剤に弱く、石けんでの手洗いやアルコール消毒や塩素系殺菌剤によって簡単に死滅する。よってインフルエンザの予防と同じくこまめな手洗いと消毒が効果的である。

参考文献
1)Pathogenesis of the viral hemorrhagic fever: Annu. Rev. Pathol. Mech. Dis. Paessler, S. and Walker DH. 8, 411-440 (2012)
2)エボラウイルス表面糖蛋白質の機能解析:ウイルス56巻1号 高田礼人、117-124 (2006) 

名前のみ残った海峡

2014年10月08日 13:17

 マゼラン海峡

秘境中の秘境としてギアナ高地などもあるが、一番行ってみたい地はマゼラン海峡であろう。なぜマゼラン海峡なのか?それは 「Impossible Voyage」という本を読んだ際の印象が余りにも強力であったためである。

 世界一周を成し遂げたフェルデイナンド マゼランによって見つけられたマゼラン海峡は太平洋と大西洋が交わる細い海峡で、大西洋と太平洋の潮位の差により、いつも潮が渦巻き、幾多の暗礁もあり、狭いが上に流れも速い。天候はいつも荒れていて、屈指の航海の難所。遭難する船は数知れず、遭難船があちらこちらに打ち捨てられたままになっている。ヨットなどの小型の船は、横倒しに回転するだけではなく、立てに回転する程であるとされる。パナマ運河開通以前は大西洋と太平洋を結ぶ重要な航路であったが、難所故に南のドレーク海峡を大回りする船も多かった。マゼラン海峡を自ら操縦して通った船長は船乗り仲間からは畏敬の念で見られ、相手が司令官でも足を机の上に投げ出したまま、話してもいいとさえ言われる。

 マゼラン海峡は南米大陸の最南端のパタゴニアの端とフエゴ島の間にある。それより南に有るのはいくつかの島だけである。しかしこの事はフランシス ドレークが世界周航をするまでは知られていなかった。南米大陸はマゼラン海峡の遙か南まで続いていると信じられていた。マゼラン海峡の南にはいくつかの島が存在するだけであり、その先のドレーク海峡は南極大陸とつながっている。
 南米最南端のホーン岬はドレーク海峡に面している。岬を通過する経線をもって太平洋と大西洋の界とする。それより南は南極大陸。荒れ狂うドレーク海峡からみたホーン岬は断崖絶壁で海峡に突き出している。それでも、狭いマゼラン海峡よりはましで、ドレーク海峡発見後、船はドレーク海峡を通行した。

マゼラン海峡を通った人物に、マゼランやのダーウィンがいる。マゼランは、西回り航路を開拓するためにスペインを旅立ち、1520年10月にこの南米南端の海峡を発見した。彼の名前をとってマゼラン海峡と名付けられ、以来この海峡を船は往き来することになった。
 ダーウィンは、イギリス海軍の測量船ビーグル号に博物学者として乗船した。ビーグル号は5年に及ぶ航海のおよそ3分の2をフエゴ島とその一帯で費やし、この間ダーウィンは、博物学観察を行い、1834年6月にマゼラン海峡を通過し、その後ガラパゴス諸島等に寄りながら、5年近くの航海の後にイギリスに戻り、「種の起源」を纏めあげた。
 
 今ではほとんどの船がパナマ運河を通り、南米最南端を通る航路は役割を終え、かっての航路はさびれ秘境の地となりマゼランの名前だけが当時をしのばせる。

天空への道

2014年09月17日 12:24

至福の一刻

碧が広がる。蒼が広がる。空と海の青を切り裂いて白い吊り橋が延びる。
ここは海の道。
黄金の海、茜の空。夕日を追い、天空への道を登る。
ここは海と天の狭間。
雲間より刺し出ずる夕日、黄金の絨毯を海から山の頂へと延ばし、天国へ誘う。
ここは天国の入り口。

夕日、益々傾き、空は茜に海は黄金に、箱庭の島々。荘厳な一刻を迎える。
天国への階段に座し、黄金の輝きの中に身を委ねる。
時は止まり、永遠が支配する。ああ至福のとき。ああ満ち足りたとき。

Impact Factor (2013)から見たジャーナルの地殻変動

2014年08月26日 16:45

変わりゆく研究領域

今年もImpact Factor (2013年)の発表があったが、従来とは異なった傾向を示し、研究領域の地殻変動が示唆された。
主要一流紙のNature, Cell, Scienceやその姉妹紙のImpact Factorの高さは例年通りであるが、明らかに遺伝、ゲノム、RNA、System Biolなどと名のつく診断や医療応用の高い分野を扱ったJournalのImpact factorが上昇してきた。

上位のJournalは例年通りでNew England J Med(IF:54.42)を筆頭にNature (42.351), Lancet (39.207), Nature Biotec (39.08), Cell (33.116), Science (31.477)と続く。
 ここまでがIF 30以上で、IF:30-20はNat Genet (29.648), Nat Med (28.054), Nat Methods (25.953), Nat Immunol (24.973), Cancer Cell (23.893), Cell Stem Cell (22.151), Nat Cell Biol (20.058)とNature とCellの姉妹紙が独占。

 IF:20-10はImmunity (19.748), Cell Metabol(16.747), Neuron(15.982), Can Discover (15.929), Nat Neurosci (14.976), Circulation (14.948), Mol Cell (14.464)と続き、次に New faceのMol Biol Evolが現れる。このJournal のIFは2011年が5.55 で2012年が10.353で2013年が14.308と急成長している。これまた急にIFを伸ばして来た Mol System Biolも2013年のIFは14.099であった。このJournalも2011年が8.626で2012年が11.34と急激に伸びているのが分かる。 次にはPLOS group のtop のJournal のPLOS Med (14.00)がきて、 J Exp Med (13.912), Genome Res (13.852), J Clin Invest (13.765), Nat Chem Biol (13.217), Gen Dev (12.639), Cell Host Microbe (12.194), Cell Res (11.981)と続き, 次にPLOS groupのPLOS Biol (11.771)がhigh rank の一角を占めている。 Nat Struct Mol Biol (11.633), System Biol (11.532), Autophagy (11.423), Hematology (11.19), Cir Res (11.089), Am J Human Genet (10.987), EMBO J (10.748), Nat Commun (10.742), Genome Biol (10.465), Dev Cell (10.366), Mol Aspect Med (10.302), Brain (10.226) と続き10以上は終わり。

IF:10以下5までは多くの中堅、専門誌がひしめいている。Current Biol (9.916), PNAS (9.809), Blood (9.775), J Cell Biol (9.688)と旧来の有名一流紙がならび、 Can Res (9.284), Nucleic acid Res (8.808), Oncogene (8.559), Diabetis (8.474), J Mol Cell Biol (8.432), Cell Death Differ (8.385), Neurology (8.303), EMBO Mol Med (8.245 )となり、PLOS groupのJournal2誌が続く。PLOS Gent (8.167), PLOS Pat (8.057)でEMBO Rep (7.858), Nat Protocol (7.782), J Pathol (7.33), Mol Cell Proteomics (7.254), Cell Rep (7.227), Stem Cell (7.133), Struct (6.794), J Neurosci (6.747), Human Mol Gen (6.677), Chem Biol (6.586), Cytokine Growth FR (6.537)と続き、 Sci Signal (6.337)は有料on-lineのためかScienceの姉妹誌としては低迷気味。 Development (6.273), Aging Cell (5.939), Mol Onco (5.935), Cell Mol Lif Sci (5.856), FASEB J (5.48), BBA Gen Reg Mech (5.44), Mol Can (5.397), RNA Biol (5.337), J Immun (5.362), J Cell Sci (5.325), BBA Mol Cell Res (5.297), Mol Neurobiol (5.286), Neuro Onco (5.286), BBA Mol Basis Dis (5.089), MCB (5.036), Mol Microbiol (5.026), J Proteome Res (5.001)となる。

IF:5以下を簡単に記すると DNA Res (4.975), Genome Med (4.942), Biochem J. 4.779, J Lipid Res (4.73), Traffic (4.714), Cell Commun Signal (4.672), JBC (4.6), MBC (4.548), Cell Signal (4.471), J Neurochem (4.244), FEBS J (3.986), Proteomics (3.973), Metabolomics (3.965), PLOS One (3.534), Cell Adh Migrat (3.395), FEBS Lett (3.341), Cancer Sci (3.534), J Biochem (3.073), Gene Cell (2.855), Cell Strc Funct (2.35) となる。

  最初に述べたように傾向としてはGenetics, Genome, System Biolを扱ったJournalのIF が増したことやPLOS group(PLOS Med, PLOS Biol, PLOS Gen, PLOS Path, PLOS One)は無料on-line Journalという戦略があたり、PLOS One を除いて全て5以上という一定の高い評価を確立した。更にはMethodを扱った Journal がNat Methods(25.953)を初めSystem Biol, Proteomics, Metabolomicsと大幅に増えている。がん関係のJournalもIFをのばしており、Cancer Cell(23.893)を筆頭に今まではアメリカの癌学会が発行しているCancer Res(9.284)と続いていたが、同じく学会の発行しているCancer DiscoveryがIF:15.979と急激に地位をあげて来た。

一方でBiochem, Mol Biol, Cell Biol関係のJournal はNat Cell Biolを除いて、低落傾向にある。伝統ある名門Journalの JBCは依然IF:5以下でBJより下位に甘んじている。

国内で発行されているJournalについては相変わらずIFが低く、Can Sci (3.534)を筆頭にJ Biochem (3.073), Gene Cell (2.855)の順で、JBがGene Cellを抜き、Cell Struc Funct (2.35)となっている。

 以上総合的傾向として、基礎技術の応用を測る領域の研究、がんなどの病気を扱った研究や新しいMethodを扱った研究が急激に台頭し、一方で旧来の生化学、分子生物学、細胞生物学と言った研究の地盤が沈下しつつ有る。

何を研究する?どの研究室を選ぶ?

2014年07月22日 17:46

進路の選択

  研究を志す者にとって、研究対象に何を選ぶかは非常に難しい。ほとんどの人が学生時代、研究室に配属になる際、何気なく選んだ研究室での研究が一生つきまとうことになるのも稀ではない。実際、自分の所属している学部、学校で行なわれている研究に自分が興味あるものがない場合、それでもどこかを選ばなければならない。そのように消極的に選んだ研究室でも、一旦研究テーマを決められてしまうとそれなりに面白くなり、ずるずると引きずられてしまう。

 それから逃げ出すため、大学院に入る時に、自分の興味ある研究をやっている大学、研究室を受験するのか?これ又、別の大学を受験して、入るとなるとリスクが伴う。多くの人の場合は、自分の出身の大学院に、多少の不満があっても進む。そうして進んだ研究室の指導教官の影響は大きく、まだ未熟な研究者である学生にとって、仕方ない事であるが、先生の能力や技量が研究成果にもろに響いてくる。

  優秀な学生であってもそうでもない学生であっても、研究成果は個人の力量よりも配属された研究室のレベルや指導教官の力量が大きく反映する。レベルの高い研究室ではさほど優秀でない学生でも、指導宜しくいい成果が出て一流のジャーナルに発表でき、反対にレベルの低い研究室に身を置いた学生は優秀であっても、一流のジャーナルには発表出来ないと言われる。  何気なく選んでいる配属先。配属にあたっては、じっくり真剣に考えてみよう。研究対象と研究室のチョイス。自分の興味あるテーマがアクテイブなレベルの高い研究室がやっているとは限らない。研究の興味を重視すべきかそれとも研究室の選択を考慮すべきか?

 一旦レベルの低い研究室に入るといいペーパーは出ない、学振や助成金も貰えない、卒業しても良いポストが得られない。いったんこのようなあり地獄に入るとなかなか抜け出れない。一方で、レベルの高い研究室に入ると、研究室の手助けで、どんどんいいペ―パーを出して、奨学金のチャンスも増し、卒業した後のポストも得易くなる。運命は自分一人ではなかなか切り拓けない。研究環境,運、能力、行動力など多くのものに作用される。

 よその研究室に比していい成果も出てないしアクテブでもない研究室に属した場合。そこから抜け出すにはどうしたらいいのか?
  一番単純なのは、大きなリスクはあるが自信がある人は、外国へ留学して、良いボスといい研究環境の下で、いい仕事をすること。そしていいジャーナルに成果を載せ、これを武器に日本へ帰ってくるもよし、現地で独立ポストを得るのもよしの考え。
  他に考えつくのは、じっと我慢して、ボスの言うことを聞き、最大限の努力をして、実績を残す。そして実力がつき、自分で研究計画から実験、論文書きまで一人で出来るようになったら、ボスと相談して、チャレンジングなテーマを扱い、面白い成果を出し、それを武器にいいポストを得るという作戦だがこれはよほどの実力が無いと達成できない。
  もう一つは消極的では有るが日本的なやり方。研究室の方向に沿って最大限の努力と協力をして、研究面でも運営面でも貢献する。 すると、それ程画期的な成果を出せなくても教室への貢献が認められ、空きポストが出来たらそこに採用してもらえるという作戦。この場合、業績は飛び抜けていい必要は無いが、平均レベル以上はなくては考慮の対象にならない。 しかし全て「言うは易く行なうは難し」

  自分自身は当時生化学がはやっていたせいもあって、なにげなしに生化学の研究に入り、初めから狭い領域の機能タンパク質の性質を調べるという、小さくまとまった、将棋の詰め将棋のような局地戦ばかり戦って来た。今思えば、発生,分化、進化などもう少し生物学的に大きな現象から入れば良かった。現象から入って小さい領域に集約していく。それが反対に、小さい事から入り、大きな生物学的意義へと拡散する研究であった。後の祭り。

 しかし運良くポストを得てサバイバル出来た。自分の場合上のどれに当てはまるのか? まず米国に留学して旗揚げしようとしたが、うまくいかなかった。日本同様、良い論文が出ていないと、米国でも良い研究室では採用してもらえないのと、日本人のポスドクぐらいでは重要なテーマを与えてもらえなかった。そのため最初の目論み破れ、日本に帰ってきたら、昔の同じ研究室で助教授をしていた先生が教授となり、拾い上げてくれた。その後、運のいい事にさらに恩師の先生が引っ張り上げてくれた。それ以降は自分で好きなように研究し生き残って今日に至っている。という訳で、結局上の先生に気に入られたというのが一番大きな要因か?考慮してもらえるだけの業績はあったとは思うが。


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